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第13話 バカンス |
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快晴の青空には、真っ白い雲がもくもくと湧き上がっている。初秋のヴィゴラス島の港を出て四時間が過ぎた頃、肌に降る日差しは夏の強さに戻っていた。 海は凪いでいた。命の源たる海。すべての命はここから始まった。その青さを取り戻せたのは奇跡も言われている。 陽光をギラギラと反射させて、時折立つ白波は、イルカのせいだった。 「いた! 見て見てアレン、あそこ!」 アルテミスは興奮して叫んでいた。 「アリー、そんなに乗り出すと落ちるから!」 「大丈夫ー」 気が気でないアレンは、舵をオートに切替えるとデッキへ出てアルテミスの側へ並んだ。 飛沫を顔に受けてアルテミスが笑う。その弾ける笑顔は、目眩のするような幸福感にアレンを突き落とすのだった。 海上をこちらに向かってくる点に気付いたアレンは、目を凝らした。カーナル号らしい。 「アリー、ゴセだ」 アレンが船の速度を落したので、カーナル号は緩やかに近づいた。 カーナル号のデッキではゴセとディミーが、やはりアレンの方を見ていた。 ゴセはアレンたちに手を振った。アレンの隣で陽の光のように笑っている顔が手を振り返して来た。 「ほら、あの子がアルテミスだぜ」 アレンの隣にいるのだからそうなのだろうと頭では分かるものの、女海賊アルテミスのイメージとは結び付け難い。戸惑っているディミーにゴセは、 「手、振ってやれよ」 と促した。兄に言われて、ディミーはまだ会ったことの無い人物へ向かって手を振ってみた。 「私、ディミー。ディミー・カーナル、よろしくねー!」 共通語でそう叫ぶと、 「こちらこそよろしくー!」 と、共通語で彼女が返事を返した。その笑みは、波間に咲いた一輪の花のようだ。ディミーはアレンの彼女がどうやら素直で明るそうで、嬉しくなった。 「可愛いー!」 「そりゃぁ、アレンが惚れた子だからな」 ゴセもご機嫌だった。 二隻の船は颯爽と海原を進み、程なくしてオーラーデ島の島影を捉えた。みるみる浜辺の白が広がって行く。ゴセとミネルバ夫妻とハザウェイ・レーシングの共同プライベートビーチだ。白浜に建物が見て取れた。海から見て、ビーチの右端にクルーザーを繋ぐ桟橋、左端には海面に伸びる小型滑走路があった。 湾へ滑り込むと、すでに到着しているミネルバ夫妻のクルーザーの隣に、アレンは自分の船を静かに停めた。デッキの上のアルテミスは神妙な面持ちで、浜の奥に駐車されている大型トレーラーとワゴン車を見つめた。フェリーでオーラーデ島へ渡り陸路を来た、チーム・ハザウェイの一行だ。もうジョーは、このビーチにいると言う事だ。 ――何とか早いうちにジョーに謝ってしまわなくては。 アレンの親友と、アレンに隠したままわだかまっているのは、正直もう辛かった。 白木の二階建てのビーチハウスは、中央の玄関を入るとすぐに大きな居間になっていて、その奥にキッチンがあり、自炊ができた。滞在中は夜な夜な宴会なので、キッチンは必須だ。そして、階段を上がると左右に分かれる部屋は、毎年男女で分けて寝室にしていた。 玄関からニックとケンが飛び出し、船から降りるゴセ兄妹やアレン達の元へと、砂浜を転がるように駆け寄った。 その様子を、居間の大窓から見ていたミネルバが、笑みを浮かべながら 「とうとうアレンが彼女を連れて来たわよ」 と、夫のサラに話しかけた。 「そうか。ロイとカーラも到着だ」 空を見上げていたサラが言った。 桟橋に降りたアレンが、腕を伸ばしてアルテミスを抱き下ろしていると、一機のセスナが爆音と共に頭上を旋回して行った。風圧で波飛沫が飛ぶ。カーナル号のデッキでは、ディミーがセスナに手を振っていた。 アルテミスを桟橋へと降ろしながら、笑顔でアレンは言った。 「ロイだ。カーラが乗ってるよ」 「カメラマンのね?」 海賊カーラ。プリンセス・オーリーチェ。仲良くしたいと思った人。アルテミスは、滑走路に向かって降下し始めたセスナを見守った。 ビーチハウスの裏にある車と、桟橋に三隻の船影を確認したロイは、 「俺たちが最後みたいだな」 と言った。カーラの心臓は痛い程に脈打っていた。 (どこ? どこにいるの、海賊アルテミス……) ロイが桟橋の上を旋回してくれた。見知らぬ女が、アレンに抱きかかえられて、船から降りているのが見えた。その瞬間、紛れも無くあれが恋人なのだと理解したカーラは、胸が張り裂けそうになった。 無言のまま、ロイはセスナの機首を滑走路への進入角度へと向けた。 ゴセ達はワイワイと騒ぎながらハウスへと歩き出した。ディミーは改めてアルテミスに自己紹介すると、バカンスを楽しもうと笑った。アルテミスは楽しくならないはずがないと確信して笑顔で頷いた。そして、空から降りて来るセスナを見ながら、砂浜をざっくりざっくりと歩いた。 優雅に着陸を終えたセスナは、ゆっくりとハッチを開けた。パイロット席でロイが立ち上がり、するすると機体から地上へと降りる。その間に、後部座席でカーラが立ち上がった。荷物を地上のロイへと手渡すと、軽い身のこなしで自分も降りた。 海風にカーラの黒髪が舞い上がる。白い顔に波打つ黒髪。頬に被さる髪を手で押さえながら、カーラはアルテミスを見つめた。 滑走路上に降り立ったまま、じっとこちらを見ているカーラの圧倒的な空気に、アルテミスは足が止まってしまった。カーラはサングラスもしているし、遠いので表情までは読み取れないが、ディミーとは違う、どことなく威圧的な視線を感じた。 やっぱり、王族って、一般庶民とは違うのかしら… と思っていると、前を歩いていたディミーが、 「カーラー!」 と手を振りながら大声で呼んだ。すると、黒髪の姫は、肩ほどまでに挙げた手を、ユラユラと振って返した。 あぁ、普通かも。 アルテミスはほっとした。ちゃんと挨拶しよう、と思いながら、先へ行ってしまっているアレンを追いかけて歩き出した。 砂浜を移動して行くメンバーを見ながら立ち尽くしているカーラに、 「行くぞ」 と声を掛けて、ロイは荷物を両手に下げて歩き出した。 クルーザーからアルテミスが降りて来るのを、二階のバルコニーから、煙草を吹かしながらジョーは見ていた。 荷物はアレンに持たせて――アレンが勝手に持っているだけだが――手ブラで歩いているくせに、砂に足を取られてつんのめっている。危なっかしいくせに、ディミーとお喋りしたりしているので、よろよろした足取りになっている。ディミーとは初対面だったはずなのに、たった数分の間にすっかり仲良くなっているようだ。楽しそうに笑っている。その笑顔。 (へえ、あんな顔して笑うんだ) ヘルメットの中で怒っていた顔か、嫌味ったらしく微笑んだ顔か、バツが悪そうな困った顔しか見た事のないジョーは、自分に向けられたのではないその笑顔が不愉快だった。 そう感じると同時に、リラの笑顔を思い出す。ずっと不機嫌だった彼女が、初めて顔中笑顔にしたのは、追いかけて来る集団が女性ではなくて、女装した男性達だったと知った時……。 (可愛かったよなぁ…) ジョーは溜息と共に煙を吐き出した。 そして再びアルテミスに視線を戻すと、彼女が自分を見上げているのに気付いた。いつの間にか、エントランスまで到着していたらしい彼女は、さっきまで咲かせていた笑顔をしぼませ、困ったような表情で、自分を見上げている。 (ほらな…) ますますジョーは不愉快になって、ふいと部屋に引っ込んだ。 これから五日間を過ごす家が、白い壁に青い屋根の、椰子の木を従えた本当に素敵な建物で、うっとりしながら見上げていたアルテミスは、二階のバルコニーにいるジョーを発見して、心臓が跳ね上がった。煙草を手に、手すりにもたれている。伏せられていた目が開いて、視線が合った。 (謝るから、本当に絶対に、今回こそ謝るから……!) と、頭の中で言い訳していると、ぷいとジョーは部屋の奥へと引っ込んでしまった。 心の叫びを拒絶された様な気分に陥り、アルテミスは落ち込んだ。が、やはりこれは、どうしても片を付けてしまわなければ…と再覚悟するのだった。 居間ではミネルバ夫妻が歩み寄って来てくれた。 「ミネルバ・エオバルトよ、よろしくね」 「夫のサラだよ、よろしく」 「よろしくお願いします」 二人と握手を交わした。温かさが嬉しかった。 「荷物、置きに行こう」 ディミーに言われて、アルテミスはアレンから自分のバッグを受け取った。ゴセがアレンの肩に手を置いて、 「残念だなアレン、しばらくは一人でお寝んねだ。まぁ、今年も俺が隣に寝てやるからよ」 と、言いながらがはははと笑う。そんな兄の脛を蹴って、 「バカ兄貴、荷物運びなさいよ!」 とディミーは言って、アルテミスを促して階段を登り始めた。 階段を登り切ると、左右に廊下が分かれていた。 「女の子はこっちよ」 ディミーは左側へ歩き出す。アルテミスも後を追った。背後で階段を上がったゴセとアレンが、反対側へと歩いて行く。 「ここはトイレとバスルームよ」 ディミーは説明しながら、ドアを開けて中を見せてくれる。 「で、こっちが寝室。さ、どうぞ」 ディミーに続いて、部屋に入ろうとした時、廊下の向こうの男子部屋から声が聞こえて来た。 「よう、ジョー。道、混んでたか?」 「いや、予定通り」 ゴセの茶々も聞こえる。 「バイク、ちゃんと積んで来た?」 笑い声。 その楽しそうなやり取りを聞いて、アルテミスは密かに落ち込んだ。 (私のコトは無視だけど、ずいぶん楽しそうだよね) ディミーの明るい声が救いだった。 「うちの兄貴、下品でごめんね。本当にイヤンなっちゃう」 「優しい人よ」 アルテミスは本心から言った。 「ありがとう。ね、ベッド、どこでも好きなの選んで」 室内には8つのベッドが並んでいた。まだミネルバしかベッドを選んでいないので、7つも残っている。 「どこでも」 とアルテミスが答えていると、カーラが入って来た。そして、ツカツカと窓際のベッドへと進み、荷物をぼんと置いた。 「ここ、私でいい?」 ディミーとアルテミスの方へ振り向くと、カーラはサングラスをしたままで訊ねた。 「カーラ、毎年そこだもんね、いいわよ、私は。ね?」 アルテミスもこくこく頷いた。カーラはサングラスを外すと、その黒曜石のような瞳でアルテミスをしっかりと見つめ、 「カーラよ。よろしく、アルテミス」 と手を差し出した。その有無を言わせないような雰囲気に押されながら、アルテミスはカーラの手を取り、 「よろしく、カーラさん」 と答えた。 「“カーラ”でいいわ」 「カーラ…」 アルテミスは微笑んで呼び直した。やはり、綺麗な女性だ…生まれ持った品格というものなのだろうかとつくづく思っていると、ゴセの声が響いた。 「おーい、飯喰いに行くぞー!」 兄の声にディミーは歓声を上げた。いよいよバカンスの始まりだ。このランチだけは町へ繰り出して食べる。食後に町で目一杯遊んだら、滞在中の食材をどっさり買い込んで、全員でビーチへ帰り、その晩から夜は宴会になる。 ディミーとアルテミスは、適当に隣同士のベッドに荷物を置いた。 「さ、行こう! カーラも」 「すぐ行くわ、先に行ってて」 カーラを残して二人は部屋を出ると、廊下でロイに会った。ディミーが紹介してくれた。 「ロイよ、さっきのセスナのパイロット」 「よろしく、アルテミス」 カーラと同じく、黒髪のサングラススタイルで、ロイは穏やかに手を差し出して来た。 「よろしく、ロイさん」 アルテミスは緊張しながらも、微笑んで握手できた。 「ご飯に行くって」 「ああ、行くよ」 ディミーにそう答えながら、ロイは女子部屋の方へ歩いて行った。カーラの様子を見に行った事は一目瞭然だった。 階段を下りながら居間を見渡すと、アレンはメッカやニック達と、ジョーはサラ夫妻と話していた。ジョーはやはり楽しそうだ。アルテミスはちくちくと心がささくれる様な感じを、一生懸命押し殺して、階段を下りた。 女子部屋には、一人きり、カーラがベッドの脇に立っていた。開け放たれているドアを形だけノックすると、ロイはカーラに歩み寄った。 「海賊アルテミスってのは、本物は髪短いんだな」 とロイは話しかけた。しかし、カーラに返事をする余裕は無い。黙ったまま床を見ている。 「ま、もっとも、おまえだって、あんな幽霊みたいに髪長くないもんな」 膝まである長い長い黒髪をゆらゆらとなびかせた女海賊カーラが、丸いステップの上で浮いていた。 薄暗い室内で、彼女は半透明にキラキラと光りながら、挑戦者へ微笑んでいる。 『私は海賊カーラ。1億ドルの賞金が欲しければ、いつでもお相手致しますわよ。さあ、剣を構えなさい! 行きますわよ!』 半透明のカーラは、大きく剣を振り下ろした。 「うわああああああ!」 大絶叫を上げて、メッカも剣を振った。が、ビカビカと激しく光が点滅し、 『腕を磨いて出直していらっしゃい! おほほほほ!』 と、半透明のカーラは高らかに笑いながら消えた。チャラララ〜と残念そうなメロディーが流れて、カーラのいたステップは空になり、ゲームマシンがボタンを光らせていた。 「やられた〜〜!」 「メッカ、だらしな〜い!」 ディミーを始め、ニック、ケンも大笑いしている。 今年、新しく出来たゲームスポットだった。目玉はこの、海賊に挑戦できるゲーム。選んだ海賊がリアルなホログラフィで現れる。 「カーラ、かっこいい〜」 ディミーは大はしゃぎだ。 「私、こんな格好、一度だってしたコトないのよ?」 盛り上がっている友人に水を差すようで気が引けたが、でも不本意なデザインなので、カーラは一応訂正をしておく。それにしても、あの口調は何? 王女だったからってだけで、ありえない言葉遣いだ。さらには…「おほほほ」って…。 カーラはローガーナの言葉で、隣に立っているロイにそっと訊いた。 「ねえ、私、あんなふうに笑ってる?」 ロイは静かに答えた。 「…実物とイメージってのは、一致しないモンだ」 これはフォローにならなかった。つまり“おほほほ”というイメージだという事だ。カーラは萎えた。 「ったく、強いよなぁ、カーラ。本当にこんなに強いの?」 メッカが笑いながら言った。 「こんなのただのプログラムじゃないの」 カーラはうんざりして答えた。 「なあ、カーラが相手してみたら?」 「カーラ対カーラ! 面白そう!」 ケンの発案にニックが乗ってはしゃぐ。 「カーラは本当に戦ったりしてたわけじゃないんだから」 ディミーがそう言ったが、いいじゃん、ゲームゲーム、とはしゃぐ男達は、やっぱり本人同士は悪趣味だから、本人以外の海賊を相手にという事で、勝手にボタンをあれこれ押した。無作為に押されたボタンで現れたのは、浅黒い大男の、ビジュアル的にはまったくイケテナイ海賊だった。そのあまりのジャンル違いに、ニック達は腹を抱えて笑っている。そしてカーラに、ステップに立つよう囃し立てた。 カーラはロイを見た。ロイは前方を向いたままぼそりと呟いた。 「さすがに鈍ってるだろうからなぁ」 その言葉はカーラのスイッチを押した。くるりと踵を返し、ツカツカとゲーム機の前へ出ると、剣を掴んだ。そして、ステップに上がると、全く無駄の無い、美しい動作で、剣をすっ…と構えた。 ホログラフィの海賊がわめいた。 『さあ! 剣を構えろ! 行くぜ、げははははーーーー!』 海賊の大きな斧がブウーンと重低音と共に振り下ろされた。空気がびりびりと震える。次の瞬間、カーラはステップの上にはいなかった。空中でカーラの剣がキラリと光り、一筋の光の線を引くと、何事も無かったかのように、カーラは着地した。ホログラフィの海賊は、大きく仰け反って、大音響と共に倒れた。ファンファーレが響きゲーム機のイルミネーションが激しく点滅し、コインがジャラジャラと吐き出された。大はしゃぎしている仲間をすり抜けて、カーラはロイの隣へ戻った。 「鈍ってたかしら、お師匠様」 「まぁまぁだな」 そう答えるロイの口元は、さりげなく手で隠されていたが、にやけるのを堪え切れていなかった。 ローガーナで暮らしていた日々、彼女に乞われるまま武術の手ほどきを、ロイは個人的にしていた。男勝りな、勝気な、真面目な、優秀な弟子。彼女の真摯な姿に応えて、ロイも本気で教えた。教えながらも、この術を使う日など永遠に来ないように願っていた。 実際に使いこそしなかったが……。 つい、感傷的な思考に陥りそうになったロイは、とんと身体が揺れて思考が途切れた。ゲームコーナーの賑々しい音が濁流のように耳に雪崩れ込む。カーラがわき腹を小突いたのだった。隣でつんとそっぽを向いて立っている。 そう、立っている。いるのだ。確かにここに彼女は存在している。 ざらつきかけたロイの胸の内は滑らかになり、笑みが浮かんだ。そのままロイはカーラを見つめた。唇を尖らせながら前方を向いる彼女が、振り向かないと確信していたから――。 この後、皆で屋外映画を観るため、その準備で別行動をしていたメンバーのうち、ゴセとアルテミスがゲームフロアへ下りて来た。ちょうどディミーが海賊アレンに斬られたところだった。 「いやん、悔しい! あ、アルテミスもやってみる?」 ホログラフィのアレンが消える瞬間を見て驚いているアルテミスに、ディミーは言った。 「何?」 「これでアレンをやっつけるのよ!」 剣を差し出す。 「おまえ、何て残酷な事言うんだよ」 大袈裟に言うゴセに、ゲームよゲームと笑う。アルテミスは、たった今垣間見たアレンをしっかりと見たくて、ゲームをやると即答した。メッカ達が、お〜!と沸く。アルテミスはステップに上がり、受け取った剣を構えた。しかしその構えは、右肩に担ぐような構えで、どう見ても変だ。見かねたディミーが手解きをして、ようやくそれなりに構えた。 「スタートするよ」 「はい!」 ケンがボタンを押すと、半透明のアレンがゆらりと現れた。ポスターで見たようなマントを翻して立っている。にやりと笑いながら喋った。 『俺は海賊アレン。5億ドルの賞金が欲しければ、いつでも相手になるぞ』 声も良く似せてある。 アルテミスは、そのカッコ良さに思わず照れて、ディミーを振り向きエヘヘと笑ってしまった。 「照れてる場合じゃないわよ!」 「来るぞ!」 ワイワイと騒がれているうちに、海賊アレンが言った。 『来ないのか? なら、行くぞ』 アルテミスははっとアレンに向き直り、たぁーー!と叫びながら剣を振り払った。 その動きはまるで…子供のチャンバラだった…。 『あははは! 顔を洗って出直して来るんだな!』 そう言って、海賊アレンは消えて行った。 「え、私、負け?」 皆、大爆笑だった。 勝敗さえ判らないアルテミスを、カーラとロイは唖然と見ていた。カーラは軽く怒りさえ感じていた。何たる無様な動作か。記憶を無くしたとは言っても、身体は覚えているはずなのに。海賊アルテミスは剣に長けた女海賊だと噂なはず。 ちょうどそこへ、本人のアレンがやって来た。ゴセが噛み付く。 「あ、この人でなしめ!」 「私、今、あなたに斬られちゃったの」 「私もよ」 ディミーが説明すると、アレンは居心地が悪そうに 「そんなのするなよ」 と言った。 「なあ、アルテミスは? 出してみない?」 ニックの言葉に、皆大賛成して、さっそく番号を探し始めた。アレンは慌てて言った。 「映画、始まる時間だぜ。行くぞ」 この後は、屋外にあるローン・シネマで映画を観る予定だった。 「え〜残念。あ、でも、映画なに?」 「サスペンスだよな」 「え、俺、ホラー希望したんだけど」 「ラブロマンスよ!」 「映画はアクションだっての」 幸い、皆すぐに映画の方へと興味が移った。アレンはほっとして、 「全部楽しめるのがあったよ」 と言い、芝生広場へ移動するべく、先頭を切ってゲームコーナーを出た。 階段を上がって、ゲームフロアを見下ろす1階フロアを横切り、出口へ向かった。 「さぁ、映画よ、行きましょう」 1階のフロアデッキにある休憩コーナーの椅子に座って、階下のゲームフロアで騒ぐ仲間を見下ろしていたジョーに、ミネルバが声をかけた。ジョーは面倒くさそうにミネルバを見上げて、 「オレ、映画はロマンポルノしか興味ないんだよな」 と言った。 「そう。でもきっと楽しいわよ?」 微笑みながらミネルバは、ぷすっとジョーの腕に小さなスタンプを打った。 「痛て! 何したんだよ、うわ、注射?」 「バカンス初日は、団体行動に従事してよね。ルールでしょ」 「何の薬だよ、ミネルバ…! あ、力が…」 ミネルバは夫を呼んで、ジョーに肩を貸すよう頼んだ。ジョーはおとなしくふらふらと歩いて行く。 (ただのビタミン剤なのに。ジョーったら、付き合い良いんだから) 夫とジョーの後ろ姿を見ながら、ミネルバはくすくすと笑った。 巨大ショッピングモールの一角にある屋外映画での映画鑑賞が終わった。 芝生の上に並んで座っていたアルテミスに、アレンは訊いた。 「大丈夫だった? ホラー部分」 「うん、面白かった」 「……そうか。苦手だったはずだからさ」 そう、確かにアルテミスは、ホラー映画は苦手だと言っていた。アースエリアのコロニー E19ダンで、仕事がらみではあったが二度目の再会をし、思いがけずに街をぶらぶら歩いた時に、公園でランチしながら話した。その事をアレンはしっかり覚えていた。 「そうなの? 全然平気よ?」 なのに、アルテミスは満面の笑みで言う。本当に楽しめたようだ。 「…なら、良かった」 どこか釈然としない気持ちが胸に広がりながらも、苦手なモノが減るのは良い事だと考えて、アレンも微笑み、納得しようとした。 伸びをして、芝生の上に立ち上がったアルテミスは、ジョーと視線が合った。ずいぶんと後方で、サラやミネルバの側で寝そべって映画を観ていたようだ。まだその状態でこちらを見ている。動かない。何を考えているのか、その表情からは読めない。読めないが、どうしてそんな風に黙ったままで見ているんだろう。 (睨んでる…?) アルテミスの胸に不安が急速に広がった。今このまま走り寄って行って、きれいさっぱり謝ってしまいたい思いが溢れてくる。 が、ふいに肩を抱かれて我に返った。 「さ、買い出しだ」 アレンに身体を持って行かれ、そのままアルテミスは歩き出さざるを得なかった。ジョーの方も、ミネルバに声をかけられ、のそのそと立ち上がった。そして、もうアルテミスを見る事は無く、くるりと背を向け、サラと並んで歩いて行く。 その後ろ姿を恨めしく見ながら思った。 「怒ってるんだ…」 「え?」 アレンに問われて、アルテミスはびっくりした。声に出して呟いていたらしい。アレンに聞かれてしまったようだ。心臓が駆け始める。 「俺、怒ってないよ?」 「う、うん、分かってる」 「じゃ、誰?」 「……」 もう、白状してしまうしかない。願わくば、アレンに呆れられませんように…なるべく感じ良く説明しなくちゃ…! 「ジョーさん」 「ジョー? ジョーが何でアリーを?」 「そ、それは、あの、お店で、大事な商品を勝手に弄って……」 「……? そんなコトで怒るわけないじゃないか…?」 それはごもっとも。説得力に欠ける…。でも、やっぱり、頭突きしたなんてアレンには言えない。 「気になるなら、ジョーに訊いてみようか?」 彼女は焦った。 「ううん、いい、いい、大丈夫! やっぱり気のせいだと思うから。ごめんなさい、変な事言って」 アレンの腕を抱き込むように腕をまわすと、今夜のメニューは何にするのかしらと話題を振って、皆の後に続いてショッピングモールの中へと入って行った。 バカンス初日の夜は、雲り空だった。灰色の雲が、月も星も隠してゆたゆたと夜空を流れて行く。 そんな空模様はお構い無しの面々が夕食を終えて、アルコールの入ったグラスや、花火を持って、ビーチハウスの前庭へと出て来た。 「ニック、打ち上げは?」 「ありますとも〜!」 花火を広げるディミー達の側にいるアルテミスの腕をそっと取ってアレンが囁いた。 「中に入ろう」 ハウスの方へ導かれながら、アルテミスは訊いた。 「花火しないの?」 「え…?」 アレンは振り返った。 「…苦手だろ、花火」 「え?」 「打ち上げ花火の……、大きな音が」 「……そうなの?」 アルテミスは、アレンの目を見つめながら、記憶の引き出しを一生懸命開けてみるが、花火の音に関しての引き出しは見つけられなかった。 「大丈夫な気がする。もし怖かったら、中に逃げるわ」 彼女はぽんと軽く言うと、にっこり笑った。しかし、アレンの頭にはあの時のアルテミスが消えない。 ( そんなわけない。俺の腕にしがみ付いてたんだ) そうこうしているうちに、ニックが砂に打ち上げ花火を挿して、 「じゃあ、まず、一発目、景気良く行くぜー」 と言うと、点火した。シュッと鋭い音を立てて、暗い夜の空へと光の線が伸びる。音の消えた瞬間、ぱん!と大輪の花が弾けた。 歓声が上がる。アレンの隣で花火を見上げていたアルテミスは、音に驚くことも無く、赤や緑にチラチラと照らされながら、 「きれいね!」 と、笑顔でアレンに言った。 皆が手に手に花火を煌かせて騒ぎ出す中、ディミーに手招きされて、アルテミスは打ち上げ花火を打ち上げた。自分で咲かせた夜空の花に大喜びしている。 一般人が手動で打ち上げる手軽な花火なので、打ち上げマシンで扱うような花火とは、花の大きさも音も比較にならない程小さい。花開く時の、骨に響くような「どん!」という音も、もちろんない。 …だから。だから怖くないんだ、きっと。本当は――アルテミスは打ち上げ花火が怖いはずなんだから。 アレンが無理やり納得しかけた時、 「彼女があんなに楽しそうなのに、なんでお前はそんな難しい顔してんの?」 ふいに声がした。どきりとして振り向くと、ジョーが立っていた。 難しい顔と言われて、アレンはすぐに返事が出来なかった。ジョーは黙ったままのアレンから、はしゃぐアルテミスへと視線を移した。アレンもアルテミスを見た。そしてぽつりと漏らす。 「アルテミスは、打ち上げ花火は苦手なはずなんだ」 「……。良かったじゃん、楽しめるようになって」 しかし、ジョーの言葉にアレンは頷かない。暫く二人は黙ったまま、騒ぐ連中を見ていたが、ジョーが口を切った。 「海賊アルテミスってのは、あんなふうに笑うもんなのか?」 この言葉は、アレンの胸をドン!と叩いた。 「……どういう意味だよ」 「笑わないってイメージだったからさ、海賊アルテミスって」 心臓がどくどくと重い。イメージだなんて、一般人みたいな事をしゃあしゃあと抜かすジョーに苛立つ。勝手にイメージされてうんざりしている側なくせに。 「何言ってんだよ、笑わないわけ無いだろ」 「そうか、じゃ、おまえも楽しそうに笑えよ。つか、楽しいだろ?」 ジョーはアレンの背中を軽く叩くと、ふらりと歩き出した。もやもやとしたモノを胸に広げながら、アレンは暗闇へと飲まれて行くジョーを見ていた。 「アレーン! ちょっと中入って手伝えー」 ハウスの中からサラがアレンを呼んだ。胸のあちこちに引っかかっているジョーの言葉から意識を逸らすように、アレンはハウスの中へと入って行った。 色とりどりの花火に照らされながらはしゃいでいる輪の中で、アルテミスは砂浜を歩いて行くジョーの後姿に気付いた。一人だ。アルテミスはアレンを捜した。ハウスの大窓から室内に居るアレンが確認できた。リビングを通り、奥のキッチンへと向かって、見えなくなった。 ディミーはニックとワーワーやっている。 アルテミスはそっと後ずさって輪から離れると、くるりと向きを変え、ジョーの後を追って走り出した。 穏やかな夜の波の音に混ざって、異質な音が背後から迫って来るのにジョーは気付いた。息遣いか。 「待って、待って…!」 囁くような叫び声も聞こえ始め、ジョーが振り向くと、砂を蹴散らしながら接近してくる影が見て取れた。月が出ていないので顔は良く判らない。だが……。ジョーの胸は俄かに騒ぎ出した。彼女だと直感した。今日一日、遠くから見る事しかできなかたった彼女が、今、自分に向かって走って来ている。彼女の服は濃い色なので、月の隠れた闇に同化してしまっているが、その白い腕や足は浮かび上がりひらひらと舞っている。ふいに幻想的な気分に囚われ見つめているうちに、みるみる近寄って来たその影は、やはり彼女だった。 かろうじて表情には出さずにいられたが、かなり激しく混乱しているジョーの目の前で、いきなり彼女は宙を飛んだ。条件反射でジョーは身体が動いたが、手が届く前に彼女は砂に突っ伏していた。パーフェクトなヘッドスライディングだった。 顔をあげて、砂を払う彼女を見て、ジョーは一気に気が抜けた。 ああ、そうだった、何もない所でも器用に転べるヤツだったっけ。 可笑しさがこみ上げてきて、つい吹き出しながらジョーは言った。 「何やってんだよ、おまえ……!」 ぶくくく…と笑う。手を差し出した。今度はちゃんと届く距離だ。 オレの手なんか、頼らねぇか…。 と、柄にも無く弱気な事を思った瞬間、彼女はがっとその手を握った。すごい勢いで。両手でしっかりと。そして、流暢な共通語で 「仲直りしましょう!」 と彼女は言った。叫びに近かった。突然の台詞が理解できずに、ジョーは聞き返した。 「は?」 「この間の事は、悪かったって思ってるわ。あなたはずいぶん失礼だったけど、でも、確かに私も大人気なかったって反省してるの! だから、もう、お互い許し合って、私達仲良しになりましょう!」 ぎゅぎゅうと握られる手で、彼女の切迫した心境が伝わる。しかし…。パーズンでの一件の事だと察しは付くが、夜の海辺で砂まみれになってまでする話か? 「宗教の誘い?」 呆れた気持ちのままに、わざと冷めた口調でジョーは言った。彼女は明らかにカチンと来たらしく、 「真面目なのよ!」 と言って、ジョーの手をぶんと振り払い立ち上がった。 「この間の事って何?」 もちろん分かっているが、敢えて訊く。パーズンで会って以来のジョーの気持ちなんてこれっぽちも知らず(当たり前なのだが)、考えもせず(当たり前…)、自分の犯した暴挙だけを気にしてたのかよ。ムカつくぜ(八つ当たりだ)。いじめてやりたい気分がジョーのなかにちくちくと芽生えた。 「…だから、私、……ぶ、ぶっちゃったでしょ、あなたを………」 もごもごと言い難そうに顔を伏せる。 「あ〜、がつんと頭突きされたアレね」 言いながら顎をさする。みるみる彼女は、今まで何度も見て来た、泣きそうな顔になった。 「で?」 「で、あなたは、怒ってる……」 「………。なんだそりゃ……」 「だって今日もずっと睨んでたじゃない…!」 「睨んでなんかねぇよ」 ジョーの鼓動が早くなる。睨んでいたつもりはなかった。ただ…、ただ見ていただけだった。無意識に目で追っていた。捜していた。それだけだ。そしてそれは、彼女にも気付かれていたという事だ。睨まれているという誤解付きではあるが。思わず溜息が出た。 「じゃあ、怒ってない?」 まだ疑いながらも、彼女はおずおずと尋ねた。希望が込められている声色だ。 希望。そう、彼女はずっと気にしていたんだろう。“仲良し”じゃない状態を。 とうとうこんな強硬手段に出て、必死に現状打破しようと目の前に立っている彼女が、どうしようもなく可愛いく思えた。そして、可愛く思ってしまった自分にうろたえた。居心地の悪さが腹立たしい。 「バーカ」 ジョーは、彼女の頭の砂を乱暴に、……でも優しく払う。 「バカとは何よ……!」 彼女は反論の言葉が強く言い切れなかった。ジョーの大きな手に揺らされる髪の感触が、じんじんと頭に伝わって、何故か胸が甘くなる。 「わ、私、毎日ずっと、気にしてたんだから…。昨日だって、ちっとも話してくれる雰囲気なかったじゃない」 「オレは話しかけただろーが。具合はもういいのかよって」 「そうだけど、その後……、今日だって……」 その後は完全無視だったじゃない。今日だって一度も喋ってくれなかった、挨拶さえも…。と彼女は思ったが、それらは言葉に出来なかった。何だか…変な気分になって来たからだ。――まるで拗ねているようだ。 と、髪を払っていたジョーの手が、彼女の額に触れて止まった。 灰色の雲が風に流され、円に近い月の半分が空に光った。その朧げな月明かりに照らされた彼女の白い額には、小さな傷痕があった。 オレと同じ場所に傷がある――――。 ジョーは平静を装いながらも驚いた。同じ場所に、同じような傷痕。ただ、それだけのことでどうしようもなく胸が甘く疼く。 どんな出来事で付いた傷なのだろう。コイツは、多分、この傷の誕生秘話を知らない。だから野放しなんだ。 コイツに良く似たリラは隠していた。隠していた理由は何だろう。オレが額に帯をしている理由はオレ自身が傷痕を見たくないからだが、彼女もそうだったのだろうか。 もし、コイツがリラだったら、見られたくないモノを見られちまって、可哀想だよな。もし、もし、リラだったら、そして傷ついたら、オレの額を見せてやろう。少しは慰めになるかもしれない。ちっともならないかもしれないけどな。 ジョーは、アレンの連れて来た“彼女”とリラが同一人物だとは決め兼ねていた。敢えて決めずにいた。判断できるほど、結論に納得できるほど、まだ“彼女”を知らなかったからだ。 気紛れな雲がまた月をすっぽりと覆い隠してしまったので、彼女の額は闇色へと減色した。傷痕ももう判別できない。有ると知っている指先だけが、その微かな凹凸を感じ取る。 額の傷痕をそっとなぞりながら、でもその事には触れずにジョーは言った。 「“今日だって一度も話してない”ってか? はは〜ん、寂しかったんだ」 パーズンで初めて会った時のような、ナルシスト満載の口ぶりだが、見下ろす目は柔らかい。 ジョーの目を見ているうちに、彼女の鼓動は駆け足になった。それが理解できずに焦る。焦るので尚更、脈は早くなる。 とりあえず勢いで自分自身を誤魔化そうと、 「ジョーさん! そういう事言うから私だって、」 「“さん”余計。気持ち悪ぃ」 「、、、だから、そういう事言うから、」 「“頭突きしちゃうのよ”?」 「分かってるなら、」 「はいはい、よーく覚えておくよ」 言うなり、ジョーは彼女の額から指を動かした。一瞬唇に触れた指は、しかし無情にもぱちんと唇を弾いた。 何が起こったのか、すぐにはわからずに呆然としている彼女に、 「砂喰ってるぜ」 と、ジョーはにやりと笑った。 「痛ぁ〜…い……」 ジョーは、だせーと言いながら笑う。彼女は一生懸命唇をこすったが、もともと手に砂が付いていたので、口元は砂まみれになってしまった。それを見て、ますますジョーは笑う。バーカとかマヌケとかさんざん言いながら。 そして、ポケットから煙草を取り出すと、1本咥え火を点けた。 「じゃーな」 ふーっと煙を吐き出すと、ジョーはくるりと背を向け歩き出した。 「どこ行くの? 」 思わず訊いた。 「野暮な事は訊くんじゃねーよ、メット泥棒のボーズ」 「泥棒じゃないしボーズじゃない! バカ!」 あぁ、しまった! またバカ呼ばわりしてしまった。アレンの親友を…! しかし、ジョーは笑いながらどんどんと闇へ溶け込んで行く。 「ジョー!」 一瞬、ジョーは立ち止まった。だがすぐに、振り向きもせずそのまま土手を登り、あっと言う間にその向こうへと消えてしまった。 彼の残した煙草の香り、密かにお気に入りのその香りだけが、アルテミスをそっと包んでいたが、あまりに儚い残り香は、すぐに潮風に流され消えてしまった。ジョーの姿と煙草の香り、両方がなくなって、ことさら一人残された事実が際立ち、やたらと寂しい気持ちに襲われた。 (月でも出ていれば、こんなに暗くはないのに) 寂しいのは、暗いせい。そう思いながら、アルテミスは戻るために向きを変えた。 アレンがサラの後に続いてキッチンに入ると、ミネルバとカーラがそれぞれ大皿につまみを作っていた。 「美味そう〜」 「美味そうじゃなくて、美味いのよ、ダーリン」 そう言いながらミネルバは、てきぱきと盛り付けを終わらせ、サラに大皿を渡した。彼はそれを持って外へ出て行った。 「俺はどれを運べばいいの?」 ジョーとのやりとりで穏やかではない胸中を押し殺して、アレンはミネルバに声をかけた。 「ありがと、アレン。カーラが作ってるサラダよ」 「OK」 カーラは蒸したチキンを小さくカットしていた。それらをサラダの上へ乗せるらしい。赤や黄色のパプリカが散っていて、見た目も美しいチキンサラダだ。美しい女友達が、美しい動作で作り出す、美しいサラダ。 「カーラ、手際いいなぁ。やっぱ女の子なんだな」 アレンは本気で褒めた。カーラの方が一歳年上だが、そんなコトは気にしない。“女の子”だ。アレンの何気ない一言は、カーラには呼吸が止まる程の威力があった。 「一人暮らしだもの」 声が裏返らないよう、やっとの思いで、それだけ言う。 「俺だって一人暮らしだけど、料理なんてしないぜ。せいぜいレトルトチン。なぁ、ロイ?」 アレンは何も疑わずに、同じ境遇(一人暮らしの男)のロイに振った。しかし、 「俺、自炊してるよ」 「え!」 アレンは驚いた。付き合いが短いわけではないのに、ロイのそんな面は知らなかった。 「ロイの腕前はプロ級なのよ」 今度、ご馳走してもらいましょうよね。と言いながら、グラスを乗せたトレイを持って、ミネルバも出て行った。 「マジで? 料理、好きなの?」 プロ級の腕前と言われながら、壁に寄りかかって何もしていないロイに、アレンは訊いた。 「好き・嫌いじゃなく、必要に駆られて」 「一人暮らしって事?」 「はい! 出来たわよ、持ってって!」 その話題は切らなくては!とばかりに、カーラがトレイをアレンの前に置いた。チキンサラダと、たくさんの取り皿が乗っている。 「お〜、すっげ〜! カーラ、いいカミさんになるな」 またまたそんな一言が、カーラにどれだけの破壊力をもたらすかなど考えるわけもなく、アレンは放った。そしてトレイを持つと、 「カーラ達も外に出て、花火しようよ。遊んでないだろ?」 カーラは、こくこくと頷いた。言葉の出せない彼女の代わりに、ロイが言った。 「サンキュー、後でな」 アレンはトレイを傾けないように表へと出て行った。 それを確認して、カーラはがっくりと調理台へ覆いかぶさるように倒れこんだ。そんな彼女にロイは言った。 「毎年の付け焼刃は役に立ってるな、良かったな」 玄関のステップを降りてすぐにあるテーブルとベンチのコーナーに、アレンはトレイを運び終え、花火に興じる面々を見つめた。アルテミスを捜す。が、いない。暗闇の左右のビーチを見る。砂浜をずっと左へ行った闇の中から、ぼう…と人影が現れた。走って来る。すぐにその影は、アルテミスに形成された。 「あれ、アルテミス? どこ行ってたの?」 ビールのジョッキを片手に、すでに酔っているゴセが大声で言った。全力疾走で辿り着いたアルテミスは、息も切れ切れに報告した。 「ジョーは脱走しました」 「一晩もいい子にできねぇのか、アイツは。若いって、いいなぁ!」 ゴセの言葉にサラが笑う。ミネルバは、ルール違反はお仕置きしなくちゃ、と策士顔だ。 アレンは…、アレンは笑えなかった。アレンの目の前で呼吸を整えながら、ゴセたちと笑っているアルテミスに、ムーンベース語で訊いた。 「ジョーと話せた?」 「うん。アレンの言った通り、勘違いだった」 彼女は今までにも増して、眩しいほどの笑顔だ。ジョーへの気掛かりは、そんなに大きかったのか? 「初めてパーズンに行った日にね、お店の方で私一人だったじゃない? つい、飾ってあったヘルメットを被ってみちゃったの。そしたらそこへジョーが入って来て、私、彼がジョーだなんて知らないし、ジョーは多分、私のコト、ファンの子だと勘違いしてて、なんか話がちぐはぐしちゃって、結構失礼な事、私言っちゃったの。だからね、怒っちゃったかなぁって、ずっと気になってて。でも大丈夫だった」 蟠りが解けて安心したのか、堰を切ったように打ち明けると、彼女はあははと笑った。 失礼な事とは、どんな事だろう……あれ、ついさっきまでジョーさんと呼んでいたはずだが……。それにしても、ジョーからそれらしい話は何も聞いていない。要するに、ジョーがまったく気にしていない程の、本当に些細な事なのだろう。アリーばかりがこんなに気にしていたなんて。 「そうか、良かったな」 釈然としないが、とりあえず言った。すると彼女は、 「うん、良かった。アレンの親友なのに、このまま喋れなかったらどうしようかと思った」 と言って、心底ほっとした様子で微笑んだ。 彼女が必死になっていた訳が理解できたアレンは、こみ上げてくる愛しさに、思わず抱き寄せそうになったが、さすがに堪えて、伸ばしかけた手を彼女の頭に乗せた。そっと髪を撫でる。ふと、手に砂粒が付いた。アレンはそっと彼女の髪を払う。彼女はおとなしくされるがままだった。 「転んだ?」 「うん、へへ、ドジよね」 恥ずかしい。転んだ事がバレたのも、こんなふうに人前で髪をいじられるのも。さっきは…、さっき、ジョーに髪を払われていた時は誰もいなかったし、相手はジョーだったから、恥ずかしくなかった。 ―――どきどきしてたじゃない? 頭の中で、誰かの声がした。 はっとした瞬間、ゴセがアレンとアルテミスの間にぐいと入って来た。 「暗号みたいな言葉は、禁止でーす!」 「同郷だったんだってね、二人は?」 サラがアレンたちに訊いて来た。アレンがそうだと答える前に、 「でも、俺達といる時はダメーーーー! なんか、なんかさあ、二人の世界〜みたいでさぁ、俺達入れませ〜んみたいでさぁ、寂しいんだよぉ、寂しいんだよぉぉぉぉ、なぁ、アレン〜〜〜!」 おいおいとアレンにしがみ付いて泣く(真似)ゴセ。 「この酔っ払い、何とかしてくれ」 アレンは、ベンチの方へとゴセを引き摺った。 「ゴセだって、ディミーとは御国言葉で喋ってるのになぁ」 ほんとよね、とミネルバとサラ。その横でアルテミスは、ただ笑っていた。 ハウスの灯りも消えて、ビーチに灯りは無く静かだった。寄せては返す波の音だけが優しく繰り返す。 ベッドの中でアルテミスは窓の外に広がる夜空を見ていた。相変わらず灰色の雲がゆたゆたと広がっている。ところどころ、雲の隙間から星の瞬きが見えるが、見えたかと思うと、すぐに隠されてしまう。何とも心もとない光だ。そんな光を待ったりしていないで眠らなくちゃと目を閉じるのだが――訪れる闇はジョーと居たあの闇。どきどきしていた闇。 どきどきするなんて…!と、後ろめたさに悶々としていたのだが、とうとう彼女は思い直した。 どきどきしても仕方なかったのかも。だって、あの人は初対面でもキスとかできちゃいそうな(パーズンで、私のコト知らなかった時、キスがどーのとか言ってたし!)、今だってきっとどこかで遊んでるんだし(詮索するのは野暮な遊び)、女の子にすっごい人気のある海賊なんだし、要するに女の扱いが手馴れてる。だからどきどきしちゃっても仕方ない。ただそれだけ。 私は状況にどきどきしちゃっただけで、ジョーにどきどきしたわけじゃない。だってあの人はアレンの親友だもの。 結論に達したアルテミスは安心して目を閉じた。目を閉じて、ジョーのいる闇が思い出されてうっかりどきどきしてしまっても、もうしっかりとした理由がある。 そうして彼女は、うしろめたさを感じる事無く、いつの間にか眠りの闇へと落ちて行った。 密かに唯一人取り残されたカーラは、短く溜息を付くと、むくりと上体を起こし、向かいのベッドを見た。朧げな闇の中でじっと見つめる。海賊アルテミスだと言う女の横たわる影を。 その頃ジョーは、昼間訪れたショッピングモールにいた。昼間と同様に、地階のゲームフロアを見下ろせる休憩コーナーの椅子に座って、バーチャルバトルゲームに興じる若者達を見ていた。折りしも、ホログラフィで現れたのは海賊ジョーだった。ゲームマシンを取り囲んでいる輪から黄色い歓声が上がる。しかし、その映像にジョーは怒りを覚えた。ありえない衣装だ。絶対にあんな服は着ない、もし万が一、海賊コスをするとしてもだ。 「デザイナー、殺す」 そう呟いて見下ろし続けると、ホログラフィの自分が喋った。 「オレは海賊ジョーだ。さぁ、おいで、子猫ちゃん!」 ジョーは目を閉じた。もちろん、こんなゲームに何かを期待しているわけではない。だが、これは、あまりにも酷いよな。 「メーカー潰す…」 激しい光の瞬きが起こり、ホログラフィのジョーが陽気に言い放った。 「はっは! 一昨日おいで?] 派手にウインクをして海賊ジョーは消えた。残念なメロディーが流れ、女の子達が「もう一回」ときゃーきゃー騒いでいる。しかし、順番待ちをしていた少年達がステップに上がった。 コインを入れようとした少年は、ぐいと肩を押されてステップから足を踏み外した。 「何だよ、てめえ!」 自分をどかしてステップに立った男に向かって少年は怒鳴ったが、周りを囲んでいた仲間達の異様な空気に、改めてステップの男を良く見た。女の子達の囁きが漏れる。 「本物…?」 ステップの男――ジョーは、コインを入れると選択ボタンを押した。光の渦が巻き起こり、その中央に海賊が現れた。俯き加減にゆらりと立ち、顔を上げずに名乗った。 「私は海賊アルテミス。2億ドルの賞金が欲しければ、いつでも相手になるわ。さぁ、剣を」 海賊カーラと違って、なんと覇気のない、無気力そうな喋り方か。それとは対照的に、灰紫色の瞳は過度な程にキラキラと煌いている。その瞳に影を落す睫毛。彼女は一度も相手を見ない。顔を上げない。ジョーは微動だにせず、目の前の海賊アルテミスをじっと見た。 海賊アルテミス。アレンの惚れた女。この女は果たしてリラなのか。つい今しがた仲良しになろうと手を握ってきた女なのか。 海賊アルテミスは、顔を上げないままふわりと飛んで、剣を振り下ろした。立ち尽くしたまま、彼女を見つめていたジョーに、ホログラフィの彼女が重なる。ジョーと海賊アルテミスはゆらゆらとした光で包まれた。 「無駄死にね……」 そう呟くと、海賊アルテミスはすぅ…と消えてしまった。ゲーム・オーバーのメロディが流れる。 (これはやり過ぎとしても……。) ジョーは思う。 (だいたいこんなもんなんだろ、海賊アルテミスってのはよ) 笑わない、めちゃ暗い。「笑わないわけ無いじゃないか」とアレンは言った。確かに笑ったのかもしれない、アレンの前では。オレの前でリラが笑ったように。 海賊アルテミスは、打ち上げ花火が苦手。海賊アルテミスもリラも、額を帯で隠している。 でも、今、ビーチハウスで寝ているだろうアイツは、打ち上げ花火を面白がって、額の傷痕を隠そうとせず、誰とでも楽しそうに笑う。 アイツに、花火を怖がれだの、額を隠せだの、誰とでも笑うななんて、強制はできない、しちゃいけない。 ――アイツはアイツ、別人だ。たとえ「ジョー」と、オレを呼ぶ声がリラとそっくりに聞こえても、だ。 ジョーは、ここ数日間の問いかけに、ようやく答えを出した。それは、ほっとしたような、がっかりしたような、開放感のような、喪失感のような。複雑な気持ちに支配されながらも、とりあえず問題解決の祝杯を上げようと、ゲームフロアから階上へと上がって行った。 |
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第13話 バカンス END | ||
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