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第31話  噂のヒト
 陽光の射し込むロビーは明るく、白い壁や床は清潔感に溢れていた。午前中の病院は、患者やスタッフが絶えず行き交っている。ロースピードの患者は、転ばぬようにと自分の事に一生懸命だし、ハイスピードのスタッフは時間に急き立てられ移動中。海賊ジョーが立っていても誰も気付かない。
 ジョーは、面倒な視線が無い事に感謝しながら、自分はサングラスの奥で視線を泳がせていた。
 出張から帰ったミネルバに会いに行った時以来、病院の中でリリに会った事はない。それに、ここは彼女のいるメンタル科からはフロアも違う。
 ここにアイツはいない。まあ、どのみち、これから会いに行くんだけどな。…ミネルバのところに顔を出す名目で。…ケンとヒイナの三人で。

 と、思っているジョーの視界に飛び込んで来た人影は、老婆の背に手を添えてゆっくりゆっくり歩くリリだった。
 ジョーの心臓は痛いくらいに跳ね上がった。無意識のうちにサングラスを頭の上へずらして、本当の色の彼女を求めた。
 天窓から降る光を受けて、白金の毬が眩しい。弱々しいはずの晩秋の陽光は、しかしガラスを通して強さを増し、包まれている彼女はまるで発光しているようだ。
 ジョーは、神々しい者を見ているような妙な気持ちに襲われた。
 見つめる。見つめずにいられない。身じろぎもできずに、ジョーはただただ彼女を見た。切なさがじわりと湧いてくる。神には手は届かない。限りなく神の世界に近いんじゃないかと思えるほど神々しく見える彼女にもまた、手が届かないような気になる。
 ジョーの鼓動は早鐘のように激しく脈打ち始め、眉根が寄った。

 見つめる先のリリと老婆の元へ、一人の看護師が近づいて来た。リリは看護師と言葉を交わし、老婆をそっと促した。どうやら、老婆を送り届けに来たようだ。看護師に連れられて行く老婆は振り返り、リリに向かって頭を下げた。リリも頭を下げる。また老婆が下げるのでリリも下げた。呆れ笑いの看護師に老婆が引っ張って行かれるまで、二人はぺこぺこと頭を下げ合った。
「ぷっ!」
思わずジョーは噴き出した。たった今、切ないまでに神々しく見えていた彼女は、やはり良く見知ったリリだ。オレの部屋で様々な天然ボケを繰り出していたリリだ。安堵も加わり、ジョーはくすくすと忍び笑う。

 老婆を見送った彼女はくるりと向きを変え、こちらへ向かって歩き出した。ジョーの忍び笑いは引っ込んだ。彼女は、走りながら突っ切る子供に注意をしたり、患者から道案内を頼まれ手振りで教えたりしながら近づいて来る。
 仕事中のリリは、真剣で、一生懸命で、制服姿も良く似合っていて、とても可愛らしい…。そうだ、確かケンが可愛いと言っていたっけ、と頭をよぎる。一瞬、夢の中の彼女が浮かびそうになったが、かろうじてその映像は閉じ込めた。が、ジョーはどんな顔をして彼女に声を掛ければいいのか分らなくなってしまった。女を前にして動けなくなるなんて事は初めてで、その事にも動揺する。いや、アイツは女じゃないし。等といつもの言い訳をする余裕すらない。いったんは鎮まっていた脈が再びどくどくと激しくなって、ただ立ち尽くして彼女から視線を外せないでいた。そのジョーの視線と、彼女の視線が繋がった。

 ジョーが病院に来る事を知らないリリは、突き当りの柱の横に立っている人影に目を奪われた。
(ジョー?)
しかし彼女は否定した。ジョーのはずがない。彼は今日は仕事。パーズンにいるんだから。
……でも……。
良く似ている。あり得ないと思いつつも、ジョーだったらいいのにという気持ちも手伝って、目が離せないまま歩いた。向こうもこちらを見ている。
(あの立ち方、やっぱり…?)
いよいよ本人に違いない……と結論を出した彼女は立ち止まった。ジョーだと分った瞬間、どうしてここにいるのかという疑問が浮かんだ。
 病院に、いるはずのない人の影。
 彼女の脳裏に、セヴァの昔話が浮かんだ。最後の別れを言いに来たアズホ。
そういえば…前にもこうして誰かに、今ここにいるはずのない誰かに、別れを言われたような……。
夢なのか、海賊アルテミスが経験した出来事なのか、はっきりしない。唯一はっきりしていることは、いるはずのない人は消えてしまうということ。
 恐怖に駆られた彼女は猛ダッシュでジョーの元へ駆け寄り、腕をがしっと掴んだ。

 予想外の行動に驚いたジョーは、ぽかんとして彼女を見下ろした。
「ジョー…?」
荒い息の中から、彼女はジョーを呼んだ。
「おー、久しぶり」
「何かあったの? 事故? 怪我は?」
「あ? 事故?」
こくこくと頷いて自分を見上げるリリを見下ろしてジョーは言った。
「事故なんて起こしてねーし、怪我もしてねーって」
「じゃ、じゃあ、なんでここに?」
ますますジョーの腕をしっかりと掴んでリリは訊いた。
「ケンの付き添い。主治医に呼ばれたんだよ、治療完了説明。今終わったとこだ」
「え……あ、ああ、そうか………。」
何かがジョーに起こったわけではない。ここにいるのは魂ではなく本人で、いる理由もちゃんとあった。
理解したリリは安堵から思わず涙が溢れてしまった。ジョーは驚いた。
「な、なんだよ、おまえ………どうしたんだよ」
リリ自身も驚いて、慌ててポケットからハンカチを取り出してごしごしと拭った。
「だって、来るなんて知らなかったから、……神様とうとうジョーを連れてっちゃうのかと思って……」
言うそばから涙が零れる。
驚かそうと思っていたジョーは、あえて伝えずに来たのだが、まさか泣かせる事になるとは。
「…んなわけねーだろ……でも…、そうか、ごめん…」
これはやばい…とジョーは思った。リリには悪いがどうにも顔がにやけてしまう。オレが事故ったかもしれないと思って泣いているのだ、リリが!
 抱き寄せてしまいたい。思わず上がった左手は、しかし彼女の背に回りかけてそれ以上は進めず、かと言ってそのまま戻ることもできずに、白金色の頭へ乗って、そのふわふわした髪をそっと撫でるに止めた。


 化粧室へ寄ったヒイナを待っていたケンは、離れた場所からジョーの異変に気付いて、じっと様子を伺っていた。ケンのいる場所からはジョーの視線の先は見えないが、ジョーの意識を奪っている何かが、その先にある事は一目瞭然だった。
「お待たせ」
戻ったヒイナに、素早く「しぃっ」として、ジョーに目を戻すと、女性の影が勢い良くフレームインして来た。女性はあっという間にジョーへ駆け寄ると、ジョーの腕を掴んで何かを訴えている。興奮したファンかとケンは焦ったが、ジョーは彼女を振り払う事もなく、会話している。
(知り合いなのか…?)
と思ったのも一瞬で、すぐにそれはリリだと分った。
「あら、リリ?」
ヒイナがそっと呟く。
「だよな……」
ケンも呟いた。
呟いたのは、リリとジョーを包んでいる空気が、自分たちの知っているジョーとリリの空気ではなかったからだ。ただの友人同士とは…思えない。まさか…。でも目の前の二人はどうだ?
何があったのかさっぱりわからないが、リリは泣いているらしく、ハンカチを取り出して顔にあてている。
ジョーの左手が、まさにリリを抱くかのごとく上がったので、ケンは息を呑んだ。
二人がじっと見守る先で、ジョーの手はリリの背に回ることを諦めたかのように力なく項垂れ、しかしすぐに彼女の頭にそっと乗った。
「え…」
そっとそっとリリの頭の上で動くジョーの手と、ジョーの表情を見たケンは絶句してしまった。
「ふぅ〜ん……」
隣で愛妻が呟いた。
「ナ、ナニ?」
「ううん。もともとジョーは女の子に優しいけど……」
「けど?」
「なんか違うよね」
「……どんなふうに?」
「うーん、……優しさの種類が…って感じ?」
「種類…?」
「だってさ、なんであんな顔?」
それはたった今、ケンが絶句した理由のひとつだ。
「俺さ、ヒイナと結婚する前、あんな顔したことある?」
「うん、たっくさんね」


 彼女の涙が止まると、このシチュエーションはとてつもなく恥ずかしかった。ジョーは照れ隠しに、頭の上に乗せている手を無造作に動かして、彼女の金糸をぐしゃぐしゃしながら言った。
「オレ見てたけどさ、迷子を送り届けて、この後おまえが迷子になるってわけなんだな」
「なんないわよ、ここ、自分の勤め先よ?」
ジョーの手をぐいと引き下ろし、髪を手櫛で直しながらリリは反撃した。
「目撃証人がいるんだけどなぁ〜」
「え? あ、」
心当たりのあるリリは黙り込む。バツが悪くなってちょっと視線を外すと、少し離れた先にケンとヒイナの姿があった。リリはぱっと破顔して手を振った。
「ケン、ヒイナ!」
強張る顔のケンの腕をぐいっと引いて、ヒイナもにこにこしながら手を振り歩き出した。
ケンたちの出現タイミングが予想外だったジョーは、内心慌ててサングラスを下ろした。そんなジョーの焦りも知らずにリリは二人に、
「治療、終わったんだってね、おめでとう」
「あ、ああ、俺、真面目に通ったからな…」
ケンは笑顔が引きつるが、幸いジョーもリリも気づかない。
「真面目に通えたのはヒイナのおかげだろ」
そう言うジョーの顔を、ケンはまともに見れず、そうだよなぁ〜と笑った。
「私は、久しぶりにケンといる時間がたくさん持てて嬉しかったよ」
ヒイナは、ジョーを見ながらにっこり言った。
「バカンス、取れなかったものね」
仕事でどうしてもバカンスに参加できなかったヒイナにリリは心から同情した。
「私達、ランチして帰ろうと思ってるんだけど、リリ達も一緒できるでしょ?」
ヒイナの言葉にリリの笑顔が炸裂した。
「ミネルバさんに聞いてみる」
「大丈夫よ、ミネルバも一緒するって言うに決まってるもの」
「とりあえず、ミネルバのところに行こうぜ。おら、連れてってくれよ、案内のプロなんだろ?」
ジョーはにやりと笑ってリリに言った。
「フンだ。一番近道で案内するわよ」
リリは力強く歩き出す。ジョーはその隣に滑るように並んだ。
「ね、ね、カフェのランチね、ちゃんとシェフの手作りなんだよ。美味しいの」
「んじゃ、ちゃんと辛いカレー食うかな。あ、辛くないシチューでもいいな」
「…意地悪っ……」
背後にいるケン夫妻に聞かれないように、小声で言い返したリリだったが、しかしつい、ジョーの腕を軽く叩いた。
 後ろを歩いていたケンは、その光景に一瞬足が止まった。
「痛って、腕折れた、外科に連れてけ」
サングラスの中のジョーの瞳は分らないが、口調は楽しそうだ。ずんずん歩きながらリリが言い返す。
「骨密度、老人並みなのね」
「おまえのバカ力をどうにかしろよ」
「バカはそっちでしょ、ラスポウナ」
「!」
ジョーは思わずリリの頭を抱え込んで口をふさいだ。
「おまえっ、ばかっ、やたらに言うなって言ったろ!?」
もしここに、ヘッシュ出身者がいたら、愛していると言われていることになってしまう。こんな公衆の面前で! しかしそんなジョーの胸中など知らないリリは、口を塞いでいるジョーの手をぐいっと引き下げて反撃して来た。
「ちゃんとジョーに言ったじゃない!」
「いや、そ、そうじゃなくて……、と、とにかく、もう言うな! いいな?」
「ジョーがあったま来ちゃうコト言わなければねっ」
「わかった、わかったから!」
さすがのヒイナも驚いている。前方のいちゃついているとしか見えない二人を観察しながらゆっくりと歩く。ケンはさらに驚いていた。あのジョーが押されているように見える。
「ジョー、口ばっかだから。口、ふたつあるしね」
「口じゃねーよ」
額の神秘を口呼ばわりされて、ジョーはリリにデコピンした。不意打ちに足がもつれてリリはよろめいた。
「足腰、弱ってんじゃねーの?」
そう言いながらもジョーの手は、瞬時に彼女の腕を掴んで、倒れないように引き寄せている。
リリは久しぶりのデコピンの痛みに、おでこをさすりながら
「ジョーこそいい加減に、加減を覚えてよ」
「うっわ! 今のシャレ? なあ、シャレ?」
ばしっ! リリの無言の反撃がジョーの右腕にヒットする。
「ラブラブだねぇ…」
目を細めたヒイナがしみじみ呟いた。
「!……だよな…」
「いつから付き合ってるの?」
ヒイナはにっこりと笑っている。
「!………そ、そうなる?」
「お似合いだね」
ヒイナはふふふと笑った。





 病院のカフェは昼時とあって賑わっていた。患者もスタッフも見舞客も、誰でも利用できる広くて明るいカフェだ。
 五人は大きな丸テーブルに座っていた。ミネルバの左右にジョーとリリが向かい合って座った。ジョーの隣にケン、ケンの隣にヒイナ、そしてリリ…と一周する。
 結局ジョーは、カレーでもシチューでもなく肉料理を選んだ。食事中もたびたびジョーはリリをからかって、ミネルバやヒイナの笑いを誘った。
 先日のカサリナでは、ジョーとリリのやり取りを見られなかったミネルバは、こうして相変わらず仲の良い二人を見ることが出来、心底安堵し、嬉しく思った。





 食事を終えて、帰る三人をエレベーターまで見送る道中、ミネルバとケン夫妻が話しながら歩く後ろを、少し距離を置いてジョーとリリは歩いていた。
 ジョーは小声でリリに
「今度の休みは、ちょっと遠出するぞ」
「遠出?」
「そう。晩秋を惜しみに。昼間はいいけど、帰り、日が暮れると冷え込むから、一枚多く持って来いな」
「うん、わかった。ね、お弁当作るね!」
嬉しそうに見上げるリリの目はらんらんとしている。
「いいよ、大変じゃん」
なんて可愛いこと言いやがる、と思いながら、彼女を気遣って断る。しかし、裏目に出たようで
「信じてないんでしょ、ちゃんと作れるって」
「そーじゃねーって、早起きになっちゃうから、いいって言ってんの。なんでこのオレ様の優しい心が分んねーかな」
「せっかくだから紅葉の中でお昼を召し上がって頂きたいって言ってるの。なんでこの私の優しい心が分んないかな」

 二人の会話は、前を歩く三人に筒抜けになっていた。それに気づかず、あーでもないこーでもないと、ジョーとリリは喋っている。すっかり黙ってしまったケンとヒイナに、ミネルバは笑いながらそっと言った。
「既婚者のあなた達から見たら、まるで初恋レベルの二人なのよね」
「え!」
ケンは驚いてミネルバを見た。
「いろいろ突っ込みたいだろうけど、そっと見守っててあげてくれる?」
「あ…ああ……」
ミネルバ公認という事なのか? つまり、やはりあの二人はできてるのか……? とうとうあの海賊ジョーが、たった一人の女のモノになるのか……?
 ぐるぐると頭の中が荒れ狂うケンの隣で、妻ヒイナは目を細めて微笑みながら言った。
「いいなぁ〜、ツーリング。私たちも今度行こうね」





 ジョー達を乗せたエレベーターの扉が閉まり、ミネルバとリリが歩き出した瞬間、五人の女性スタッフがバタバタと駆け寄って来た。
「ミネルバ先生! あの…、海賊ジョーが来てるって噂になってるんですけど……!」
「先生とご一緒だったって、」
「先生、ジョーとお知り合いって、本当ですか?」
「ええ」
ミネルバがにっこりと返事した途端、黄色い歓声が上がった。
「彼、今どこですか!?」
「帰っちゃったわ」
違う音色の黄色い歓声が上がる。彼女たちは脱力してとぼとぼと去って行った。それを見送って
「ランチはちょっと目立っちゃったかしらね」
「…そうですね……」
「ま、ジョーが楽しそうだったからいいとしましょうか」
「…ジョー、楽しそうでしたか?」
真顔で心配しているリリに、ミネルバは思わず噴き出した。
「あんなに楽しんでたじゃない!」
あなたでね。と、心の中でミネルバは付け足した。





 エレベーターはすぐ下の階で止まり、待っていた二人の男性スタッフと、その知り合いらしい男性スタッフが駆け込んで来た。扉が閉まるや駆け込んだ男性が興奮気味に喋り出した。
「なあ、メンタル科のミネルバ先生ンとこの新しい受付のコさ、彼氏かもしれない男が来てたって知ってる?」
「マジで?!」
聞いていた二人は色めき立った。彼らの後ろに立っているケンは他人事ながら心臓が跳ね上がった。隣のジョーは何のリアクションもないが、全身が耳になっているのは間違いない。
「くっそぉ、俺、狙ってたのに……」
「俺も可愛いなぁって思ってた。やっぱ倍率高いんだなぁ、あっちこっちで狙ってるって噂聞くぜ」
ケンは変な汗が出て来た。
「でもさぁ、数人でランチしてたらしいからさ、彼氏じゃないかもしれないよな。ただのお友達ってさ」
おまえ達、もう黙ってくれ!とケンは心の中で祈った。しかしケンの祈りも空しく、
「そうだよな! 諦めんのは早いよな! よっしゃ!」
「よっしゃ!」
「そうだよ、よっしゃ!」
士気高揚した彼らは、一階に到着し開いた扉から元気よく出て行った。彼らの後から出たジョーたちは、正面玄関に向かって歩き出したが、ケンはリリのファンらしい三人のスタッフが人波に紛れて行くのを振り返り見ていた。
 

 オートドアが開いて外へ出ると、秋風が火照った頬に気持ち良い。ジョーは胸のポケットから煙草を取り出して口に咥えて火を点けた。
「ちゃんと虫除けしないと大変ね、ジョー?」
ヒイナの一言に、ジョーは吸い込んだばかりの煙を吐き出してしまった。軽く咳き込む。ケンはひたすら冷や汗だ。そんな夫の胸中などお構いなしにヒイナは続けた。
「結婚しちゃえば? 効果絶大だし、何てったって幸せよ」
これにはさすがのケンも
「ちょ、ちょっとヒイナ? 何言い出してんの、、、、」
しかし妻は、目を細めてにこにこしている。
「…ケン」
「何?」
まさかのジョーからの呼びかけにケンは声が裏返ってしまった。
「幸せ?」
背中越しに問うジョーの表情は分らない。でも……。ケンは、胸に広がっていた霧が晴れて行くのを感じながら、しっかりとした口調で答えた。
「最高に幸せだよ。好きな女とずっと一緒にいられるんだからさ」
ふふふ、と笑いながらヒイナが腕に絡まった。
「……そっか……」
ジョーは深く吸い込んだ煙を吐き出した。
「リリも、先週よりぜんぜん今日の方が楽しそうだったよ、ジョー」
ヒイナの言葉に、思わずジョーは振り向いた。背後にそびえ立つ巨大な病院を仰ぎ見る。
 さっきまで一緒にこの中にいた。彼女の顔が浮かぶ。笑った顔、怒った顔、泣いた顔。そうだ、今日は泣かせてしまった。教会で神に頼んでいた彼女を思い出す。あの頃は朝も昼も夜も一緒にいた。ずっと一緒にいた。
 今は違う……アイツはこの建物の奥深いどこかにいて、オレは外だ。仕事が終わっても、アイツが部屋へ帰って来ることはない。
 病院を見上げたまま動かないジョーにヒイナはもう一度言った。
「とりあえず、一緒に暮らしてみたら?」
一緒に暮らす…? いや、暮らしてたさ。それが終わっちまって、今なんだよ。
 そう考えたところでジョーは我に返った。オレは何を喋ってたんだ? 煙草を一口吸い込んで、
「あー…、ヒイナ。オレとアイツは、別に何でもないんだぜ?」
煙を吐きながら作り笑いをするジョーの瞳はサングラスの中で見えないが、じっと覗き込みながらヒイナは、
「ふぅん?」
と意味ありげに微笑んだ。


第31話  噂のコ  END
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