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第30話  言い訳
 起床を促すアラームの音の中、ジョーは投げ出されている自分の左腕をぼんやり見つめていた。
……どうして空っぽなんだ…どこへ行ったんだ…?
そんな言葉が浮かんで、寝ぼけた頭は「ベッドを抜け出してどこへ行ったのか」という事と、それが「誰」の事なのかを考え始めた。
 考え始めて、すぐに解決した。リリだ。そして、彼女はどこかへ行ったのではなく、最初からここにはいないのだ。
 確かに一度、腕の中に抱えたまま朝を迎えた。先週の事だ。
 そこまで考えて、全身がかっと熱くなる。その時にうっかり湧いた欲望を、先週は抑え込めたのに、昨夜は何の箍も掛けられなかった。というよりも、自ら身を投じていた。
(いや、夢だから!)
自分に言い聞かせる。そうだ、夢だ。夢を見たのだ、欲望に負けた夢を。不可抗力なのだ。
現実に彼女を押し倒して無理やり行為に及んだわけではないし、彼女を妄想して一人行為をしたわけでもない。そもそも夢では最後まで達したようだが、下着は綺麗なままだ。
 
 よく耐えたなぁ…と、窮屈そうな朝の姿勢を下着の上から一撫でして労った。確かにこいつを使ってたよなぁ…とつい思い返してしまう。甘美な映像がフラッシュバックする。ヘッシュ語で愛していると何度も喘いでいた声。見上げる潤んだ瞳、熱い吐息を漏らす濡れた唇、打ち出すリズムに素直に揺れる白い肌…。

 一際大きな音で最終通告の目覚ましベルが鳴った。我に返ったジョーは、ようやく夢見心地から一気に覚醒し、跳ね起きた。心臓がいつもの胸の他に下半身にもあって、とんでもなくドキドキしている。
 胸はともかく、もう一つの熱り立つ鼓動は朝だからなのだと思い込もうとする。
 
 だって、ボーズだぜ? 有り得ねえだろ? オレ的に。

そう毒づくジョーの本心は、彼女を辱めてしまったという後ろめたさだった。
ジョーは、一人行為の相手に知り合いを妄想したりしない。それなのに、選りにも選って何故リリを…! 一人行為の相手にしたのではなくとも、あのようなシチュエーションに勝手にリリと及んだ事が、とてつもなく後ろめたかったのだ。
 
 更に、リリはそんな展開なんて夢にも思っていないだろうに、と思うと、気分は急降下する。
ベッドで味わったまどろみがあまりに甘美だったので、その落差が痛い。

 不愉快な気分を原動力に、ジョーは朝の支度に猛進した。
リリの事は頭から追い出す。……追い出したいのに、部屋のあちこちに彼女がいる。キッチンに入れば壁にかかっているエプロンが、リビングテーブルの上には書き置いたメモが、玄関に立てば自分のに並んでいる小振りのヘルメットが、「ジョー」と呼びかけているような気がする。しかも、いつもより五割増しの艶めかしさで。

ジーンズに押し込んだ一晩忍耐の勝者に、また苦行が強いられる。
これはもう、さっさと仕事を始めて作業に没頭するしかない。
ジョーはパ―ズンへ向かって黒い愛車を走らせた。





 朝食のサンドイッチを途中で買ってパーズンに着くと、メッカとニックがすでに出社していた。メッカが煙草をふかしながら、コーヒーを啜るニックに何かを諭している。ジョーは、休日出勤二日目の二人に労いの言葉と挨拶をした。
「はよー、今日も悪いな、日曜だってのによ」
「あぁ、ジョー、おはよーさん」
「はよっす」
ニックはため息交じりだ。ジョーは缶コーヒーのプルタブを引きながら声をかけた。
「どうした、ナンかあった?」
「う…ん…」
歯切れが悪い。ニックの代わりにメッカが言った。
「良く知ってる女友達を昨夜オカズにしちゃったんだってよ」
ジョーはたった今口に入れたコーヒーを思いきり噴き出した。
「ジョー?」
「いや、ちょっと、咳が…」
口を拭いながらもっともらしく咳払いをして、ジョーは何とか体裁を立て直したが、頭の中は大嵐で、脈拍はばくばくと激しい。
「へ、へえ〜? 誰だよ、良く知ってる女友達って」
まさかアイツじゃねぇだろうな…?と、ドキドキしながらさりげなく訊く。
「ニックの良く知ってる女友達っつったらディミーに決まってるじゃないかよ」
「あ、ああ、そうか、ああ、ディミーな」
内心、胸を撫で下ろしながら、ほっとしている自分に気付いて密かにまた狼狽える。そんなジョーのパニックなど知る由もないニックは頭を抱えながら、
「オカズじゃねーって言ってるだろ。夢だよ、夢見ちゃったって話」
今度こそジョーは大いにコーヒーで咽た。驚いてジョーを見る二人に、ゲホゲホしながら慌てて手で大丈夫と合図する。
「夢の中のオカズにしたんだろ? 変わんねーよ」
ニックへ向けてのメッカの言葉が、ジョーの胸にも容赦なく刺さる。
「結局はディミーとそうしたいって事だろ? 願望だろ?」
リリとそうしたいって事なのか? オレの願望なのか?
「ただの幼馴染だとか、うるせえ妹分とか言ってるけどよ、おまえはちゃあんとディミーに恋してるンだよ。好きなんだよ、ディミーがさ」

恋――? 好き――? オレがあのボーズを………? そうなのか?

「いや! そうとも限らねーんじゃね?」
考えるより先に、言葉が飛び出していた。自分でも驚いたが、そのままジョーは続けた。
「だって、やっぱ、夢ってさ、ちょっと違くね? 不可抗力じゃん。今夜はこの子にしようとか選んだわけじゃないしよ」
今朝、ベッドの中で散々自分にした言い訳だ。しかしメッカは、
「だからだよ。本音だってことだよ。自分でも気付いていない、心の奥〜の、深〜い部分の、本心ってコトだ。もう告っちまえよニック!」
「他人事だと思って、何カンタンに片付けようとしてんだよ、メッカは〜!」
もうジョーはサンドイッチなど喉を通らなくなってしまった。

(メッカが正論なら、オレは本心ではボーズが好きで、アイツに告んなきゃなんねーのか)

激しく反論したい気持ちにぴったりと張り付くように存在する、甘美な抗いがたい気持ちにジョーは気付いていた。自分でも良く解らない。躰の芯が熱い。じわじわと熱い。鼓動は早鐘のようだ。
「あ、好きって言えば、ジョーはさぁ、」
いきなりメッカの矛先が向いた。
「探しに行かないのか? あ、探しちゃいけねーんだったっけ? 運命の恋人だとか誓った彼女、どうすんだ?」
ジョーはメッカの言葉をすぐには理解できなかった。
「偶然に会えたらって、話なんだろ? 可愛いけどおっかねー、ちっともグラマーじゃねえ彼女、拝んでみたいなぁ、ジョーを本気にさせた女。頑張って連れて来いよ、ジョー」
「レース終わったら、ちょっと出歩いてみるとか言ってたよな、ジョー」
二人に言われて、ジョーはしどろもどろになった。
「ああ、うん、でも、まあちょっと動けない、よなぁ、まあぼちぼちな、うん」
「行きたくなったら言ってくれよ、しっかり店番してるからよ」
メッカがウインクしてくれた。サンキューと言いながら、ジョーは缶コーヒーを飲みほした。

 リラ。
リラの事は素直に好きだと言える。本気で口説いた女だ。ぐるぐると自問自答する。

でも所詮“奇跡頼み”じゃないか。「もしもう一度奇跡が起きたら」などと言っていられる程度なんだろう?

そうじゃない! あの時、彼女を手に入れるために、奇跡が起きると信じたかったのだ。

今頃、どこで、何をしているのだろう……。

でも今は動けない。リリの独り立ちを見守らねばならない。


オレにはリラがいたじゃないか。ボーズを好きとか告るとか益々有り得ない。


リラは宇宙のどこかにいる。オレと二度も奇跡的に出会ったリラは、アレンの好きな女、海賊アルテミスではない。

今一度、しっかりと整理して覚悟したジョーの脳裏に、しかし浮かんだのは、満面の笑みを浮かべた、慣れ見知った女、リリだった。
第30話  言い訳  END
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