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第7話  ジーナ・バルナッダ
 煙草の煙があちこちから天井へと上がる店内は、相変わらず薄暗いが、いつもどおりに常連客がぎっしりで騒がしいったらない。
 まあね、このコロニーへ降りた船乗りのほとんどが、此処へ飲みに来るんだから仕方ない。あたしもその一人だしね。此処へ来れば、誰かしらの顔が見れるわけだ。

 意気投合して同じテーブルで飲んでいた男達が、大声で話し始めた。
「コルタス一族がやられてすっとしたぜ、なぁ!」
ああ、その話ね。あたしも知ってる。数ヶ月前に起こった事件だね。
 コルタス造船は、太陽系に大きく展開している宇宙船の造船会社。でも、その商売は悪徳甚だしい事で名高く、コルタス造船を心良く思っていない船乗りは多かった。って言うか、ほとんどの船乗りは、コルタス造船を憎んでる。あたしは直接被害にあってはいないけど、やっぱりコルタス造船とは付き合う気になれないさ。もちろんバルナッダ船は違う会社で作った。とにかく、その規模の大きさから、誰も手が出せずに苦々しく思っていただけだったコルタス造船を―――
「しかしよぉ、あんなすげぇことしたのが、14〜5の娘っ子だってぇのは、本当なのかよ?」
「本当だぜ、俺は指名手配の写真、見たからよ。出身もちゃんとした名前もわかんねんだとよ」
「かわいそうになぁ、そんなチビで2億ドルの懸賞金がかかっちまってんのか」

―――少女が討ち取ったと言う。たった一人で。たった一撃で。

 「そのチビ、どうやって喰ってんのさ?」
ジョッキをテーブルにどんと置いて、あたしは口をはさんだ。だって不思議じゃない? ずっと気になっていたのさ。
「コルタスに泣かされた船乗り達が、結構面倒見てるらしいぜ」
「護衛に雇ったりしてよ」
あたしは驚いた。
「護衛? だって、子供なんだろ?」
「いやいや、そのチビの船ってのが、本当にすげぇんだってよ」
「どんなふうに?」
「あれだよ、あれ、お利口な機械がなんでもやってくれちゃうってヤツ。あれを積んでるだと」
「オート・コンバット・システムってぇヤツだろ」
「そう、それそれ」
「本当にそんなモンあるのかよ。それがありゃぁ、乗組員いらねぇってんだろ?」
ああ!それ! 聞いた事ある。
「いろんなトコが作っちゃぁ、失敗してたよなぁ」
「もし、そのチビのが本当にACSなら、初の完成品か?」
「そうだよなぁ〜」
あたしは、俄然興味が沸いた。その船と少女にね!





 知り合いの船乗り達を何人も伝って、とうとうあたしは少女を捕まえた。
とあるコロニーのエアポートで、噂の戦艦の下、少女と向き合った。
「あたしは星間貿易商人のジーナ・バルナッダ。あたしと、あたしの船の護衛に、あんたを雇いたい。海賊アルテミス」
 少女は、噂通りに子供だった。子供だったが、その表情は人形のように動かなかった。あどけなさは残っているのに、子供らしさを感じられない。真っ白な顔の中で、灰色がかった紫色の瞳だけが鈍く光っていた。
「私を選んだ理由を聞かせて」
小さな唇を動かして、少女はあたしに言った。
「あんたの評判を耳にしたのさ。無敵の超A級戦艦を持っていて、剣にも銃にも長けてるってね」
あたしが少女を捜している間に、噂はそこまで膨張していた。それが噂だけなのか、真実なのかは、これから判る事だ。少女は表情一つ変えずに問い返した。
「それだけ?」
恐らく少女は、同情されているかもしれないと疑っているのだろう。プライドの高い子供だこと。共通語もたどたどしいくせに、精一杯の背伸びをしている。
あたしも表情を変えずに答えた。
「あたしがボディーガードに求めるものは、そこが一番重要なのさ。うちの乗組員達に、その辺の手ほどきもお願いしたいんだけどね」
 
―――もし、もしも、剣にも銃にもさほど長けていなかったなら、あたしが叩き込んでやる。先走り加熱する噂に押し潰される前に、跳ね除けるだけの力をつけてやらなくちゃ。

 ゆらりと目の前に立つ少女を一目見た瞬間から、あたしは猛烈にそう決心していたのさ。
「護衛の仕事を引き受けるわ、ジーナ・バルナッダ」
「そうかい。良かった。なら、よろしく」
あたしはにっと笑顔を見せながら、右手を差し出した。少女は僅かに瞳を動かしてその手を見たが、自分の手は脇に垂らしたままだった。あたしはむんずと少女の右手を掴むと、強引に握ってぶんぶんと振ってやった。
「けじめはきっちり。ビジネスなんだからね」
ビジネスと言う言葉に、少女は顔をあげてあたしを見た。そして
「よろしく、ジーナ」
と言いながら、自らの意思であたしの手を握り返した。

 ビジネスの繋がりだけを欲しているんだと、すぐに分かったさ。それ以上は要らない。踏み込んでほしくない。拒絶。ってね。

 あたしは…それを真に受けちまった。

 あたしはおまえが可愛くて仕方ない。突っ張って背伸びしてるおまえが、切なくて仕方ない。ずっとずっと、堂々と可愛がりたいと思い続けて来たのに、ガマンしちまったんだよ、嫌がることはしちゃいけないって。6年間も…!

 最近、おまえの泣き顔ばかりを夢に見るんだよ、アルテミス。
ガボットの晩餐会で初めて見たおまえの泣き顔が、胸に深く沈み込んで疼いてるんだ。
 情けないことに、ああしておまえの涙を見るまで「踏み込んで欲しくない」その理由を、あたしはちゃんと考えた事が無かったんだよ。ただ、人付き合いが苦手なんだろうぐらいにしか思わずに。

 あたしは間違ってた。おまえが嫌がっても、踏み込んで抱き締めてやるべきだったんだ。おまえは、本当は、心の底ではそれを望んでいたんだろう? あの晩餐会の夜、抱き締めたおまえは何て細かったんだろう、さすった背中はなんて華奢だったんだろう、震えていた肩はなんて小さかったんだろう…6年間も孤独にさせてしまった…。

 でも、もう間違えないよ。あたしにはおまえを幸せにする義務があるんだから。








 エアポートに無事に着陸したリンディアーナの横に、バルナッダ船も静かに着陸した。
 バルナッダ船の中では、乗組員達が大はしゃぎだった。
このコロニーはジーナの故郷、ホーム・コロニーだ。今回の行商が終わったので、長い休暇の始まりだった。
 騒いでいる部下達に、ジーナは毎回の注意を落した。
「おまえ達! 何度も言うが、ここは銃所持禁止だからね! 剣だよ、剣」
はーい、わかってまーす。と返事をして、わらわらと散り始めた。
ジーナは艦長席のデスクの上にある小さなモニタにアルテミスを呼び出した。
「今回もお疲れさん。しばらくここでゆっくりしてくんだろ?」
「そうね、とりあえずは船を休めるわ」
休暇は一ヶ月ほどある。
(ガボットに連絡を取ろう。あの青年がアルテミスを誘い出しやすいように、情報を提供しとかなくちゃ)
 ジーナは胸の中で画策しながら、いつもの台詞を口にした。
「こっちに食事に来ないかい?」
過去に数回だけ、バルナッダ船のジーナの部屋で食事を取った事があった。6年間で数える程度に。「遠慮しとくわ」と、いつもさらりと断られてしまうが、ジーナは誘い続けていた。踏み込む云々の問題ではなく、長い船旅を労う言葉なのだから、かけないわけにはいかない。ジーナの中での譲れない部分だった。
 今回のアルテミスは、断る前にほんの少しだけ躊躇した。一瞬だったが、ジーナは気付いた。 
「遠慮しとくわ」
結局、いつもの台詞をアルテミスは言ったが、ジーナはいつも通りには引き下がらなかった。
「これから街へ飲みに行くんだけど、美味しい地酒があるんだよ」
ダメで元々、初めて酒の席へ誘ってみた。
「ジーナとお酒なんて、付き合いきれるわけ無いじゃない」
「なんだい、冷たいね。一度ぐらいいいじゃないか」
「…そのうちね」
ジーナは耳を疑った。そのうちって言った? ってことは、いつかは一緒に飲みに行くと言う事だ。
「ああ、じゃぁ、近いうちにね。楽しみにしてるよ」
モニタを消す前に、ジーナは思わず顔が緩んでしまった。
「親方、行きませんか?」
ココに声をかけられ、ジーナは上機嫌でブリッジを出て行った。





 繁華街に繰り出した乗組員達は思い思いの店に吸い込まれて行った。
ジーナも数人の部下達と馴染みの店に入った。祝杯を上げる。すでに何度も祝ったガボットとの契約成立を祝して。

 ―――今頃あの子は、一人で何をしてるんだろう、どこにいるんだろう。
ブリッジを出た時は、あんなに気分が良かったのに、残して来たアルテミスの事を考えるとジーナはちっとも酔えなかった。
 こんなの、今に始まった事じゃないのに。いつもの事なのに。どうして今夜はこんなにセンチな気分になっちまうんだろう。

 二軒目に移動中、露天商のディスプレイに、海賊アルテミスのマスコット人形をジーナは見つけた。それは掌サイズの布製人形で、二頭身に可愛くデフォルメされていた。何よりジーナの目を引いたのは、服装と表情だった。水色のストンとしたワンピースみたいな服は、見様によってはドレスにも見える。そして、アルテミス人形にしては珍しく、口がちょっとだけ笑っていた。
「お兄さんが作ったのかい?」
ジーナは手製の海賊グッズに埋もれるように座っている青年に話しかけた。
「かわいいっしょ?」
青年は頷いてにっと笑った。
「いいセンスしてるじゃないか!」
ジーナは大金を置くと、釣りはいらないよと、気前良く露天商を後にした。
「アルテミス人形ですか?」
ココが呆れ顔で訊いた。
「そっくりなんだよ、ふふふ」
ジーナは満足げに、腰に下げていたポーチに仕舞った。

「親方、あの店、ちょっと覗いて来ます」
ココが店の様子を見にジーナから離れた直後、路地裏から小さな悲鳴が上がった。
続いて男の罵声がする。ジーナは薄暗い奥に目を凝らした。数人の影が、うずくまる小さな影を取り囲み、蹴飛ばしているようだった。恐らく蹴られているのは子供に違いない。
ジーナは駆け寄った。
「お止め!」
言いながら、小さな影を足蹴にしている男共を引き剥がし、中央にうずくまる影を抱き上げた。案の定、それは小さな子供だった。子供は、痛みと恐怖で声も出せずに泣いていた。
「何しやがんだよ、ばばぁ!」
男の一人がジーナに向かって言い放った。
「こんな子供一人に、大の大人が寄って集って何してんのさ!」
子供をしっかり抱いて、ジーナは仁王立ちした。
「そいつはな、かっぱらいなんだよ、かっぱらい。ドロボー」
「…何を盗ったって?」
「俺らの食いモン、ゴミ箱からぱくったんだよ。なー?」
「ゴミ箱だって?」
「そう、俺らが捨てた残飯っつーの?」
「捨てたんなら、おまえらのモンじゃないじゃないか」
「俺らのモンなんだよ、例えゴミでもよ」
言ってる事がメチャクチャだ。話して通じる相手じゃないと判断したジーナは、子供の逃避ルートを急いで考えた。こんな若造のチンピラ、もちろんジーナ一人で充分だったが、子供の安全が第一だった。
(とにかく、明るい表通りへ走らせよう。)
そう決めた瞬間、
「返せよ、ばばあ!」
ドクロのTシャツを着た男が手を伸ばしながら飛び掛ってきた。ジーナはひょいとかわしてつんのめった背中をひじで打ち払った。子供をそっと立たせ、
「人がいっぱいいる方へお逃げ」
と言い、そっと背中を押した。
「やりやがったな」
バンダナを目深に頭に巻いた男が飛び掛ってきた。ジーナはこれもひょいとかわして、
「腰が高いよ、腰が」
と言いながら、無様に見せた背中を蹴り倒した。子供は無事に表通りに着いたか確認しようとしたジーナは、その場に棒立ちしている子供に驚いた。
「早くお行き」
その時、暗がりの中から、さらに子供の泣き声が上がった。
(もう一人いたのかい…?)
「派手にやってくれるじゃねーかよ、おばさん」
路地の奥から、子供を抱えた男がゆらりと出て来た。抱えられている子供は、すでにぐったりしている。かなりの暴力を受けていたに違いない。ジーナの側に立ちすくんでいた子供が大声で泣き出した。ぐったりしているのは兄のようだ。子供を抱えた男は、ナイフをひらひらせていた。ジーナは用心深く言った。
「…子供を放しな」
「おばさんのぶら下げてるその剣を寄越しなよ」
言いながら男は、子供の頬にナイフで線を引き始める。
「分かったから、お止し!」
ジーナは腰に下げていた剣を、ゆっくりと引き抜くと、男に向かって差し出した。
「そこに放んなって」
男がにやにやしながら言った瞬間、ジーナはその剣を男めがけて投げた。ジーナの剣は、男のナイフを持っていた手首に当たり、ナイフはきらりと光って落ちた。間髪入れずに、ジーナは男に飛び掛り、子供を抱え上げた。
「ばばあ!」
ジーナに先にやられた男たちが手に手にナイフを光らせ、飛び掛って来たが、放った剣とは違う隠しナイフを出したジーナに敵うはずなど到底なかった。
あっいう間に、チンピラ4人が呻きながら転がっていた。刃物ではなく、ひたすら肉弾戦での戒めだった。

 兄弟を一緒にさせて、もう大丈夫だよとなだめていると、ココの声がした。
「親方ー、どこですかー」
「あぁ、こっちだよ、こっち!」
表通りの光を背に受けて、ココのシルエットがこちらに気付いて、走って来た。
「この子達に何か食わせに行くよ」
そう言って立ち上がったジーナに、ココが叫んだ。
「伏せて!」
その瞬間、このコロニーでは聞くはずのない銃声を、ジーナは聞いた。





 夜のエアポートは静かだった。リンディアーナのブリッジの艦長席に座って、アルテミスは座標を調べるともなしに見ていた。一ヶ月の休暇をどう過ごすか、まだ何も決めてない。どこで何をしようかな…と、ぼんやりと考えていた。リンディアーナのメンテナンスもカスタマイズもしたばかり。どこか行きたいところは…。地球…。とは考えないようにしていた。切なくなってしまうから。大きな溜息をついた時、話しかけられた。
「なかなかいいブリッジじゃないか、アルテミス」
アルテミスは心臓が止まりそうなくらい驚いた。声の方を振り向くと、ジーナが立っていた。
「ジーナ……!」
「初めておまえの船に入ってみたよ。へぇ〜、そこでいつもおまえは喋ってたんだ」
ジーナは興味津々に見回している。
「どうやって入ったの…?」
「おまえが緊急時にって、アンロックコードをくれてたじゃないか。それを使ってみたんだよ」
必要に応じて、お互いの船への出入りは出来なければならない。リンディアーナのロック解除コードは、確かにジーナにだけは教えてあった。
ただ、アルテミスが船に誰も上げない性質なのを気遣って、ジーナはアルテミス側の緊急時(リンディアーナの中に一人篭るアルテミスと連絡が取れなくなった時、など)以外には使うまいと決めていたのだった。
「緊急な事なんて起こってないんだけど」 
「いいじゃないか、あのコードが正しく作動するかどうか、たまには確かめておいた方がいいだろう? やれやれ、おまえときたら、休むと言ってたのに、また仕事かい?」
「座標を見てただけよ」
言いながら、アルテミスは艦長席から下りて、ジーナの側へ立った。
「お勉強かい。感心だねぇ。おまえは一生懸命だね。一生懸命生きてる」
「…突然、なに?」
「あたしと同じ、一生懸命生きてるって言ってるのさ」
「ジーナ、酔ってるのね」
「きっとね、皆そうだったんだよ、アルテミス。おまえを残して死んでしまったご両親や、新しい家族、友達。皆、一生懸命生き抜いたんだよ。だからさ、おまえもそんなふうに、逆恨みしちゃいけないよ」
突然、話の方向が、とんでもない方へ走った。どうして今、そんな事を話し出すのかさっぱり解からない。 
「逆恨み?」
「そうだよ、まるで子供だ。約束したのに破ったーって騒いでるのと同じだろう?」
先日の、ガボットの晩餐会で、ついうっかりとジーナの胸で愚痴ってしまった。その事を言ってるんだ。そんな簡単な事じゃないのに! と反論したいが、黙って聞いてみる。
「でもねアルテミス、どうしたって命はいつかは終わるんだよ。問題は、その終わり方だ。あたしはね、今までの人生に責任を持って、己に正直に、臆病者にならず、正々堂々とその瞬間を迎えてやるのさ。だからね、もしあたしが死んでも、あたしは誇りの中で死んだって事だからね」
ますます、話の流れがつかめない。
「なぁに、遺言のつもりなの?」
「死んでからじゃ言えないだろ?」
「ジーナなら這いつくばってでも言いに来るくせに」
ジーナは大きな口を開けて、大声で笑った。
「さすがあたしを良く知ってるねぇ!」
ひとしきり笑ってから、ジーナはしみじみとアルテミスを見つめた。
「長い付き合いだものね。6年だ」
「ジーナも年取るわけよね」
「お互い様だろうが! まったく…まぁ、いいさ、おまえらしいよ。―――この際だから、言わせて貰おうかね」
ジーナは、深く息を吸うとアルテミスに言った。
「おまえを愛しているよ。娘のように思って来た。おまえがどう思おうと、あたしは愛してる。おまえはあたしの可愛い娘だよ」

 ジーナからのその言葉は、アルテミスの胸をざわめかせた。瞬時に体温が上がって、甘美な気分に支配されそうになりつつも、頭の隅では警鐘が鳴っている。その音は、すぐに彼女の中で大きくなっていった。
「変よ、ジーナ…」
全身を包みそうな甘美な気分にアルテミスは抗った。
「変なもんか。ずっとずっとそう思って来たんだ。これからもずっと愛してやるからね、覚悟おし」
ジーナはにっと笑うと、ゆっくりとアルテミスに近づいた。そして、突っ立ったままのアルテミスに手を伸ばすと、そっと抱き寄せた。抱き締めながらアルテミスの頭をそっとなでて囁いた。
「あたしは、おまえの胸の中に永遠に生きて、おまえを愛し続けてやるよ」
「…胸の中…?」
「だからいいね、おまえは一人じゃない。一人なんかじゃないんだよ」
ジーナの言葉を理解しようと、頭の中で反芻し始めた時、その思考を引き裂くように機械音が鳴り響いた。

 我に返ったアルテミスは、艦長席で飛び起きた。目の前にある通信モニターが、コンタクト要請を受けて光っていた。
……何故、艦長席にいるんだろう……? 
アルテミスは、たった今までジーナと立っていた場所を見下ろした。ジーナは居ない。
(ここで眠ってしまって、夢を見てたの…?)
鳴り続ける受信音を思い出し、通信スイッチをオンにした。モニタには、バルナッダ船の航海士が現れた。
「アルテミス! お願い、降りて来て……! もうすぐジーナが、ジーナが戻るって…」
外出から戻るぐらいで出迎えなんてした事はない。違和感を感じた時に、バルナッダ船のブリッジ内に漂う嗚咽が聞こえた。
 アルテミスはもう一度、ジーナが入って来た場所に目をやった。確かにあそこに立って笑っていた……。

 全身が総毛立つ。

 席から飛び下り、駆け出した。





 男が背後から打った銃弾は、ジーナの心臓を貫いていた。即死だった。
身体を張ったココが、銃を使った男の片足を切り落とすと、男たちは逃げ去った。
ココは繁華街に散っていた仲間を招集して、ジーナを連れ帰って来たのだった。

 部下達は、車から担架に移されたジーナにしがみ付き、揺さぶり、体中をさすり泣いた。
 アルテミスは、ただ眠っているようにしか見えないジーナの顔を、木偶の坊のように突っ立って見下ろしていた。
「なんだい、騒がしいねぇ、目が覚めちまったじゃないか」
と、今にも起き上がりそうだ。左胸に広がるドス黒い染みさえなければ。
(でもこれはお酒のシミかも。良くこぼすから)
アルテミスは、ジーナの顔の側へしゃがむと、耳元に囁いた。
「ジーナ」
しかしジーナは、なんだい? とも、うるさいね! とも言わない。少しも動かない。
らしくない事、してないでよ。と心の中で毒づきながらジーナの肩に触れたのだが、………その肩は硬かった。しなやかな筋肉だったはずの、その強い頼もしい肩は、すでに硬く変わっていた。

 紙のように真っ白な顔になったアルテミスは、ジーナの胸に置かれていた彼女のお気に入りの剣を掴んで、ゆらりと立ち上がった。





 薄汚い店の奥まった片隅で、額に脂汗を浮かべた男が唸っていた。
「ねぇ、その医者、ほんとにやばくないの? ちゃんと病院行った方がいいってばぁ」
素顔が分からない程の分厚い化粧をした女が言った。化粧のせいで、ちっとも心配しているようには見えない。
「病院はやばいって、だめだって」
側で見守っている男の一人が言った。病院にかかれないとは、余程、悪い事ばかりして来ているのだろう。
「だって、血止まんないしぃ、ここで手術なんて言われたら、あたし死んじゃう」
「うるせーな! じゃぁ死んでろよ!」
腕を折られたらしい男が、いらいらして怒鳴った時、店の入り口の木製の扉がバキっと音を立てて外れた。驚いてそちらを見やった男たちの目に、扉と共に倒れこむ男の姿が映った。ドクロのTシャツから、血しぶきが吹いている。その向こうに人影が立っていた。
「な、何だ、おまえ……!」
「おい、あの剣、あのばばあのじゃねぇ…?」
「マジで? 仕返しかよ…」
人影の手の先には、細い剣が血をまとって鈍く光っていた。
「助けて…助けて…」
ドクロのTシャツの男が、あふれ出す血を押さえながら、ずりずりと這い出した。
人影は、その背中に剣を突き立てて、男の動きを永遠に封じた。
その光景を見ていた男の一人が、大声を上げながら、自分の剣を振りかざして飛び掛って行った。影は、ひょいと屈んだだけで男をかわし、体の向きを変える事無く、脇から後ろへと剣を突いた。恐怖に駆られて突進した男は、体制を立て直す間も無く背に剣を突き立てられた。そのまま剣は、男の身体を引き裂いた。
 影はさらに奥へと進む。
「ま、待て、俺は腕を折られたんだ、も、もう罰は受けた、そうだろう? こいつなんて片足だぜ? なぁ、頼む、見逃してくれよ……!」
懇願の台詞も効を為さず、影はどんどん奥へと、男たちへと近づいて行った。すでに血糊でぎたぎたになっている剣が、店の淀んだ空気をびゅん…と切った。ごとん…と床に転がった頭は、恐怖に引きつっていた。
 ココに足を切り落とされた男も、地獄のような痛みからやっと解放されていた。





 ココの予想通り、アルテミスは血まみれで路地裏をゆらゆらと歩いていた。ココは、アルテミスを車に引きずり込むと、一目散にエアポートに戻った。
 バルナッダ船に強引にアルテミスを連れ込んだココは、ジーナの部屋へと導き入れた。大きなベッドには、ジーナが横たわっていた。何人もの部下達が部屋のそこら中に座って悲しんでいたが、ココは全員に自室へ戻るよう優しく指示した。
 ジーナとココとアルテミスだけになると、
「これ、ジーナのポーチなんだけど、さっき露天で買った物が入ってる。あんたが持ってるべきだと思うんだ」
とココは言って、アルテミスにポーチを開ける様促した。
 魂が抜けてしまったようなアルテミスは、言われるままにポーチの中へ手を入れた。

 中から出て来たのは、あの布製の人形。
「そっくりだって言って、嬉しそうに笑ってたんだよ、親方…」
それだけ言うと、ココは涙を抑えきれずに、部屋から出て行った。

 ぼんやりと手の中の人形を見つめていると、ジーナの声がした。
―――おまえを愛しているよ。おまえがどう思おうと、あたしは愛してる。
「……やめてよ…」
―――おまえはあたしの可愛い娘だよ。
「冗談じゃないわ…」
―――これからもずっと愛してやるからね。おまえの胸の中に永遠に生きて、おまえを愛し続けてやるよ。
アルテミスは顔を覆った。
―――だからいいね、おまえは一人じゃない。一人なんかじゃないんだよ。
「じゃぁ、起き上がって、そう言ってよ、さっきみたいに、抱き締めて言ってよ!! ジーナ…!!」 
ジーナの冷たい頬に顔を押し付けて、ジーナを呼びながらアルテミスは泣いた。
第7話  ジーナ・バルナッダ   END  

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