第25話 SECRET LIFE |
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「ラス・ポウナってどういう意味?」 ステンドグラスから降り注ぐ七色の光の中で、リリが目をくりくりさせながら訊ねて来る。 「ヘッシュ語で『愛してる』だ」 ジョーはあっさり白状した。 「え…」 目を大きく見開いた彼女へ向かって、ジョーはゆっくりと歩き出した。 「ラス・ポウナ、……リリ」 彼女の目の前に立ったジョーは、そう告白しながら彼女を抱き寄せた。 腕の中の彼女はあまりにも華奢で怖い。簡単に折れてしまいそうだ。壊れないように、でも誰にも奪われないように、しっかりと仕舞い込む。 すると、もそもそと顔を上げた彼女が 「ラス・ポウナ、ジョー」 と返して来た。 ジョーの胸に甘い興奮が広がる。 オレの事を愛してるって? いつから? 本気で? 自分を見上げている彼女がとてつもなく可愛く見える。 お互いの目を覗き込みながらそのまま抱き合っていると、彼女がつい…っと爪先立った。 顔が上がる。 爪先立ったところで彼女の顔はまだ下だが、ジョーが少し俯けば、一生懸命上を向いている顔の中にぷくりと咲いている紅い花びらに触れられそうな距離だ。 思わず首を傾けようとしたが、頭の奥でかすかに声がした。 ―――散々「ボーズ」呼ばわりして来たくせにキスだって? そもそも、何でリリに「愛してる」なんて言ってるんだ? 頭の中がぐるぐるする。そうだ、抱き合っているのも変な展開じゃないか? しかし、この何とも言えない良い気分……は、認めざるを得ない。 だって、どうして、どうしてコイツは、こんなに可愛いんだ! ぷつりと理性の紐が切れる音がした。ジョーはリリの上に覆いかぶさるようにして顔を寄せた。触れ合う唇。 のはずが、彼女の唇はすっと逸れて、ジョーの耳元へ回ると囁いた。 「ラス・ポウナは、バカって意味でしょ、ジョー?」 「え……?」 「それに、私はボーズで女じゃないんでしょう? なのにコレ何? 男同士でハグ&キス?」 思わず緩んだ腕の中から、するりと抜け出た彼女は仁王立ちになってジョーに突き付けた。 「『愛してる』なんてありえないでしょ!?」 ソファの上で目覚めたジョーの鼓動はどくどくと激しかった。 いつも通りの部屋だ。窓のブラインドの隙間から弱々しい秋の朝日が漏れている。 夢だったとすぐに理解したが、内容を思い返すとパニックになりそうだ。 フラれたようなあの幕引きが一番解せない。 ふざけるなと毒づきながら、しかし実は切ない感情で胸がいっぱいになっていた。夢で良かった、リリから拒絶されたのが。 そうしてすぐに、そんな気持ちになっている自分に驚き、慌てて全否定する。 アイツに何て言われようと関係ないし!つか、愛してるなんてありえねぇのはこっちだよ。 昨日、礼拝堂で口が滑ったのは、リリのせいで(いや、これは“リリのおかげで”と言うべきなのだろう。)、両親から「愛しているよ、ジョー」と言われていた事を思い出したからだ。 その言葉を復唱して呟いてしまっただけのこと。 「共通語で“バカ”と同義語」と誤魔化したのに、それを逆手にとったリリが「ラス・ポウナ、ジョー」なんてほざくから、こんな悪夢を見る羽目に陥ったのだ。 しかし、いつまでも毛布に包まってイジイジムカムカしている暇はない。今日から仕事だ。 ジョーは空元気を出してソファから起き上がった。 「あ、おはよう、ジョー」 声に振り向くと、キッチンからひょこっと顔を出してリリがにっこりしている。 可愛いしぐさにうっかりどきっとする。 「おう」 とだけ返事をし、煙草を掴んでテラスへ向かう。ひんやりした空気は容赦なく全身を覚醒させる。ちゃちゃっと吸って、テラスのベンチに置いたままにしてある灰皿でもみ消し室内に戻ると、ちょうどリリがコーヒーを手にキッチンから出て来たところだった。 「あ、間に合わなかった」 どうやらテラスへ持って行こうとしていたらしい。そんな気遣いが可愛いと思ってしまうくせに、 「ああ、そこ置いといて」 とさらりと流し、洗面所へ向かう。 一人きりの洗面所で、鏡の中の自分に「いつまでも夢を引き摺ってんじゃねえよ、意識切り替えろ」と密かに激を飛ばす。 しかし結局、思うようには切り替えられず、彼女が視界に入るだけで思考は彼女へ向いてしまい、支度のリズムは狂いっ放しで、あっという間にいつも家を出ている時間は過ぎてしまった。 いよいよリリを一人ここへ残すという瞬間に迫られ、何かあったらすぐに連絡しろとか、100%セールスだからインターホンにも電話にも絶対に出るなとか、オレからの電話の見分け方は忘れてないかとか、帰って来れなくなるから遠くへ買い物に行くなとか、昼寝してもいいからなとか、言いたい事はどっさりあったのに、 「じゃな」 とだけしか言えずにバイクを押してエレベーターの中へ入った。 エレベーターの扉が閉じるまで、リリは玄関のエントランスに立って、小さく手を振っていた。笑顔が心細そうに見えて、もっと声を掛けてやれば良かったと扉が閉まった瞬間から後悔しながら、ジョーは下がって行った。 そんなこんなで、グランレース終了後の十日間の長期休暇が明けた初日、経営者であるジョーは毎年一番乗りで出社していたのだが、今年は最後になってしまった。 店の裏でバイクを降り事務所へ入ると、メンバーは神妙な顔をしてお茶を啜っていた。 「おー、ジョー、おはよう」 気付いたメッカが煙草の煙を吐き出しながら言った。ニックとケンも挨拶をする。 「はよ。何、どうした?」 ジャケットを脱ぎながらジョーは答えた。言いにくそうなニックに代わって、ケンが口を開いた。 「ジョー、アレンから聞いてる?」 「アレン?」 すぐにピンと来たが、 「何が?」 と逆に訊いてみた。しかし、さすがに言い辛いようで黙ってしまったので切り出した。 「別れたって話か?」 「やっぱり本当だったんだな…」 ジョーの言葉にケンは唸った。ケンは基本的に平和主義者の新婚さんなので、バカンス中のアレンとアルテミスを自分の事の様に重ねて見ており嬉しかったのだ。なので、別れたとは思いたくないのだろう。 残念そうに黙ってしまったケンの代わりにニックが話し出した。 「それがさ、アルテミスの居所が分からなくなっちゃったって、ディミーがさ…。連絡取ろうとしたら携帯繋がらなくて、変だなと思ってアレンに訊いたんだって。…そしたら、その、別れて…もう一緒に住んでないって…。じゃあ、どこにいるのかって訊いても、そのうち会えるからって教えてくんなかったって。元気なのかどうなのかもわかんなくて、ディミーが心配しててさ…」 大丈夫、元気だから心配するなと、ニックに言ってやりたかったが、ジョーはもちろん黙っていた。経緯をちゃんと話せば、リリの事を尻軽女と責めるヤツなどいないとジョーは信じていたが(そもそもオレとは男と女の関係じゃない)、リリ本人が怖がっている以上、ジョーの口から話してしまうわけにはいかない。仲間を騙しているようでイイ気分はしないが、彼女を自分が保護すると決めた時点で覚悟した事なので仕方ない。 メッカが煙草を消しながら 「でも、アレンが大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫なんだよ。なぁ、そうだよな、ジョー?」 とジョーに投げて来た。 一瞬ジョーは、メッカは何か知っているのかと焦ったが、 「そのうち会えるってアレンが言ったんなら、それを信じて待ってろってディミーに言うしかねえよ、ニック」 どうやらメッカは、ただアレンの言葉を信じている様子だ。そう言われてニックも、 「だよな…」 「だよ」 「でもさ、あんなにラブラブだったじゃん。彼女はアルテミスじゃなかったってアレンが言ったらしいんだ。だからもう、一緒にはいられなくなったって。俺、意味わかんねー」 本当に不思議そうにニックはぼやいた。 ジョーは、アレンがそこまで内情を他人に話せたということに驚いた。かなり踏ん切りがついているという事か。 若いニックを笑いながらメッカが、 「おまえが分からなくてもいいんだよ。当事者のアレンとアルテミスが納得してればな。あ、アレンて言えばさ、S6に行く前の壮行会、いつものカサリナだってよ。ゴセからそのうち連絡来るからな」 「それには…来ないよな、アルテミス……」 真面目なニックがしょぼんとしながら言った。その肩をポンと叩きながらメッカが諭す。 「わかんねーよ? アレンの方は吹っ切れてるみたいなんだろ? それによ、アルテミスがアレンの女じゃなくなったって、俺らは彼女に借りがあるしな。なぁ、ジョー?」 メッカの言う『借り』とは、無論グランレースで一肌脱いだ(文字通り!)サインの事だ。 「うーん? まあ、そうだなぁ」 本当はとっくにチャラなのだが、海で助けた経緯はとても話せないので口ごもる。 オーラーデ島のうだるような熱帯夜の海で…彼女を抱え込んで引き戻し、キスで黙らせ、正気に戻した。 脳裏にありありと情景が浮かんでしまったジョーは、連鎖反応で今朝見た夢までも思い出してしまった。 愛していると言ったり、抱きしめたり、キスしようとしたりしていた、あの夢。 頬が熱い。もしかしたら赤くなっているかもしれない! 恥ずかしさのあまり挙動不審に陥りそうになったので、 「さ、仕事始めようぜ」 と言って、ピットへ逃げた。 日中は暖かくても、日が傾いて来ると急激に気温は下がる。 温かいものでも飲んで一息つくかと、メッカとニックが手を休めて立ち上がると、 「じゃ、オレ上がるな」 とジョーが言った。終うにはちょっと早い。しかし、ジャケットを羽織ったジョーは、休憩室のソファで一休みしている三人に 「テキトーにあがってな」 と言い残して出て行ってしまった。ジョーの背中にお疲れ様と言ったニックは、きょとんとしてメッカに訊いた。 「…早くね?」 「いい店でも見つけたんじゃねーか?」 そう言いながらメッカが胸の前で手を動かし豊満な乳房を表現したので、ニックもケンもあっさり納得した。 ピットの裏でバイクに跨ったジョーは、携帯のマイクを襟に付けイヤホンを耳に差しながら自宅へかけた。自宅へ電話をかけるなんて初めてだと思っていると「はい」と弾んだ声がした。 電話をかけて、リリが出るまでのほんの数秒間に、本当は何もかも夢で家には誰もいないんじゃないかなどと考えたので、彼女が出た瞬間、彼女が消えずに居たことにホッとし、さらに彼女が無事だったことにもホッとして、人には見せらないほど顔が緩んだ。その表情とはおよそ結びつかないつっけんどんな口調でジョーは言った。 「メシ何? 家政婦さん」 「えっと……。カ、カレー?」 「……。なんで疑問形だよ」 「カレーを作ったんだけど、もしかしたらジョーは……そう思わないかも……って」 「……。とにかく、今から帰る」 「はい、お気をつけて……」 今夜の夕食は覚悟がいるのかもしれないと思いながら、ジョーはエンジンをかけた。それでも口元をほころばせながら、家に向かって夕焼け色に染まった街を疾走した。 冷たい外気とは別世界のリビングで、ジョーとリリはローテーブルを挟んで座っていた。 「なんでカレーが甘いんだ」 「…甘口、だから?」 えへっと笑うリリの頬を、がっと伸ばした両手でつまんで伸ばしながら 「セヴァのとこじゃ、普通に辛いカレー作ってたじゃんかよ!」 「ヘヒンハはんほひひへうほひへははへはほん!(メリンダさんの指示で動いてただけだもん)」 「じゃあ、メリンダの指示を思い出せ! メリンダを今すぐ召喚しろ!」 「ほんあおふい〜〜〜!(そんなの無理〜〜〜)」 食糧棚にあったレトルト食品は使い切っていたので、寒い夜の街へ繰り出したくなければ、この甘いカレーを食べるしかなかった。 しかしジョーは、その後は文句を言わずに素直に完食した。目の前で申し訳なさそうな顔をしているリリに、これならファームのチビ共は大喜びで食うな、と言ってみたりしながら、軽く御代わりもした。 食後の一服のためにテラスへ出ると、火を点け深く一息吸い込み、白い白い煙を吐き出した。 星がちかちかと瞬いている。白い煙はすうっと昇りながら闇に溶けて行く。 「ジョー」 振り向くと、リリが顔を出している。 「ね、中で吸って? ここはジョーの家なんだから」 煙草を吸わないリリが同居し始めてから、ジョーは喫煙場所をテラスに限定していた。それをリリは気付いていたのだ。初めてこの部屋に入った時、テーブルの上には吸い終わった煙草が何本か入っている灰皿が確かに置いてあったのだから。 「だよな、オレん家」 真面目にこくこくと頷くリリが、可愛いやら可愛くないやら。思わずジョーは、リリの額にデコピンした。 「あうっ」 呻くリリに 「ほっとけ」 と悪態をついて、知らん顔する。額をさすっていたリリは鼻を赤くしながら言った。 「ジョー、私、好きだよ、ジョーの煙草の煙。甘い香りするよね」 “好きだよ”などとまた軽く言われ、簡単に舞い上がってしまい、すぐに煙草の匂いの事だと落とされて、むっとして振り向くと、リリは目を閉じて香りを楽しんでいる。目を閉じて…!無防備に! (おまえそれは、キスしてくださいみたいなモンだぞ、そんな隙だらけでどーすんだよ!) 心でなじりながら、その怒りを乗せて命令した。 「コーヒー淹れろ、家政婦!」 気持ち良く甘い香りを楽しんでいたリリは、ジョーの強い物言いにぱんと弾かれて 「はぁ〜い……」 と言いながら、キッチンへ向かった。 寝室の戸棚から厚手の毛布を引っ張り出しているジョーの背中に向かってリリは言った。 「お願い、ジョー、私をソファにして? 居候の私がベッドだなんて」 戸棚の扉を閉めて振り返ったジョーは、 「おまえは居候じゃなくて住み込み家政婦だろ」 「でも、、、、心苦しいのっ!」 「はぁ? 我儘言ってんじゃねーよ。いいか、はっきり言ってオレ様的に、お…客をソファに寝かせて自分がベッドに寝るなんてのはありえないんだよ」 うっかりリリの事を「女」と言いそうになって、慌てて誤魔化した。 「私はお客じゃないじゃない」 「言葉の綾だろ。もうぐだぐだ言うな」 「だって寒いでしょう?」 「あっちーよ」 「うそ、だって」 「うるせっての」 でこぴんしながら、部屋を出て行こうとしたジョーに、額を抑えながらリリは必死に言った。 「じゃあ、どうしようもなく寒かったら来て。ね?」 ―――“来て”? ジョーは固まって考える。 来て? この部屋に? このベッドに? 振り向くと、睨むようにリリが見ている。 「どうしても私をベッドから出さないって言うなら一緒に寝るしかないけど、風邪ひいちゃうよりいいでしょ?」 真剣だ。しかし………。 「私はボーズで女じゃないんでしょう?」 どこかで聞いた言葉だ。と思った瞬間、今朝の夢が鮮やかに蘇った。このセリフの後、リリは強烈な言葉を浴びせて来たっけ。 しかし、現実の彼女は 「だから一緒に寝れるよね?」 と、健気に詰め寄って来る。 ――― 一つのベッドに入っても、何の問題も無い。何も起こらない。 ああ、これも拒絶の言葉だ。 ジョーは朝と同じく切ない気持ちに襲われたが、同時に沸いた尖った感情のまま問いかける。 「そりゃそうだけど、もしオレが寝ぼけたらどうすんだよ? すっげえイイ女の夢でも見てて、おまえが隣になんていたら、間違えて襲っちゃうかもしれないぜ?」 「…お、起こすよ」 「あ? どうやって」 「『ジョー、私だよ、間違えてるよ』って」 「聞こえませ〜ん、だって眠ってるんだぜ〜?」 「じゃあ、揺する、」 「へぇ〜。ちょっと手上げてみ?」 劣勢なまま上げたリリの両手を、ジョーはいきなり高く伸ばして壁に押し当てた。 「ほら、オレを揺すって起こしてみろよ」 「え…」 ジョーは左手で毛布を抱えたまま、右手一本でリリの両手首を壁に固定してしまっている。 渾身の力を込めても身体をよじっても、手首は壁から剥がれない。 「だって、眠ってたら、こんなに力、強くないでしょ?」 「寝ぼけてたら強いぜ〜? なんたって、超イイ女だと思ってるからよ」 「、、、超イイ女、、?」 余裕がないリリはオウム返しだ。 「そ、おまえと正反対のな」 目の前で自分を見ているジョーの瞳は、暗く静かで冷たかった。その瞳を見つめたまま、リリは何も返せず黙った。 「身代わりなんかで襲われちゃっちゃぁ、悲しいだろ?」 身代わり……。 今までアルテミスの身代わりをアレンの前でして来た自分には、この一言は刺さった。 「でもジョーは…、ジョーは私を見てくれるって…」 熱帯夜の浜辺でジョーは言ってくれたのに。 「あ?」 「このままの私でいいって、そう言ってくれたよね」 リリが何の事を言っているのか、ジョーはすぐ理解した。したが、今はそういう事を言っているのではない。とんちんかんな女だ。 「そうだよ、おまえはおまえだよ。だから、全然違う奴の代わりに襲われちゃったらヤだろ?って話だよ」 しかしリリは、ジョーのあの言葉をどれほど自分が支えにして来たのか思い知ってしまった。 涙が滲みそうになりながらも、一生懸命にこくこくと頷き、 「ヤだ。ちゃんと私だって分ってくれてなきゃヤだ」 「だろ? じゃぁ、身代わりで襲われてる場合じゃねーじゃん。ちゃんとおまえだって分ってる状態で―――????」 ジョーは言葉が続かなくなった。結論の方向が逸れていないか。これでは『リリだと認識していれば襲っても良い』という運びになっていないか? なんでそんな展開になったのか、襲ってもいいのか、実はOKということなのか、本当はそうして欲しいのか、とジョーが暴走しながら彼女の目を覗き込むと、ジョーの高まりとは正反対に彼女は涙目だ。 脅かし過ぎたようだ。ここへ連れて来た夜、怖がらせないようと「その気は全くない」風を装い散々冷たくあしらった努力が、水の泡になり掛けている。 ジョーは我に返って彼女の手首を放した。 「とにかくさ、オレはソファで寝ても寒くなんかないし、おまえはおまえだし」 うまくまとめられない。がりがりと頭をかいて、正直に押すことにする。 「おまえがソファでオレがベッドなんて、オレが嫌なんだよ。だからおとなしく言う事聞けよ。ミネルバが帰って来るまであとちょっとなんだから心配いらねーって」 リリも言い返さずに黙ってジョーを見ているだけになったので、ホッとしたジョーは彼女の頭を軽くぽんぽんして部屋を出て行った。 翌日の夕食は辛いシチューだったが、やはりジョーはキレイに平らげた。 そんなふうに数日間、妙な料理を食べ、冷え込みが日々増していくテラスで一服し、毛布に包まってソファで眠ったが、ジョーは風邪などまったく引かずに、それどころか精力的に仕事へ出かけた。 その日、いつものように早目に帰り支度を済ませたジョーに、メッカが声を掛けた。 「ずいぶん、お気に入りなんだな、ジョー」 ニヤニヤしているメッカの横からニックも興味津々で訊いてきた。 「ここんとこ通い詰めじゃん。そんなにすんげーの?」 勘違いしてやがる…とジョーは気付いたが、そのまま合わせることにした。 「ああ、すんげーんだよ、飯」 ははっと笑って、じゃ、また明日とジョーはパーズンを出た。 「メシ?」 「なるほど、飯も旨い店か。そりゃいいな」 メッカは納得顔で頷いていた。 肉と野菜の煮込み料理だと言っていた夕食は、圧力調理器の圧力がうまくかかっておらず、まったく煮込まれていなかった。ごろんごろんと固い塊の根野菜と肉が、スープの中で浮いている。 蓋を持って半泣きのリリに上着を着せると、彼女を連れてジョーは部屋を出た。 バイクを押しながらエレベーターに乗り込み地上へ向かう。 まだミネルバの元にいないリリを自分が外へ連れ出すのは、誤解を招く事になりかねないので、なるべく避けた方が良いと分ってはいたが、慣れない(しかも不得意な)賄い仕事でいっぱいいっぱいのリリを、ジョーはどうしても息抜きさせてやりたかった。 普段は行かないブロックへ行こうかと思ったが、思いも寄らない知人と(例えばディミーやカーラと言った女性連中)出くわすかもしれない。VIP席のある格式高い店は、入れるような服をリリが持ち合わせていない。 エレベーターが一階に着いて、バイクのエンジンをかけた時には、行き先は決まっていた。海賊ジョーだろうと無関心で接客してくれる、適度な距離感のサービスが絶妙な店で、一人になりたい時に使っている気に入りの店。 今まで誰にも話した事はないし、誰も連れて来た事もない。大事な秘密の隠れ家なのだが仕方ない。ジョーはあっさりと決断していた。 予想通りに、海賊ジョーが女連れで入店しても何の騒ぎも起きず、人目に付きにくい奥の落ち着いた席に案内された。 メニューを開いても、彼女は失敗を引き摺っていて暗い顔をしていた。ここへ来たジョーの真意には少しも気付いておらず、ただ自分のヘボ料理に嫌気が差したジョーが、美味しい食事をしに来たとばかり思っていた。 そんなリリにはお構いなしに、ジョーは勝手に注文していく。そしてテーブルに料理が並ぶと小皿に取り分けて食べ始めた。リリは相変わらずぼそぼそと食べている。 どうしたものかと考えたジョーは、話し出す頃合いを待っていたディミーの話を、今するのがちょうどいいと思いついた。 「おまえが行方不明になったって、ディミーが心配してるらしいぜ」 「え」 思いもしない名前を聞いて、リリは心底驚いて顔を上げた。 「携帯にかけても繋がらないから、アレンに訊いたらしい」 「……!」 「で、アレンが、アルテミスじゃないことが分かったから別れた、一緒に住めなくなった、でもそのうち会えるから心配するな、って言ったらしい」 「…ほんと…?」 「ディミーな、元気なおまえに会えるのを信じて待ってるらしーぜ。ニックが言ってた。うちの連中もさ、アレンの壮行会でまたおまえに会えるの楽しみにしてるみたいだしな。メッカなんて、レースのサインの事で、未だにおまえには借りがあるなんて言ってるしよ。あれはもうとっくにチャラなのによ」 走馬灯のように彼らの顔が浮かび、言葉と一緒に涙まで出てしまいそうで、リリは無言のままきゅっと口を結んでいた。 「飯作るのに失敗したからって、いちいちへこんでる場合じゃねーな? 分ったら食え」 リリは頷くと、先ほどとは違う勢いで食べ始めた。 デザートのケーキが出て来る頃には、リリもすっかり食事を楽しんでいた。リリに息抜きを…という目論見は無事に達成されて、ジョーはひっそりと満足だった。つい気が緩んだ彼はコーヒーを啜りながら 「……。コーヒーはうちの方が旨いな」 と呟いた。リリはフォークを止めて、自分もコーヒーを一口飲んだ。 「私には分らないけど、豆が違うの?」 と訊いた。彼女の言葉で自分がうっかり本音を漏らした事に気付いたが、幸い彼女は“リリの淹れたコーヒー”という意味だとは気付いていないようなので、 「さあな」 と一言だけ答えて、リリのケーキからクリームの一ねじりを奪った。 店の裏手にある共有パーキングに停めてあったバイクの周りには、人だかりができていてジョーは驚いた。ジョーのバイクは、特別目立つ仕様ではないけれど、熱狂的なファンは簡単に見分けてしまう。そのため、道路に面しておらず、どの店にいるのかも特定できないパーキングがあるという事も、この店が気に入っている要素の一つだった。それなのに、今夜に限って…! 「メット被れ」 ジョーはリリに言った。うぬぼれでも何でもなく、自分が一人の女を連れていたとなれば、あっという間に噂になる事は火を見るより明らかだ。それがリリだったと分るような情報はなるべく少なくしなければ。 「ここで待ってろ」 ジョーはリリを残して、一人でバイクへ歩いて行った。 「あ、来た来た、ジョー!」 輪の中に、何度か遊んだ顔見知りがいたが、名前も出て来ない。一応笑って応える。 「よう、久しぶり」 「これ、絶対にジョーのバイクだって思って待ってたんだ!」 破顔して口々に騒ぐ。 「ねえ、どこのお店で食べてたのぉ? 今度一緒してよぉ」 着飾った女がしな垂れかかってくる。離れた場所で見ていたリリは、その女の服装にびっくりしてしまった。秋の夜には不釣り合いな露出度で、こぼれそうな胸をジョーの腕に押し付けている。しっかり立てよとジョーが女をかわしていると、男どもがはやし立てた。 「なあ、遊びに行こうぜ、ジョー」 「新しいゲームバーが出来たんだぜ」 ジョーはバイクのキーを差し込みながら、 「悪いな、もう帰るんだよ」 と答えた。 「またまたぁ〜、夜はこれからでしょう?」 「ねえジョー、後ろに乗せてよ」 女の一人が上目づかいでジョーに言いながら、シートをなでた。 「あ……!」 リリは嫌悪感を覚えた。 「マジ、悪いけど帰るからさ」 ジョーはさっと女の手を掴んで、やんわりとどけた。そして、バイクに跨りエンジンをかけ、観衆に「じゃあな」と言うと、とろとろとパーキング内を進んだ。 皆が見ている前で、バイクは何故か出口と反対に建物の方へ進み、すぐに赤いテールランプを光らせて停止した。 「ボーズ」 ギヤをニュートラルに入れて、ジョーはリリを呼んだ。建物の影からおずおずとリリは出て来た。 「帰るぞ」 「はい…」 暗闇から突然現れた小さな影に、遊び損ねた連中、とりわけ女達は騒然となった。 リリは海賊ジョーのファンに遠慮して、なかなかジョーに触れられず、シートによじ登るのにもたついた。座ってからも、ジョーの脇のジャケットをほんの気持ちばかりつまんだだけでいたので、ジョーにぐいっと前へ引っ張られてしまった。 しっかりと腹の前でリリの手を合わせたジョーは 「行くぞ」 と言って、今度こそ出口へ向かって走り出した。 その夜、リリはベッドの中でなかなか寝付けないでいた。 (本当は…あのまま遊びに行きたかったんじゃないかしら……) 翌朝、ジョーを送り出した後、急いでテラスへ出て、ジョーのバイクの音を耳で追った。遠ざかる音を聞きながら自覚していく。 (ジョーは、私が居るから、いろんなことが出来ないでいる……。お友達と遊ぶ事とか、煙草を吸う場所とか…) ベンチに置きっぱなしの灰皿を室内へ入れて、きれいにした。その灰皿をソファの前のローテーブルに置く。そして、きちんと畳まれた毛布に手を伸ばし抱え込んだ。 (寝る場所も……) リリはそのまま、ソファに沈み込んだ。ジョーの匂いのする毛布を抱えて、ぎゅっと目を閉じた。 (早く…。早く出て行かなくちゃ…!!!ジョーにうざいって思われちゃう前に……!!!!) |
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第25話 SECRET LIFE END |
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