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第9話  海 賊
 女海賊アルテミスの戦艦・リンディアーナのACSは確かに最高レベルなのだろうが、今はその優れた機能を、何一つ活かせない状況にあった。

 そもそも、リンディアーナの艦内に入れない。ロック解除のナンバーをアレンは知らないし、アルテミスは覚えていない。固く閉ざされたリンディアーナのハッチは、誰一人として受け入れる事無く静かに光っていた。

 ブレイブアローからいくらコンタクト要請を送っても、船の主が許可しない限り受け入れられる事はない。その主は、リンディアーナから離れたブレイブアローの中、まさにここにいるのだ。

 アレンは迷った末に、とりあえずリンディアーナをここへ置いて、コロニー・ナターシャへ向かう事に決めた。
 ここ木星の第4衛星カリストからナターシャへは、三日あれば到着する。往復六日。
幸い、リンディアーナは長期滞在エリアに停泊していたので、おそらく六日放置したところで問題はなさそうだった。

 ナターシャから戻った後の事は、航行しながら考えるとする。何か名案が浮かぶかもしれないし、何より彼女の記憶が戻るかもしれない。とにかく今はナターシャへ向かわねば、本当に間に合わなくなってしまう。もうぎりぎりなのだ。アルテミスに事情を説明すると、彼女は一も二もなく快諾した。
 こうしてブレイブアローは、記憶の無いアルテミスを乗せたまま、一路ナターシャへと飛び立ったのだった。

 ナターシャへ着くまでの間、アレンは少しづつ無理のないペースで、彼女に太陽系共通語を教えようとしたのだが、すらすらと使っていた言語だというのに、驚くほど彼女は飲み込みが悪かった。あまりに難儀しているので、無理は良くないからと、アレンは止めようとしたのだが、彼女は習得しようと必死だった。
 共通語が話せるようになれば、まるで記憶が戻ると思っているかのようで、見ていてとても痛々しかった。
 


  

 やがて、目指すナターシャへ到着したブレイブアローは、エアポートへ降下した。タラップを下ろすと、アルテミスとソル達を乗せたエアカーでアレンは街へと走り出した。





 ナターシャのセンター街・マーロシティは、華やかに栄えた表のファッション街と、その奥に発展している専門店街で出来ていた。
 アレンの目的地は、専門店街にある。
 でもそこへ行く前に、アレンはアルテミスの衣類を調達するため、ファッション街のパーキングへ車を入れた。彼女の唯一の持ち服――三日前の雨の日に着ていた――を、今日は着用させて来たが、このままリンディアーナに入れないという事態を想定して、新しく女性物の衣服を仕入れておく必要があったからだった。

 共通語の話せない彼女は一人で買い物が出来ない。必然的にアレンが付きっ切りとなる。面倒な事態はなるべく避けたかったので、普段は変装などしないアレンも、今回ばかりはサングラスをかけ帽子を被り、正体が解かりづらいよう工夫して臨んだ。

 更に…。アレンは本人に悟られないようにアルテミスのことも変装させねばならなかった。海賊アルテミスだと気付いた他人が、何を言い出すか分からないし、何より賞金稼ぎに狙われたら、今の彼女はひとたまりもない。もちろん、命に代えても守る覚悟だが、命に代えても守りきれなかったらシャレにならない。とにかく、海賊アルテミスだと気付かれないに越した事はないのだ。
 手っ取り早く、その人目を引く美しい金髪を染めてしまうか、切ってしまうかしたいところだったが、適当かつもっともらしい理由が思い浮かばなかった。切羽詰っていたアレンは、とりあえず“海賊アルテミス”の髪型としては見たことが無い、「おさげ」をさりげなく勧めて実行させることに努力した。いつもそうしていたよ、と空々しい嘘までついて。アルテミスは素直に信じて、長い長い三つ編みを編んだが、なかなか上手く編めなかった。いつもしていたはずの三つ編みがヨレヨレの仕上がりで、こんな事まで忘れているのかと彼女は密かに落ち込んだ。
 しかしその髪型は、アレンにとって試練になった。両の頬を縁取りながら、ウエストのベルトまで届く緩やかな三つ編みを垂らした彼女は、とてつもなく可愛らしかったのだ。
 
 紫外線が強いからと言い訳をして帽子も被せようと試みたが、いかんせん男物なので、大き過ぎて前が見えなくなってしまう。帽子は真っ先に買う事にした。
 こうして、ようやくマーロシティに降り立ったのだった。
 
 次なる試練は、女性の買い物に付き合う事、そのものだった。
通りに面したウインドウを二人で覗き、扱っているイメージを見ながら、彼女の意向を伺い、良ければ店内に入り、店員に共通語が話せない旨を告げ、彼女が困らないよう見守って…と、時間と労力を掛け用を足して行った。
 
 ショッピングモールの広場にある化粧室から出て来たアルテミスが、ベンチに座って待っているアレンの元へ歩き出した時、
「アレン」
と誰かが言うのが聞こえた。思わず足を止めて耳を澄ますと、すぐにまたアレンの名前を囁く声がした。声の流れて来た方を見ると、広場に埋め込まれたオブジェの柱の陰で、三人の女性が興奮した様子で話しながら、アレンの方を見ていた。
早口でひそひそと話しているので、アルテミスには固有名詞の「アレン」しか聞き取れない。
――アレンの知り合い…?
アルテミスは何故、声をかけないのか不思議に思いながらも、ベンチへと歩いて行った。そしてソルとルナの相手をしながら座っているアレンに、
「ねぇ、あなたの知り合いじゃない? 柱のところにいる女の人…三人で…」
と、促した。アレンはベンチに座ったまま、アルテミスの腕越しにそちらをちらりと見た。柱の陰の女性達は小さな悲鳴をあげて、さらに陰へと入り込んだ。
「知らないよ?」
「だって、あなたの名前を言ってたみたいよ…?」
「俺が何だって?」
「他は…ひそひそ声で…聞き取れなかった…」
「ふ〜ん…」
目聡いもんだなとアレンは内心穏やかではなかった。一体この姿のどこを見て俺だってわかるんだろう? とにかくこの場から離れた方が良いと、アレンはたくさんのショッピングバッグを持って立ち上がった。

 パーキングへ歩く途中、アイスクリームショップを発見した二人は立ち止まった。
数ヶ月前にアルテミスと作った思い出が、アイスクリームよりも甘く蘇ったアレンは、切なさで胸がぎゅっとした。その彼女は、今もこうして隣にいるのに…同じ思い出は彼女の中にはない…。ふと、彼女が自分を振り向いた。目を逸らせずに、彼女のブルーグレイの瞳を見詰めていると、
「はいはい、私が行くわよ」
とアルテミスは笑いながら肩をすくめた。アレンは思わず聞き返した。
「え?」
「何にする? やっぱりイチゴ系?」
「覚えてるのか……?」
アレンの胸は高鳴った。アルテミスは、はたと動きを止め、アレンをじっと見た。
「……前にも……。…どこで…?……どこ…」
アルテミスは必死に思い出そうと試みたが、はっきりとしたビジョンは浮かばないようだった。
「無理するなって。でも、そうだよ、前にもアルテミスに行ってもらった」
こうして少しずつ記憶の欠片を集めて、いつか全て揃う日が来るんじゃないか…と、アレンは思えて来た。
「どこでだっけ?」
「…あれはね、E19“ダン”……地球の近くのコロニー。ばったり会ったんだよ」
アレンはまだ、ジーナの事は何一つ話題にしていなかった。彼女の口からジーナの名前が出てからにしようと決めていた。ジーナの存在と喪失は、恐らく今回の記憶喪失の要因の一つだろうと思っていたからだ。

 アレンは迷う事無くイチゴ味のピンク色、アルテミスは少し悩んで、アレンと同じ物にした。
 アイスクリームを舐めながら車まで歩いた。トランクを開けて、買い込んだ物を置くと、アレンは電話をかけた。すぐに相手は出た。がらがらに枯れた太い声が携帯電話から漏れて来る。
「よーう、アレン! 待ってたぜ! どこからだ?」
「マーロ・シティだ」
「マーロ? ヘイヘイヘーイ、ジュピターエリア1のトレンドの都っ、マーロ・シッティィィィ!」
何を言っているかは分からないが、そのハイテンションな声にアルテミスはくすくす笑いながら、車に寄りかかった。アイスクリームを舐めながら、スカイビジョンを見上げる。夕方の照度へと、ゆっくりと変わり始めていた。
 ふと、甘い香りが鼻をついた。懐かしい……、知っている香りだ。
(煙草……!)
ふいにそれが、煙草の香りであると確信した。
キョロキョロとあたりを見渡した彼女は、少し離れた場所にいる数人の男性達から煙草の煙が上がっているのを発見した。煙草を持っている人は……、顔を見る。
(違う……)
心の中で呟いたが、はっとした。
(違うって――「誰」じゃなかったの?)
胸が騒ぎ出す。この香りは私にとって誰の香りなの……! どんな意味の香りなの…?
真っ暗な頭の中をじりじりしながら手探りで歩くような感覚で、必死に思い出そうとしていた時に、
「アルテミス…」
と、名前を呼ばれた。アレンを見やる。電話中の背中が見えるだけだ。アレンが呼んだのではない。
「アルテミス――」
また聞こえた。誰? どこ? 
 パーキングを囲うフェンスの向こうで、こちらを見ている青年達がいた。アルテミスが自分達を見ていると知って騒然としている。
見覚えの無い顔だが、こちらの事は知っているようだ…。
 電話を終えたアレンがアルテミスを振り返り、声を掛けた。
「お待たせ。行くとするか」
アレンは、ぼーっと通りを見ているアルテミスの様子に気付いた。
「どうした?」
「あの人達…私の知り合いかも……」
「知り合い?」
「私の名前を知ってるの」
アレンは彼女の視線の先にいる数人を見た。殺気はまるで感じられない。賞金稼ぎではなく、海賊アルテミスのファンであろう事は明白だった。
「聞き間違いだよ、さ、乗って」
「でも…」
「だって、こっちに来ないじゃん」
それもそうだ…。知り合いなら、直接話しに来るはずだ。さっきのアレンの件といい、今回といい、変な出来事だなと少し思いながらも、アルテミスは納得して、エアカーに乗り込んだ。
こうなると怪我の巧妙だ。彼女が共通語を使えない状態で良かったと、アレンは内心思いながら車を発進させた。





 夕闇が急速に濃さを増して行き、はるか後方にエアポートの灯りが瞬き始めた。
「キレイ」
アルテミスがシート越しに身体をよじってエアポートを見つめながら言った。
「ん?」
「エアポート」
「ああ」
「光がね、ころころ転がってるみたいに見えるの。光のキャンディ」
「飴玉か」
「うん。可愛くてキレイ」
あぁ、可愛くてキレイなのはアルテミスだよ…と、心の中でしみじみ思いながら、アレンは正面を向いたまま、一人高鳴る胸を鎮めた。
「バイクの部品、だっけ」
「そう、プラグ」
「ワッチさんのお店」
「うん。友達がさ、どうしてもワッチのプラグが良いって言ってさ」
「その部品すごいのね?」
「らしいよ。ジョーの見立てだとね」
「ジョー…?」
「あぁ、バイクチームの友達。レースチーム創設者って言うか。もしこのままアルテミスの記憶がなかなか戻らなかったら、会えるよ、地球で」
「……」
アルテミスの胸の隅で、何かがこそりと動いた。でもそれは、アルテミス自信にさえ気付かれないほどの、小さな小さな変化だった。

 街の様子が一変した。華やかな色取り取りの灯りたちは激減し、角々には闇間が増えた。
一軒の店先にアレンは車を停めた。駐停車禁止などの規制はなくなっていた。
「ここだよ」
とアレンに言われて、車の中から店を見たアルテミスはぽかんとした。アレンの話から、バイク関係の店を想像していたのだが、目の前の店はどう見ても花屋だった。
「アレン、ここなの? バイクの部品よね……」
思い切ってアルテミスは尋ねた。
「あぁ、バイク関係は副業でね、本業は花屋なんだよ。さ、行こう」
 アレンは車を下りると、アルテミスの方へ回り、車から下りかけていた彼女の手を取った。ソルとルナは寝てしまっているのでそのまま車内に残し、アレン達はドアベルをりりりりんと鳴らしてドアを開けた。
 
 記憶を失った女性が一緒だと、アレンは先程の電話でワッチに話しておいた。すぐ背後にアルテミスがいるシチュエーションでの電話だったが、彼女の名前さえ出さなければ、共通語での会話は彼女には分からない。
 ワッチは、女性と聞いただけでテンションを更に上げていた。アレンとはここ数年ではあるが、濃い付き合いだ。そのアレンが初めて女性を連れて来る! いや、その前の段階だ、初めて女性の話題が出た!
 アレンは努めて冷静に、彼女が海賊である事と、しかしその事実を彼女自身知らない事、怖がらせたくないので教えていない事をかいつまんで説明した。そして、くれぐれも余計な事を言わない様に頼んだのだった。
 彼女を車内に待たせるのは万が一の事を考えるととてもじゃないが出来なかったアレンは、
(頼むぜワッチ…)
と、祈りながら彼女と一緒に店の奥へと歩いて行った。

 花々のポットを避けながら芳しい香りの中を進んで行くと、ふいに野太い声が出迎えた。
「アレーン!」
「ワッチ、久しぶり!」
アレンは不安を抱えながら、でも久しぶりに会う友人の元気な姿が嬉しくて、笑顔で握手した。ワッチはアレンの肩をばんばんと叩いた。
「元気そうだな! また会えて嬉しいぜ!」
色黒の大柄な男性だった。サングラスをしているので、目の色はわからないが、ごつい顔の中で、肉厚の唇から覗く歯が真っ白く光っていた。
(やっぱり花屋よりバイク屋の方がぴったり)
アルテミスがそんな事を思っていると、ワッチはアレンにだけ見えるように小指を立てて
「ヘイヘイ、アレン、?、?」
とニヤニヤして来た。
「違うってさっきも言ったろ?」
共通語で話しているので、アルテミスは蚊帳の外だった。床に広がる花々を見渡していた。
「OK、OK」
ワッチはすっかり誤解していた。アレンは照れているのだと。ワッチはアルテミスに声をかけた。
「ヘイ、彼女!」
何と言われたか分からずとも、自分へ向かって掛けられた声だと言うことはわかったアルテミスは、ワッチを見た。
「俺、ワッチ! 宜しくね!」
言いながら右手を差し出す。ワッチと言う固有名詞はアルテミスにも聞き取れた。そして差し出された手。
(挨拶をしてくれたんだ)
と理解したアルテミスは、慌てて帽子を取りながら、例え通じなくてもアレンが通訳してくれるだろうと、
「あ、私はアルテミス――」
と言いかけた。が、アレンの素っ頓狂な声に遮られてしまった。
アレンは見つけたのだ。カウンターの奥のデスクに置かれていたフラワーアレンジメントの間に、女海賊アルテミスのフィギュアを。
(まさか、ワッチ……)
胸騒ぎを押さえつつ、アレンはワッチへ視線を戻すと、ワッチは蝋人形のように固まっていた。はっとして背後のアルテミスを振り返ると、彼女は帽子を取り、ワッチの手を握っていた。
アルテミスは、突然黙ってしまったワッチに困惑しながら、アレンを見た。
「ワッチ、プラグを見せてくれよ」
ことさら、プラグと言う単語を強調して言いながら、アレンはワッチの指をぐいぐいと開いて、アルテミスの手を自由にすると、ムーンベース語でアルテミスに言った。
「ここで、待ってて。外に出たりしないでな」
「はい」
頷くアルテミスを残して、アレンは店の奥へと続くドアへワッチを引き摺りながら消えた。
もちろん、デスクの上から電光石火の早業で、アルテミスフィギュアを盗み取る事も忘れなかった。

 スタッフ休憩室へワッチを連れ込んだアレンは、ワッチの頬をぱちぱちと叩いた。ようやくワッチは意識を取り戻し、今度は大騒ぎになった。
「どういうことだよ、アレン! 彼女は、彼女はありゃぁ、」
「ワッチ、さっき電話で頼んだよな、名前を出さないでくれ」
アレンは、両手でワッチを制した。左手には、まだアルテミスのフィギュアが握ぎられていた。ワッチはそれを震える手でそっと取り返すと、じいっと見つめていたが、やがて
「彼女、……、なんだろ?」
と、フィギュアをアレンの目の前に掲げた。アレンは深い溜息と共に頷いた。まさかワッチがアルテミス信者だったとは、ちっとも知らなかった。
「あんな、あんな、可愛いなんて……! 写真なんかよりずっと可愛い……!! 彼女は、彼女は美人だとずっと思ってた、あぁ、もちろん美人だけど、だけど、可愛い、くそっ、マジかよ、神様…!そうだよ、彼女は俺の女神なんだよ、女神が俺の手を…手を…」
ワッチの動悸は激しく、思考と言動は壊れかけていた。
「なぁ、ワッチ、プラグ見せてくれよ」
アレンは何とかワッチを平常心にしようと試みた。
「アレンの……アレンの……?」
「違うって、本当にそんなんじゃないんだって」
アレンの努力も空しく、ワッチの理性はちっとも戻って来なかった。


 アレンが四苦八苦している間、アルテミスはショーウインドウから外を見ていた。
さっきまでいた場所は華やかだった。同じ街なのに、こんなに雰囲気が違うなんて。闇の中、ところどころに電光CM板が光っていた。
 その一枚に釘漬けになった。
(あれは……?)
アルテミスは思わず歩き出していた。


ワッチを宥めすかしていたアレンは、ドアベルの転がるような音を聞いた。店のドアが開いたということだ。嫌な予感に弾かれて店内へ戻ると、まさに通りを歩いているアルテミスが見えた。
外に出るなと言ったのに…!
彼女は上を見ながら歩いている。何を見ているのだろう、と思いながら、彼女を連れ戻そうと店から出たアレンは、きらりと光る異質な反射に気付き、叫んだ。
「伏せろ!」

 アレンの声が突然背後でした。アルテミスが声に振り向くと、アレンが駆け寄って来るのが見えた。と同時に、首筋がちくりとして、左耳の下から三つ編みが吹き飛んだ。その一瞬後、アレンに抱え込まれて天も地も分からぬほど転がった。何かが焦げる匂いに追われながらひとしきり転がり、とうとう壁にあたって止まった。アレンが腰から銃を抜いて発砲するのが分かった。しかし、それよりも多く、発砲されていることにアルテミスは気付いた。
(なんで…?)
二人の周りの壁が、どんどん焦げていく。多勢に無勢だ。
「アレーーーーン! 大丈夫かーーー!」
野太い声が響いた。
「このクソったれハイエナ野郎どもーー!」
ワッチは簡易バズーカを肩に担ぐと、
「俺の女神を撃つんじゃねーーーーーー!!」
と叫び、闇へ向かってブッ放した。轟音の中、上空からエアカーが煙を吹いて落下して来た。アレンはアルテミスの頭を抱え込む。ワッチのバズーカが闇に向かって何発も打ち込まれた。その度に賞金稼ぎの車が落ちて来た。
 
 アレンの腕の中でアルテミスはバズーカの轟音に耐えていたが、煙に翳みながら僅かに開けた目に、アレンの顔がぼんやりと映った。
焦点が合って来ると、それは紛れもないアレンの顔。花屋の中から見つけた、闇の上空に浮かぶアレンの顔を映した電光CM板だった。
 
 どういう事なんだろう…なんでアレンが…?
必死に考えてもまったく分からない。
そして彼女はさらに見つける。少し離れた場所に浮かぶ自分の顔を―――。
 その顔は、無表情で冷たく感じる顔だった。でも、紛れも無く自分だ。分かる。
彼女は出来る限り首を回して、あたりの闇を見渡した。あちらにもこちらにも、同じような電光掲示板があるではないか。その一枚一枚に、誰かしらの顔が映っていた。他の人物を追う内に、彼女はそれらがどんな人達なのかぼんやりと理解し始めた。

 最後の賞金稼ぎをワッチのバズーカが撃ち落とすと、哀れな賞金稼ぎどもはヨタヨタと闇に消えて行った。辺りはやつらの車の残骸やら破片やらと、焦げた壁の匂いと、硝煙が漂っていた。
 アレンは腕の中に抱え込んでいたアルテミスをがばっと引き剥がし、
「どこか、どこか痛いところあるか? どこか、怪我を―!」
と、言いながら、埃まみれの顔を拭って、手を持ち上げたりして、確認した。
そんなアレンをじっと見ながら、彼女の口から出た言葉は、共通語だった。
「海賊だったのね……。私、海賊だったのね……」
彼女の口から流暢に流れ出た共通語とその内容は、あまりに衝撃的で、アレンは返答することが出来ずに、ただ彼女を見つめた。
アルテミスはそっと立ち上がると、電光板を見上げて呟いた。
「海賊アルテミス…」

 アレンも立ち上がると、ようやく口を開いた。
「記憶が戻ったのか…?」
恐る恐る尋ねた。それは喜ばしい事のはずなのに、アレンは一気に恐怖に襲われた。自分でも予想外の恐怖だった。

 「いいえ…そうじゃない…。記憶は相変わらずだわ…。言葉は取り戻せたけれど…。でも、これで今日一日分の謎は解けたわ。気のせいなんかじゃなかった。みんな、私達のコト、知ってたのね。海賊アルテミスと、海賊アレン……」
彼女は静かにアレンを見つめた。

 「おーい、アレーン、無事かーーー」
ワッチがバズーカを担いだまま、走って来た。
「無事だよ、ありがとう、ワッチ」
ワッチは、バズーカを下ろし息を整えると、アレンの無事を確認し、改めてアルテミスに向かい、
「お、お怪我はありませんか、アルテミス様…!」
と、精一杯の笑顔を浮かべて何とか言い、通訳してくれとばかりにアレンを振り向いた。
「いや、たった今、共通語は思い出したらしい」
アレンに言われて、え?となったワッチは、でも、それは素晴らしいことなのだろうと、女神に起こる事は全て素晴らしいに決まっていると頑なに信じ、嬉しそうにアルテミスを見た。
「大丈夫です、怪我はありません。ありがとうございました、ワッチさん」
アルテミスは心から礼を述べた。バズーカを撃ってまで助けてくれたのだ。
ワッチは昇天しそうだったが、遠くから響いてくる警察の車のサイレンで我に返った。
「早えぇな。アレン、後は適当にやっとくよ」
「ワッチ…」
これだけ派手にバズーカを使ったのだから、そうとう絞られるだろう事は明らかだった。
「大丈夫、任せとけって」
ワッチはサングラスの中でウインクをして笑った。そしてアルテミスに向き直ると、小振りのひまわりを一輪、差し出した。
「俺の気持ちです…。受け取ってください…」
真っ黄色の可愛らしい花をアルテミスは受け取った。アレンが訊いた。
「花言葉は?」
ワッチは、真っ赤になりながら、
「敬愛……!」
とだけ言った。
 いよいよ警察が近づいて来た。ワッチはアレンに小箱を渡した。
「忘れんなよ、ジョーに殺されるぜ」
「そーだった、危ねぇ!」
プラグを受け取ると、アレンはアルテミスの手を引いて車へと走った。
「ジョーによろしく言っといてくれなー」
ジョーと同郷のワッチは叫んだ。アレンは大きく手を振った。車に乗り込む刹那、アルテミスはワッチを振り返り叫んだ。
「ワッチさん、ありがとうーーー!」
軽くジャンプすると、二人を乗せたエアカーは滑るように闇の中へと消えて行った。
大きくなるサイレンの音を背負いながら、ワッチはひたすら見送った。
(お幸せに…俺の女神…さようなら…俺の青春……)





 エアポートに帰り着いてブレイブアローへ乗り込むと、すぐにアレンは出立した。ナターシャを出て、巨大な木星を右舷に見ながらブレイブアローはカリストを目指した。
 
 アレンは一人、ブリッジに居た。ブレイブアローがまだザナックの船で、ACSなど積んでいなかった時に憧れていた席、戦闘班の班長の席に座っていた。目の前に広がる星の海をぼんやりと見つめながら、アレンは思い出していた。
―――アルテミスの記憶が戻ったかもしれないと思った時に、何故俺は恐怖を感じたんだ…。
目を閉じて考える。しかし、考えるまでもなかった。
(記憶が戻った彼女が、俺の前からいなくなってしまうのを恐れたんだ………)
不甲斐なさに腹が立つ。後悔を吐き出すように、深く溜息をついた。
 
 ドアが開いて、アルテミスが入って来た。
「ここにいるって、レッブさんに教えて貰ったの…。今、いい…?」
アレンは内心“アルテミスがそっちに向かったよ”ぐらい、教えろよレッブ…と思いながら、
「ん、なに?」
と訊いた。
 アルテミスは、指名手配を含む自分の情報を見せてほしいと言った。アレンは一瞬迷ったが、ここまで本人が知っている以上、隠し様がなかった。これから出来る事は、色々な情報でもし彼女が傷ついてしまった時に、支えてやる事だけだ。
 アレンはコンソールのスイッチをパチン…パチン…と押して行った。前方上部のモニタではなく、コンソールに埋め込まれているデスクモニタに映像を出すと、席を立ち、彼女へ座るよう促した。

 アルテミスはいろいろな情報を引っ張り出しては、熱心に見入った。どの情報の彼女も、あの女海賊だった。
 今、彼女はどんな気持ちだろうと思うと、アレンは居た堪れない思いだった。
 唯一の慰めは、彼女の護衛している星間貿易商人の死亡事件を、どこも取り上げていなかった事だった。
 いつか、ジーナの事は話さなければならない。それは分かっている。でも、今じゃなくてもいい。今はもう、充分過ぎる程の過去を受け止めているのだから。

 彼女が満足するまで、アレンはじっと待った。30分も経った頃、アルテミスはモニタから顔を上げた。大きく息を吐くと、
「すごい有名人だったのね…。こんなにデータがあるなんて…。自分より、他人の方が私に詳しいなんて、何だか笑っちゃう…」
アルテミスは本当にふふっ…と笑った。乾いた笑いだった。
「データはデータだよ。ただの情報。それに、ほとんどがデタラメだ」
「でも、私の一部だわ…」
「隠してて、ごめん…」
アレンは謝った。アルテミスは立ち上がって、アレンに向き合った。
「アレンを責めてるんじゃないの」
アルテミスはやっと気付いた。自分の事を知るのに夢中で、アレンがずいぶんと元気がない事に、今まで気付かずにいてしまった。アレンはきっと、色々と後悔しているんだ…。
「アレン、ありがとう…。私が怖がらないように気を配ってくれて…」
「でも結局、思いっきり怖い思い、させちゃったな」
「驚いたけど、怖くなかった。だって、アレンが守ってくれた…。ありがとう、本当に…」
アレンは薄く笑みを浮かべながら、星空を背にして、コンソールに軽く腰掛けた。
「俺はね、5億ドルの賞金が懸かってる。もう4年になる。罪状は、連邦局警備艦隊の襲撃」
アレンはとつとつと語り始めて、おおよその経緯は話し切った。
アルテミスの事を俺は知っていて、俺の事をアルテミスが知らないのはフェアじゃない――。
そういうつもりで話してくれているであろうと、アルテミスはすぐに理解した。理解して、そのアレンの優しさに、涙が出そうになってしまった。
 アレンは何も悪くないのに。
 ただ、私を助けてくれただけなのに。
「アレン……」
ついアルテミスは、アレンの腕に自分の手を置いてしまった。触れずにはいられなかったのだ。そして、やはり思う。なぜ、この人は、ただの友達なのだろう…。特別な人じゃないんだろう…。
すっかり悲しくなってしまったアルテミスは、部屋に引き上げることにして
「ありがとう……お休みなさい…」
と言うと、そっと踵を返した。
彼女が被っていたパーカーのフードが彼女の背に落ちた。
見送っていたアレンは、彼女の露になった頭を見て驚いた。ばっさりとショートヘアになっていたのだ。
「アルテミス、髪どうしたの? 切ったの?」
思わず尋ねたアレンに、
「こっちだけ短いの変だから、合わせて切っちゃった。変…?」
恥ずかしそうに彼女は笑ったが、最後まで言い終えないうちに、アレンに引き寄せられた。
引き寄せながら、アレンは素早く彼女の首筋を確かめた。小さな赤いかすり傷があった。
 アレンはあの瞬間を思い出した。闇から放たれた一筋のレーザー銃。その光は、彼女の首を掠めただけだったが、もし、彼女の首筋を貫いていたら……!
 真っ赤な血を噴出して倒れこむ彼女を想像してしまったアレンは、奈落の底へ突き落とされたような衝撃と共に、今まで味わったことのない恐怖に飲み込まれた。
 アルテミスを力一杯抱き締めながら、背中をさすり、肩をさすり、頭を自分の胸に押し付けた。彼女の存在を感じようと必死だった。
「生きてる……!生きてる……! ちゃんとここにいる……!」
彼女の厚み。彼女の重み。彼女の体温。
「アレン――、」
彼女の声。
大丈夫、彼女は生きてる。 
それでもアレンの恐怖は消えなかった。

 苦しいほどアレンに抱き締められて、どうしたのかと身体を離そうとして、また強く抱き寄せられたアルテミスの脳裏に、ぱん!と景色が浮かんだ。
 夜の庭園―。噴水の音の中、抱き締められている………、アレンに!
(アレンに……? どうして……)
葉擦れの音。アレンの背後の灯り。少し痛む足のつま先。
緑色の目が黒く澄み、宇宙に散らばる星々のように、光がキラキラしている。
そのアレンが言った。「地球へおいでよ」―――。

 「地球へおいでって……あなたは言った…」
小さい声でアルテミスが呟いた。
「木を…一緒に育てようって……。ねえ、言ったわよね…?」
緩んだ腕の中から、ぐいと顔を上げると、アルテミスはアレンの顔を真正面から見て訊いた。
彼女の必死な瞳に打ちひしがれながら、アレンは真実を答えるしかなった。
「……言ったよ……」
アルテミスは思わずアレンの腕を掴み、
「それって、ただの友達なの? 私が、あなたの顔と名前を覚えていたのは、あなたと私は、――」
そこから先は、口にする勇気が出なかった。アレンに言って欲しい。
でも、アレンは悲しそうな顔で、黙ったままだ。
「どうして……。どうして何も言ってくれないの…? 友達って…なんで…?」
とうとうアレンは搾り出すように白状した。
「……地球には行けないって……、俺の事は好きじゃないって言ったんだ」
「え……」
アルテミスは驚いた。私がそう言ったって…?
「だから友達だろ」
アレンは俯いたまま、そう締めくくった。
(嫌だ――!)
アルテミスは怒りと恐怖を感じながら、猛然と勝負に出た。
「今は、もう、私のコト、嫌い…?」
そうだと言われたら…ちらりと考えただけでも泣きそうになる。
「そんなわけないじゃないか、――」
アレンが否定の言葉を口にしてくれた瞬間に、アルテミスは我慢できなくてアレンの胸にしがみ付いた。
「今も好き?」
アレンの顔を見ることも出来ずに、口走る。
「好きだよ、ずっと! だから捜して捜して―――」
一番聞きたかった言葉をついに聞いたアルテミスは、背伸びをしてアレンの首に腕を回して抱きついた。嬉しさとそれでもまだ拭いきれない不安とで、涙が滲んだ。
「私だってあなたが好き!」
泣き出してしまう前にちゃんと伝えたい。アルテミスは必死に訴えた。
「助けてもらったからとかじゃない、記憶を失くす前から、きっと、ずっとずっと前からあなたの事が好き! 好きじゃないなんて本心じゃない、そんなはずないから!」

 アレンの脳裏に、三日前のアルテミスの泣き顔が浮かんだ。シャワーに打たれながら、愛されることを全力で拒否して泣き崩れたアルテミス。
(正反対だ……)
困惑した瞬間、ジーナの言葉に我に返った。
―――一人じゃ脱げない氷の鎧なんだよ。あの子は天邪鬼だからね。

 「アレン、お願い、友達だなんて怖いこと言わないで……!」
アルテミスの目から涙が溢れて、幾筋も頬を伝っている。
「アルテミス…!」
アレンはきつく彼女を抱き締めた。

 フェアじゃない――。
記憶を失くす前の彼女は、こんなふうに俺を求めたりしなかった……。
 そう強く思うものの、今こうして腕の中にいる彼女を手放すことは、どうしてもアレンには出来なかった。
 抱き締めながら彼女の髪にキスをする。髪に、瞼に、頬に、まるで貪る様に唇を動かして行く。涙の味がアレンの最後の理性を押し流した。
 髪を切り露になっているうなじに唇を這わすと、アルテミスは一瞬ぴくりと反応したが、アレンの名を呟いて身体を預けて来た。肩へ向かって唇を下ろしながら、彼女のパーカーのジッパーを下ろす。
―――ただの友達でいるなんて出来ない。今、このアルテミスを抱き寄せるなと言われても絶対に無理だ。
パーカーがするりと彼女の肩から滑り落ちる。その肩へキスをして、そして左腕の傷痕へもキスをしていく。
 彼女はもう泣いていなかった。涙の流れていた頬をほんのりと赤く染めて、アレンのする事を受け入れている。
 ブリッジの闇の中に、彼女の身体が青白く浮かび上がった。ガボットの晩餐会の夜、ワルツを踊った時に初めて知った、その心もとない細さ。今、その身体を抱き締めてアレンは思う。
―――記憶が戻ったアルテミスにどんなになじられてもいい。彼女が傷ついたなら、何でもして償う………命を差し出せと言われたら、そうしよう。アルテミスのいない日々を生きる意味はないんだから。
 彼女の胸を横切る古い傷痕に、唇を近づけた時、初めて彼女は身を引いた。どのような経緯で付いた傷なのか分からなくても、やはり気にしているのだろうか。アレンは自分もトレーナーを脱ぎ捨て、傷痕だらけの身体を晒した。

 目の前に現れた、たくさんの傷痕が走るアレンの胸。アルテミスはそっと指で一筋をなぞる。なぞって、そしてそのまま胸の上に手を置いた。アレンの鼓動を感じる。厚い胸の奥から響いてくる熱いリズム。
 目覚めた時からずっと欲しかった特別な存在。今それは目の前にある。アルテミスはあまりの幸福感に気が遠くなりかけて、アレンの胸に顔を埋めた。

 アレンは胸元にある頭にキスをすると、床に広げたトレーナーの上へ、そっと、ゆっくりと、彼女を横たえた。

 ブリッジのフロントガラスに広がる宇宙が彼女の目に映る。無数の星々がちらちらと光っている。
 しかしすぐにその煌きは、アレンのシルエットに飲み込まれ見えなくなった。
第9話  海 賊
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