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第4話 恋人達 | ||
高層ビルの谷間を幾筋もの道路が入り組み、エアカーが引っ切り無しに行き交っている。今日のウエザープログラムは夜まで快晴。気温は暑過ぎず寒過ぎず、真下に浮かぶ青く輝く星の、呪われた気象をあざ笑うかのような、常春の快適さだった。 アースエリアのコロニー E19“ダン”の青天を、突き刺すように聳える大きなビルの正面エントランスへ、真っ赤なエアカーがするりと滑り込んで停まった。ドアボーイロボットが近寄ると、ドアは自動ですっと開き、立派な足がどすんと降り立った。 運転席にいたアルテミスは慌てた。 「待って、ジーナ!」 この雇い主は、いつもボディーガードより先に車を降りてしまう。何のために私がいるのか! 急いでロボットに車を預けると、ジーナの側へ立った。そんなアルテミスの苦労をまったく気にしないジーナは、ビルを見上げてこれからの戦に武者震いした。 「よし…! 久しぶりの大博打だ、行くよ!」 大きく深呼吸すると、ガッガッと大股で歩き出す。その歩幅に、商談用勝負服のスカートは、スリットが裂けそうだった。逞しい後姿。でも、濃いエンジ色のスーツは、ジーナの赤毛を上品に引き立てていて、とても良く似合っているとアルテミスは思っていた。 伝えた事はないが。 商談時の護衛は、アルテミスもスーツだった。グレーのパンツスーツに解析機能付きサングラスをかけ、長い髪は邪魔にならないよう一本に結わいていた。 ジーナの後に続いて、アルテミスもビルの中へと入っていった。 秘書に案内されて、重厚なドアの前に立った。ゆっくりと扉が開く。部屋の中央には大きな円卓があり、その一番奥に、目指す相手は座っていた。 アルテミスは、部屋中をさっと見渡し、サングラスへその情報を送る。瞬時に解析した結果をサングラスが彼女だけに数字で教えると、彼女はジーナの背中にそっと手を当てた。「危険は無し」のGOサインだ。ジーナは部屋の中へ歩み出した。 「やぁ、お待ちしていましたよ、クイーン・ジーナ!」 男は立ち上がり、にこやかに目を細めてそう言うと、手を差し出して来た。すっかり灰色に染まった髪を、丁寧に整えた紳士的なこの男が、ジーナの商談相手、貿易王のガボット・カセーグだった。 「初めまして、キング・ガボット・カセーグ。急なお願いをお聞き入れ下さいまして感謝しています」 ガボットの手を握り、ジーナは挨拶をした。名だたる貿易王の前でも臆する事無く堂々としている。彼女も立派な貿易女王だ。 「いやいや、こちらこそ、あなたが訪ねて来て下さって感謝の言葉もありませんよ」 「この広い星の海で、今日、このコロニーにお互い居るという奇跡を、無駄にしてはいけないと思いまして」 「同感ですな。さあ、どうぞ、おかけ下さい」 ガボットに勧められ、ジーナは円卓の端に腰を下ろした。 アルテミスはいつも通りに、ドアの側に立っていた。が、今日は、立っていたのではなく、動けないでいたのだった。 ガボットの後ろに、自分と同じように立つ彼のボディーガードを見た瞬間、足も手も何もかもが固まってしまった。そのボディーガードは、アレンだった。スーツ姿ではあったが間違いない。一目で気付いたアルテミスの心臓だけが、固まった身体の中で、狂ったように跳ね上がった。 アレンの方も、ドアが開いて、真っ赤な女性が大きな声と手振りで入って来るのを用心深く監視しながら、危険は無いと判断し、ガボットにサインを出した瞬間、その背後に立つ人影に、目が釘付けになってしまっていた。 サングラスなんてしているが、紛れもなくアルテミスだと判った。 二ヶ月前…。 また会いたいと言い出せずに別れてしまった。 ……会う理由がない。強いて言えば、どんぐりの生育過程を報告するために、会う段取りを付けておいた方が律儀だったかな…。と思ったが、彼女はどんぐりに興味ないと言っていた。そうだった。やはり、会わねばならない理由がない。だからこれで良かったんだ。 同じ理由で、宇宙にいる間に、リンディアーナに呼びかけを発信する事もしなかった。彼女が話したくなかったら迷惑になってしまうし…。 会う約束も、呼びかけもしなかった理由を無理やりこじつけて、もやもやとわだかまる気持ちを押し込めた。にも係わらず、アルテミスの情報チェックは続いていた。その一連の動作はすっかり習慣になっていた。まさに今朝もチェックしてから出てきていたのだった。 (何がマーズエリアだよ…!) 当たる方が珍しい情報番組に心の中で文句を言うが、誤報道が嬉しい。自覚のないままに口元が緩む。 (奇跡が……奇跡がまた起きた……!) アレンが微笑んだ。ちょっとだけ口元を上げて。アルテミスも、つられて頬が緩んだ。 (この広い星の海で、三ヶ月の間に、三度も会うなんて…) ジーナの言葉を引用しながら、その信じられない再会に改めてドキドキした。その時、背後から小さな物体が部屋の中央へ向かって飛び出した。 しまった! と手を伸ばしたが、伸ばした手の先で、予想外の光景が展開した。部屋の空中に浮く栗毛のそばに、白毛の小動物。くぴぃーーーと一声鳴いた。 その声は、ガボットとジーナの耳にも充分届いた。 二人は声のした方へぴたりと視線を移した。 「おい、増えとるぞ」 「あら、ソルが二匹?」 二人とも、ぽかんと見上げている。 「あ、ごめんなさい!」 「すいません!」 アルテミスとアレンは弾かれたように駆け寄ると、手を伸ばして二匹を捕まえたが、うっかり逆に捕獲した。 「あ、違う、これソルだ」 「え、あ、本当、こっちルナだった」 あたふたと交換する。そして、何事もなかったかのように自分の立ち位置へと下がった。 何事もなかったように立っていたいのに、二ヶ月ぶりに同胞に会えた二匹は、後ろに回した手の中でくぴぃーぴぃーと鳴いた。 「そっちの茶色いのは、お嬢さんのなのかい?」 ガボットに尋ねられてしまった。 「お騒がせしまして、申し訳ありません…」 アルテミスはサングラスの中で、ジーナを見た。ジーナもアルテミスを見ている。ああ、このビルを出たらどんな質問攻めにあうのだろう…。ジーナはアルテミスに視線を置いたまま話し出す。 「二ヶ月前に、マーズエリアのドッグコロニーで拾って来たらしいんですけどね…」 「マーズのドッグコロニーと言うと、エジカマですかな? ほほぅ、奇遇ですなぁ。君も同じ頃にエジカマで拾って来たと言っとったな?」 「…はい」 答えるアレンの背後で、やはり手の中のルナが鳴いている。 二匹の声が部屋中に響いた。 「求め合っとるんじゃないか?」 ガボットの一言に、耐え切れなくなったアルテミスが言った。 「お譲りします!」 言いながら、つかつかつかっとアレンに突進して来た。 「え?」 と言い淀むアレンに、 「無理に引き離すのも酷でしょうから、どうぞ…!」 と、ソルをぐいと差し出した。 「じゃぁ、アルテミスが」 「いいえ、アレンが」 「アレン?」 二人のやり取りをあっけに取られて見ていたジーナは、大きく反応した。アルテミスは、ジーナに見つめられた背中に穴が開きそうな気分になった。 ガボットがジーナに答える。 「彼は、私の優秀なボディガードですが、名前をアレン・ターナーといいまして…。海賊アレンと紹介した方がお分かりでしょうかな。……お嬢さんは、海賊アルテミスさん?」 「はい」 すでに背中に穴が開いているなら、そこへ入ってしまいたい。アルテミスは逃げ出したい気持ちを押し殺し、出せる限りの気力で毅然とした態度を取り、立ち続けた。 「そう…あなたがアレン…」 ジーナはアレンをじっくりと見ずにはいられなかった。可愛い部下達が夢中になっている海賊アレン。この青年が…。すらりとした立ち姿は、誠実そうに見えた。業務上、アルテミスと同じサングラスをかけているので、目を確かめられないのが残念だ。しかし…船のカスタマイズに行った先で、一体何がこの二人にあったのか…! あたしが知らないなんて、まったく面白くない。 のんびりとした口調でガボットが言った。 「君達、知り合いだったの? そう…まぁ、おかしくはないよね。同業者なわけなんだし」 四人の頭上でしっかりと抱き合っているソルとルナは、幸せそうに浮いている。 いきなり、ガボットは笑い出した。 「あっはっはっは! クイーン・ジーナ! 契約しましょう! この愛らしい恋人達を見ていたら、あなたとは大きな実りがあると確信しましたよ! あなたはいかがですかな、そうお感じになりませんか?」 不愉快なオーラをアルテミスに向けて発信し始めていたジーナは、ばっと破顔した。 「ええ! ええ、感じますわ、感じますとも、キング・ガボット!」 「それは良かった、やはりあなとは気が合うようだ。どうでしょう、この続きは食事でもしながら」 「まぁ、素敵ですわ」 ガボットはジーナをエスコートしてドアへ向かった。 「ジーナ、今日あなたを送る権利を、私に頂けませんか」 「喜んで」 「というわけだ、アレン。私も彼女も護衛はもう要らん。君にはお嬢さんを頼む。クイーン・ジーナの大切なボディーガードだ」 「あなた方もしてらっしゃいな、ランチ。よろしくね、アレン」 二人は、最上階にあるガボットのレストランへと、意気揚々と行ってしまった。 広い応接室に、アルテミスとアレンはしばらく無言で突っ立っていた。 何から話していいのかわからない。くぴぃーと二匹が鳴いた。その声に後押しされて、サングラスを外しながらアレンが口を開いた。 「アルテミスも連れてたんだ?」 「…私も密航されてて…」 「そうだったのか…。ルナの後を追ってかな」 「あの二匹だったのね。すごい…、偶然」 「奇跡だよ」 奇跡…。そうよね、今、この出来事にこそ相応しい言葉だわ…。 ――すっげぇ偶然〜…! もうこれって奇跡じゃねえ? 二ヶ月前、はしゃいで言い放っていた男の顔が、ぽん! と脳裏に浮かんでしまった。 慌てて消す。消したい。お願い、消えて。外そうと思っていたサングラスが外せなくなってしまった。とにかく喋る。 「茶色かったから、とりあえずソルって呼んでたんだけど、本当にソルだったみたいね」 「…俺も、ルナって呼んでた」 「船に残して来たはずだったのよ」 「俺も部屋の籠に入れといたんだけどさ」 二匹は浮いたまま、鼻をひくひくさせ、お互いの顔をこすり合わせている。 「こいつら、ものの5分で契約させちまったぜ!」 そうだ、その通りだ。ジーナの久しぶりの大仕事だった。カセーグ社との契約が、一体どれだけの利益をもたらすかアルテミスにも計り知れない。ジーナの喜びを思うと、アルテミスに笑みが浮かんだ。 「すごいお手柄。ふふふふ…」 彼女の口元に浮かんだ柔らかい微笑は、この二ヶ月間、アレンがもじもじと押し殺していた気持ちを一気に開放した。彼女の顔に手を伸ばし、サングラスを外した。驚いている彼女の顔を真正面から見つめて言った。 「ああ、本当にアルテミスだ。驚いた、こんなばったり」 サングラスを受け取りながら、本当ね、と静かに同意しつつも、今のアレンの行動に動揺していた。 「元気そうだな」 「…アレンも、元気そうね」 「ん…」 嬉しい。顔がにやける。嬉しい、やばい。 「あぁ、どんぐり、埋めたよ。芽が出た」 「本当 ?! あぁ、良かった」 アルテミスは心底ほっとした。これで本当に借りが返せたというわけだ。 ふわりと二匹が下りて来た。アレンは二匹とも肩に乗せるとアルテミスに言った。 「よし、俺たちも行くか」 「え?」 「何食べたい?」 アルテミスは慌てて言った。 「ジーナの言った事なんて気にしないでっ」 「そんなんじゃないよ。この間は都合付かなくて一緒に飯行けなかったからさ。今日、行けて良かった。 何食べようか」 さすがに今日は断れない。アルテミスは、どうなることやら…と思いながら、アレンの後に続いて部屋を出た。 ビル街の歩道は、人がひしめいていた。こんな人数がどこから沸いてくるのか、どこへ消えて行くのか、不思議で仕方ない。 アルテミスはアレンの半歩後ろを歩こうとしているのに、アレンが歩幅を合わせて横に並んで来る。男の人と並んで歩いた事などないので、隣を歩かれると、どうしていいか分からず苦痛だ。 いちゃいちゃ歩く若いカップルに、すれ違いざまぶつかられた。よろける。 「大丈夫か?」 そう言いながら、アレンがアルテミスの手を取った。あ…と思ったが、振り払うことも出来ず、そのままアルテミスは歩くしかなかった。指こそ絡めたりはしていないが、ちゃんと手を繋いでいる。照れる。 ジョーには手首を捕まれて歩いた(あるいは走った)っけ。今思い返しても失礼なヤツ…。 「ほんと、何にする?」 アレンの声に我に返った。どうしよう、何処かの店に入るなんて絶対に無理…。だって、向かい合わせに座ったりするかもしれないし、カウンターだとしても、やっぱり隣に座るでしょ、御飯なんて喉通らない! 「あの、私、ソル達と一緒に、あっちの方で…」 ペット連れを理由に、公園のベンチを提案した。アレンもすぐに賛成し、彼女の手を引いて、公園へと進路を変えた。 スーツ姿で公園にいても目立たなかった。スーツで休んでいる人も結構いるものだ。アルテミスたちは噴水の見えるベンチでファーストフードのハンバーガーを食べていた。アルテミスはソルとルナにも千切っては与えていた。 「知らなかったよ、こんなモノまで食べるとは」 「今まで何あげてたの?」 「てっきり草食動物だと思ってたから、野菜ばっかり」 「やだ、かわいそう、ルナ」 「これからはちゃんと肉もやるよ。ごめんな、ルナ」 アルテミスは笑った。 「じゃあさ、参考までにソルが食べてる物、教えてよ」 「何でも食べるってば。私の食べる物は全部いけてたわよ。そうそう、お菓子だって食べてた、クッキーとかチョコとか、アンコとかも」 「へえ〜〜…」 アルテミスもチョコとかアンコのお菓子を食べるって事だな…と、アレンは想像した。 (やっぱり女の子だな、甘いモノが好きなんだ) アレンは甘い物は苦手だった。唯一、甘酸っぱいアイスクリームだけが好物だった。 と、噴水の向こうに、ピンクと白の縞々模様で塗られたワゴンをアレンは見つけた。あれは……! 「なぁ、あそこにアイスクリームのワゴンがいるからさ、ルナ達があれも食べるか、試してみないか?」 とアルテミスに言った。 「試すまでも無いわよ? 食べるもん、普通に」 「でも、じゃぁ、アルテミスは食べたくない? 食べたいだろ? 食べるよな。食べようよ」 さすがのアルテミスも気付く。アレンが食べたいのね、と。 アイスクリームを手に、堪えきれず笑いながら歩いた。 「美味しい?」 「旨い。あぁ、やっと喰えた、超久しぶり」 アレンは苺とラズベリーとブルーベリーの三種類のソースと果肉が入った『ベリーベリーフェスティバル』のキングサイズにご機嫌だった。ピンク色のマーブル模様の球は可愛らしい。アルテミスはメロンシャーベット(レギュラーサイズ)で、綺麗な黄緑色の球だ。 「どこにでも売ってるじゃない」 「前に笑われたんだよ、店の子に」 海賊アレンがアイスクリームを注文している姿は、ファンの子にはたまらない構図だったろう。販売係りの女の子は、きっと有頂天だったに違いない。決してアレンを馬鹿にしたのではないはずだ。 「だからこうして、いかにも女の子に付き合って食べてますって感じにしないとさ」 「そうだったんだ、大変ね」 “女の子” …くすぐったい。いい気持ちになった瞬間、余計な言葉が脳裏に飛び出した。 ――そんなもん抜くんじゃねぇよ、女の子が! 自分の記憶を抹消したいとアルテミスは思った。何でこういちいち、あの男の言葉が出て来るの。げんなりした。「トラウマ」とか「リセット」とか「自己暗示」とかいった単語が浮かんでは消えた。 その時、甘い煙草の香りがして、瞬時に体が硬直した。 まさか…まさか、あいつとも再会なんて事…… その煙を吐き出しながら前方から男が歩いて来た。アルテミスは近づくその顔を凝視した。別人だった。 脱力して初めて、全身が硬直していた事に気付いた。馬鹿馬鹿しい! 何でこんなに緊張してるの。そう言えば、アレンに会った二回とも、その直後にジョーに会っている…。だから、もしかして…と思ってるんだわ。イヤイヤ、絶対にイヤ。 ――もう一度ばったり会ったら運命だって受け入れて、オレの女になれ。 アルテミスの希望とは裏腹に、鮮やかにジョーの言葉が蘇る。 (もう一回ばったり会えば運命なら、アレンがそうよ!) アルテミスはそう心の中でジョーに言い返した。言ってから、一人で赤くなった。アレンが運命の人…。 しかし……アルテミスは、我に返ると、そっと自嘲した。 ――誰も好きにならない自分が、“運命の人”だなんて、何言ってるんだか。 アレンが振り向いた。アイスクリームにご機嫌の笑顔で。 好きになれなくても、運命の人じゃなくても、この人はいい人だ。本当にいい人。大事にしたい。 ――それぐらい大丈夫よね? 大事にするだけ。ちゃんと距離も置くから。 自分の気持ちの置き場所を再認識できたアルテミスは、ほっとしてアレンに笑顔を返せた。 芝の上に座って休んでいたが、アルテミスが手を洗いに水場へ立った。アレンはソルとルナを両手で構いながら、彼女の後姿を眺めていた。木漏れ日が金色の髪を光らせている。綺麗だな…と見つめる。ふと、木陰から風に乗ったひそひそ声が聞こえてきた。 「似てるよな…、本物だったら、マジどうしよう…!」」 「でもさ、アルテミスがこんな明るい公園で、男とデートなんてしてるわけないじゃん…」 どうやら女海賊アルテミスのファンらしい。 (デート? そうか、これってデートなのか…) デート…。今更気付いて、赤くなる。 「…だよな、アルテミスじゃないよな、さっき普通に笑ってたもんな」 「そうだよ、アルテミスがあんな笑うわけないじゃん」 (………) アレンはすっと立ち上がった。立ち上がって、木陰にいた二人組へゆっくりと顔を向けた。 おそらくまだ十代だろう若者達は、アレンに睨まれて固まった。実際は睨んだわけではなく、アレンはただ見ただけだったのだが。あぁ、俺にも気付いちまうかな…と思いながら、アレンはアルテミスの方へ歩いて行った。 手を差し出すと、センサーが作動して蛇口から水が流れ出た。冷たくて気持ちいい。軽く手を擦り合わせていると、左側のベンチに座っている三人組の女性達の会話が聞こえた。小声で喋っているつもりが、興奮して時々大きな声になる。 「絶対アレンだって! 本物よ、本物!」 「どうする? どうする? 声かけてみる?」 「いや〜ん、超かっこいい〜…!」 どうやら海賊アレンのファンらしい。 (かっこいい……か。ふう〜ん…) そうか、アレンってかっこいいのか。だからみんなに騒がれてるのか。今更気付いて、赤くなる。 「でも、そこの人と一緒だよね…」 視線が自分に移ったのを感じた。 「彼女…?」 「うそ…やめてよ…」 (……心配しなくても、私はアレンの彼女じゃないわ。でも。) ――見ず知らずのあなたに「やめて」と言われる筋合いはないわよ。 そう思った瞬間、肩をぽんと叩かれた。 「手、溶けちゃうぜ」 「……」 ベンチの三人の視線で肩が痛い。アルテミスはハンカチを出して手を拭きながら、アレンを見ずに言った。 「海賊アレンのファンみたいよ、あそこのベンチの三人」 「ベンチ?」 アレンはそっちを見てしまう。それがどんな事になるか考えずに。案の定、彼女達は、ばらばらと膝の上からバッグやら何やらを落してしまい、呆然とアレンを見ている。「海賊アレンと見つめ合ったのよ」と、きっと一生語るだろう。 「海賊アルテミスのファンもあっちにいるぜ」 「え?」 アルテミスは振り向いたりはしなかったが、いつの間にかあっちでもこっちでも、立ち止まった人々がこちらを見ているではないか…。 「行こう」 アレンはアルテミスの背をそっと押して歩き出した。 もしこれが、一人ずつだったなら、あっという間に人々に囲まれていた。二人ともそんな場面を何度も経験していたので覚悟したのだが、二人連れだと遠慮して声はかけずらいのだろう、遠巻きに見ているだけで、誰も何も言っては来なかった。こんな事は二人とも初めての体験だった。 公園を抜け、なだらかな傾斜の土手を登りかけた時、ドン……!という音と共に空気が揺れた。 その大きな音は、一瞬にしてアルテミスの五感を恐怖で覆った。 「花火だ」 恐怖で覆われた真っ暗な闇から、アレンの声で引き戻された。 目の前で、夕空に咲いた大輪の花が、ゆっくりと崩れて行く。と、シュッと空気を裂く音の後に、また低い音が空から地へ降り、足元へ這うように響いた。 背中がヒヤッとする。 「…大丈夫?」 アレンが心配そうに声をかけて来た。 「アルテミス?」 「え…」 そこでアルテミスは初めて、自分がアレンの腕にしがみ付いているのを知った。 「あ、ごめんなさい…!」 慌てて腕をほどいた。信じられない、何してるんだろう。 「花火、苦手?」 「そんなコトないわ、」 否定しかけた時、また花火が打ち上げられた。びりびりと空気が震える。アレンにしがみ付きこそしないでいられたが、とてつもなく怖い。低く響く、大きな音が、怖い。思わず肩がすぼむ。 「すぐそこで上げてるから、音がすごいよな」 土手の向こう側に、花火の仕掛けマシンがセットされているのが見えた。次々と連続して上がり始めた。 アレンは何も言わずにアルテミスの手を取ると、花火を背にして歩き出した。 音に驚いて、誰かにしがみ付くなんて失態は、初めてだった。誰かにしがみ付くという事は、頼ったという事だ。頼るなんて子供の時以来。海賊になってからは一度も無い。アルテミスが最後に頼ったのはライラだ。ライラ亡き後、誰も頼ってなどいない。ジーナとは契約をした仕事上の仲だ。無条件で頼った事など、絶対にない。 (アレンといると、調子が狂う……!) そう、アレンのせいだと気が付いた。アレンといると、自分が自分でいられなくなりそうだ…と、ぼんやりと感じもした。しっかりしなくちゃ…! とりあえず、一人になって気持ちを整理したい。一刻も早く…! 「アレン、私、帰るわ」 手を引いて歩くアレンの顔を見ずに、アルテミスは言った。 「…疲れた?」 「……少し」 「そうか、わかった。じゃぁ、送るよ」 アレンは手を繋いだまま、カセーグ・ビルへ向かって歩き出した。 食事を済ませたジーナとガボットは、酒の席へと移動していた。夜と呼ぶにはあまりにも早過ぎる時間だったが、ガボットのプライベート・バーなので、そんなモラルは必要ない。 仕事の話は食事中にとっとと片付けた。ほろ酔い気分の今は、もっぱらお互いのボディガードの話だった。それぞれ密かに親代わりのつもりでいる二人は、アルテミスとアレンが自分達の知らない内に知り合っていて、しかも、ただの知り合いではなさそうだ…といった事実に、内心は本当に驚いていたのだった。まずは、お互いの情報交換を…といったところか。 「本当は、私は彼を専属にしたいんですよ。ただ、どうにも彼は人気者でしてね、なかなか独り占めできんのですよ」 「アレンの噂は、私も聞いておりました。うちにも、彼に夢中な子が何人もおりますのよ。今日、初めて彼を見て、ああ、なるほどと納得いたしましたわ」 「そうですか、それは嬉しいですな。彼は、いい青年でしょう? 戦艦も立派だが、自身の腕も立つ。まさに怖い物無しの無敵の海賊だ。しかし私には、それ以上の思い入れがありましてね。彼の船の、元の持ち主とも、私は交流がありまして…ザナックという男でしたが……ザナックが死んで、船はアレンに引き継がれたんです…」 「親子でしたの?」 「いえ……ザナックは、強くて心根の優しい、宇宙の男でしてね、何でも屋をしていたんですが、宇宙難民を良く引き取ってもいたんですよ」 「難民…」 そう言えば、そんな事をうちの子達が言っていたっけ…と、ジーナも思い出した。 「アレンは、狂乱の月での難民です。ザナックに拾われて、5年間、育ててもらったと言っていました」 「そうでしたか…。アレンは、その強くて優しい宇宙の男に育てられた青年でしたのね」 「ザナックの信念をちゃんと引き継いだ、強くて優しい青年ですよ、アレンは。はっはっは、これは親バカのようですな、お恥ずかしい」 「いいえ、ちっとも」 「あなたのボディガードのお嬢さんは、専属で?」 「あの子は……、私が旅に出ない間は、他で何かしているのかもしれないのですが、私はあの子なしで旅に出た事はありません、この6年間は」 「6年…すると、まだ少女の頃から?」 「ええ、そうです、少女でした」 ジーナは、グラスの中に揺れる氷を見ながら、噛み締めるように話し出した。 「……あの子は、名前も歳も、何もかも不明で、…ただ、噂だけが広まっていて…。『悪徳造船会社の社長を一撃で消し去ったのは、初の完全型ACS搭載の宇宙戦艦で、その持ち主は年端も行かない子供らしい』…ってね」 ガボットもその噂は聞いた事があった。商人として、完全型のACSに心魅かれた。量産できれば莫大な富を生み出す市場の誕生だと、ガボットのみならず誰もが考えた。確かに、現在、市場を賑わすトップ商品の一つになっている。しかし、あの噂の元祖ACSはいまだに幻のままだ。誰も同等の性能まで辿りつけなかったし、開発者は不明のままだった。「性能すら噂なんだから、元々そこまで高性能ではないんじゃないか」と笑う者もいた。実際、真実は持ち主しか知り得ない。女海賊アルテミスしか…。 「初めてあの子に会った時、こんな少女がたった一人で海賊船を操って生きているなんて、信じられませんでした」 グラスの中で、溶けた氷が滑って涼しい音を立てた。 「大事に育てられましたな」 そう言われて、ジーナはガボットに振り向き、笑った。 「いいえ、私は何も…。ただ、あの子に、仕事を与え続けただけです…仕事を」 アルテミスは馴れ合う事を拒んだ。防衛レベルを把握するために、バルナッダ号には入った事があったが、自分の船には誰も招き入れなかった。雇い主のジーナでさえ、一度も。それはもちろん、今も変わらない。休暇を与えても、一緒に過ごす事は決してない。 正直、寂しい。もう6年も共に宇宙を旅して来た。それだけなのか、と。本当に仕事だけの繋がりなのかと…。そう訊きたいと思った時は幾度もあった。でも――。ジーナは堪えて来た。彼女の望まない事は押し付けない。それがこの子と一緒にいられる条件なのだと、充分に理解していたから。 「生き抜くためには、安住の大地か、船が必要不可欠だ。船には、金がかかりますからな。仕事を与え続ける。それが一番の愛情ではありませんか?」 ガボットは、優しく微笑んで言った。 「……」 酔ったらしく、何か言葉を口にすると涙が滲んでしまいそうで、ジーナは無言でガボットに微笑み返した。 アルテミスがジーナを乗せて来た真っ赤な車は、とうにカセーグ社の者がバルナッダ号の停泊するエアポートまで届けてしまっていた。 一人で帰れると言うアルテミスを、ジーナとガボットに怒られるから、と言って、アレンは断固として送った。 アレンの運転するエアカーの助手席で、夜の景色に変わり始めたビル街をアルテミスは見上げていた。明かりが煌々と光り輝く窓がたくさんある。あの一つ一つの明かりの中に、必ず誰かがいる。本当に…人ってたくさんいるんだな…と、そんな事をぼんやり考えながら眺めていた。窓ガラスの流れる景色に重なって、自分が映っている。自分の後ろには、アレンが映っていた。前を向いてハンドルを握っている。真剣な横顔。今日、ずっと一緒に過ごした顔。並んで歩いていたから、何度も見た横顔。今も、すぐそこに、私の左肩のすぐ横にいる…。 こんなシーンは初めてだ。そう言えば、アレンと出会ってから、なんてたくさんの初めてがあっただろう。あぁ、早く一人になって落ち着きたい。 そう強く思うのに、エアポートに着いた時の事を考えると、気分が沈んだ。 ――沈んでいることにすら気付かない彼女には、自分がアレンと別れたくないと思っているなど、到底分かるはずもなかった。 エアポートのゲートを潜ると、リンディアーナのタラップの前までアレンは車を乗り入れて、文字通り玄関先まで送り届けた。 これほど間近にリンディアーナを見るのは初めてだったアレンは、車から降りてその船体を見上げた。ブレイブアローに比べるとずいぶん小さいが、それでもこの中に彼女は一人なのかと思うと、胸がしくりと痛んだ。自分の事は棚に上げて。 「どうもありがとう、アレン」 アルテミスに言われて、彼女を振り向いた。夜風が彼女の髪を揺らしている。頬にかかる髪を手で押さえ、ぽつんと立っている彼女は、とても心許無く見えた。アレンは思い切って訊ねた。 「あのさ、人混みって、苦手だった?」 「え…?」 「俺はどっちかって言うと苦手だから、もしかしてって思ってさ」 アレンもそうだと聞いて、アルテミスはほっとした。 「私も…。賑やかな街中は、滅多に歩かないし…」 やっぱりそうか… 「そっか、ごめんな、気付かなくて」 アレンに謝られて、アルテミスは焦った。責めたわけじゃない。 「すぐに公園に連れてってくれたじゃない」 「……。アイス、付き合ってくれてサンキュな」 「私こそ、ごちそう様」 うっかり変な事を言って、アレンの気を悪くしてしまいそうで怖い。 「ソル、おいで」 アルテミスは、車の中にまだいるソルを、開いている窓から呼んだ。ルナの側にいたソルは、アルテミスを見上げたが、そこから動かない。 「ソル」 もう一度呼ぶ。でもやはり動かない。アレンは言った。 「久しぶりに再会できたから、一緒に居たいんじゃないか?」 言いながら、何だか自分の事を言っているような気になった。 「いいよ、このままで。今夜は俺が預かるよ」 「でも…」 「まだ発たないだろ? また明日、会おうよ。…都合がつけば」 さらりとうまく誘えたのに、押し切れない。それがアレンの優しさでもあるのだが。 「とにかく、今夜は離さないでやろうよ」 「…うん」 アルテミスの「うん」は、どっちの返事なんだろう。どっちもだといいんだけどな…。 「じゃぁ、ソルを宜しく…」 「ちゃんと肉も上げとくよ」 アルテミスの顔に、思わず笑みが浮かんだ。 「何かあったら、メールする」 「メール…」 彼女は困ったような顔をした。 迷惑だったか…と、アレンは一気に不安になった。 「メールじゃなくて、電話にしてもらっていい?」 メールは苦手で…と彼女は恥ずかしそうに言った。番号を交換すると、彼女は一度も振り返らず、タラップを登って船の中へと消えた。 早鐘のような鼓動で彼女を見送ったアレンは、車に乗ろうとして、バルナッダ号の影から自分を見ているたくさんの人影に気付いた。アレンに気付かれて、影達はザワザワと蠢いた。ジーナの部下だろう事はすぐに分かったので無視するわけにも行かず、アレンは軽く頭を下げて会釈した。影から悲鳴が上がる。大事にならないうちに退散しないと。アレンはそそくさと車に乗り込み、エアポートを後にした。 タラップから入った最初の部屋の窓から、アルテミスはアレンが帰るのを見守った。 赤いテールランプがどんどん小さくなって、やがて他の灯りに埋もれて区別できなくなった。深い溜息が漏れる。 (疲れたものね…) 溜息が疲れのせいだと信じて疑わない彼女は、携帯電話を見つめて、また一つ、でも、浅い溜息をついた。 上機嫌のジーナが、車中のガボットに手を振り見送った時、バルナッダ号のタラップ付近には、興奮したたくさんの部下達が座り込んでいた。 「どうしたんだい、おまえ達?」 「親方、お帰りなさい!」 「契約おめでとうございます! さっすが親方!」 まだ幼さの残る若い子達が、わっと寄って来た。可愛い。 「ありがとう、大入り、楽しみにしてな」 契約を取り付けたのは、アルテミスのペットだったけどね…と思いながら、部下達の頭をがしがしする。 アルテミスといえば…今頃、どこで何をしてるだろう…。あの青年はうまくエスコートしてくれてるだろうか、うちの晩生のアルテミスを…。 ジーナがそう考えた時、部下の一人がジーナの腕を揺すって言った。 「親方、アレンが来たんですよ!」 (え!) 「そう、本物、本物!」 蜂の巣を突いたようなかしましさが、夜のエアポートに響く。 「アルテミスを送って来たんですけど〜」 いいなー、アルテミスー、ずるーい! などと騒いでいる。 (よし!) ジーナも興奮した。 あの青年は、ちゃんとアルテミスと一緒に過ごして、こうして送って来た。あの堅物アルテミスを。 「で、二人はどっちにいるんだい?」 もしかしてリンディアーナだったりしたら、それこそ大進展だ! 「リンデアーナには誰も入れたりしないじゃないですか」 ――ちぇっ。 「やっぱこっちか」 自分の船を見上げた。バルナッダ号の応接室あたりを使ってるんだろう。まったく色気のないコト。 「アレンはとっくに帰っちゃいましたよ」 「え?」 「車から降りたアルテミスがぁ、リンディアーナに入ったのを見届けてぇ、で、で、あたしたちにぺこってね! ねー !!」 「お辞儀してくれてぇ、で、帰ってったんですぅ〜!」 その時の光景が蘇った部下達は大興奮だ。 ジーナは、リンディアーナを振り仰いだ。タラップは仕舞われ、侵入者を固く拒絶している。睨み付けたまま、ブレスレットをしている左手首を口元へ運んだ。今日のジーナの携帯電話だ。ぶちっとスイッチを押し、叫んだ。 「アルテミス!」 まだ、アルテミスと繋がっていないのに、叫び続ける。三度目の叫びの途中で本人と繋がった。 「ジーナ? 今どこから?」 ジーナの携帯電話からの発信に、出先から掛けて来たと思ったアルテミスは、何かが起こったのかと内心焦った。 「あんたの真下からさ!」 「え? じゃあ、無事に帰ってるの?」 「そんな事はどうでもいいんだよ! あんた、一体、何時に帰ってきたの、え ?!」 雇い主の安否より、ボディーガードの帰宅時間…? 意味が分からない。 「1時間ぐらい前だけど、何かまずかった…?」 1時間前…まだ宵の口にもかからない時間じゃないか。ジーナは爆発した。 「そんな時間に帰って来るなんて、おまえは子供か!」 アルテミスにはジーナの怒りが、ますます分からない。 「……なに怒ってるの?」 「明日! 明日の晩、カセーグ社の晩餐会に招かれたから、心得ときな!」 晩餐会。 パーティの混雑の中での護衛は特に神経を使う。これは大仕事だ。気が引き締まる。 「分かったわ」 「正装だよ! いいね、正装!」 A級フル装備とは、ずいぶん手堅い。カセーグ社開催だから、やっぱり規模が大きいのだろう…と思いながら、でも、と提案する。 「ライフルは目立つから、小型のショック系の方が良くない?」 ジーナは吼えた。 「おばか! 晩餐会の正装って言ったら、女はドレスだよ、ド! レ! ス!」 ドレスってどんな武器だっけ…? と、頭の中で引き出しを開けまくったが、 「ドレスはあたしが用意しとくから、呼んだらこっちに来るんだよ! 着付けてやる! いいね!」 と、言われているうちにやっと気が付いた。 「ちょっと待って!」 しかし、吼えるだけ吼えたジーナは、ぶちんと電話を切った。 エアポートに静寂が戻る。ジーナの頭からは湯気が立っている。 「サチ! 明日、ドレス買って来ておくれ! 谷間バッチリで、後ろなんてお尻が見えるくらい開いてるヤツ!」 サチと呼ばれた古参の部下は冷静に言った。 「谷間はまず、山がないと」 「寄せ集めて作るさ!」 |
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第4話 恋人達 END | ||
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ぺた |