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第2話  アレン・ターナー
 火星の周りにぐるりと浮いているコロニー群の中の一つ、M657コロニー“エジカマ”。
宇宙船造船技術専門コロニーのエジカマは船乗り達の聖地であり、百以上もあるドッグはどこも、数ヶ月先まで予約が埋まっていた。
   
 酸素供給補助のために、コロニーには必ずまとまった森を作るように義務付けられている。その森を背にして建つティーキードッグには、海賊アレンの戦艦・ブレイブアローがいた。
 ティーキードッグは、ブレイブアローが海賊戦艦ではなく、何でも屋の船で、主もザナックという男だった頃からのホームドッグだ。ザナックから船を受け継いだアレンは、ドッグもそのまま変えずにいる。この船を隅から隅まで熟知しているのは、太陽系広しといえどティーキーだけだと知っているからだ。

 固定されたブレイブアローを見下ろす中二階のブースで、アレンは数人の技術屋と、モニタに写した図面を見ながらあれこれ話していた。背を向けて電話をしていた小柄なひょろひょろした男が、電話を切り浮かない顔で振り向いた。
「アレン。どうしても明後日になっちまうそうだ。悪いな、一日伸びちまう」
「そうか、仕方ないさ。ティーキーのせいじゃない、運送屋のミスなんだから」
ティーキーは細く尖った顎で深く息を吐き出して言った。
「いつも通りにクロニャン運輸にしときゃ良かったぜ」
アレンのためを思って、日頃取引はないが早いと評判の運送屋に部品の運送を頼んだのだが、思いっきり裏目に出てしまった。
「一日ぐらい問題ないし、神様がくれた休暇ってことで俺ものんびりするよ」
「…悪いな、アレン…」
「気にするなって。さ、飯、行こうぜ!」
アレンはしょぼくれているティーキーの背中を押しながら、皆と一緒にわいわいとドッグを出て町へと繰り出した。


 
 ティーキー・ドッグのゲストルームは、こじんまりとしたワンルームだった。
 奥のドアが開いて、シャワーを浴びていたアレンが、わしわしと髪の水分をふき取りながら入ってきた。スウェットパンツを履いただけの姿で、どさっとベッドに倒れ込んだ。
 しばらく目を閉じ横たわっていたが、手だけ動かしてリモコンを掴むと、ボタンを押した。壁に埋め込まれたモニタがパッと点く。画面には数字がたくさん並んでいるが、アレンはベッドに突っ伏したままモニタを観ることはしない。
「なお、情報を寄せて下さる方は、その他・連絡方法の手順でアクセスして下さい。知りたい海賊の番号をリモコンで入力するか、画面に触れて下さい」
メッセージがエンドレスで流れる。アレンはにゅっと伸ばした手でリモコンをモニタに向けると、リモコンのボタンを見る事も無く、ぴぴぴぴ…と番号を器用に打った。画面には、すぐに海賊アルテミスの顔が現れた。
ようやく身体をうつ伏せから横向きにずらし、額に無造作に張り付いている湿った前髪の間からモニタを観た。
アルテミスだ…でも、アルテミスじゃない。
記憶の中の彼女は、こんな蝋人形みたいな顔じゃない。
顔写真の下にたくさんのメニューがある。その一つを選んだ。
「マーズエリアが送る、海賊アルテミスの現在位置は、マーズエリアだと推測されます」
アレンはガバッと飛び起きた。前髪をかきあげ画面をしっかり見つめる。しかし我に返る。
(いやちょっと待て…。)
トップ画面に戻して、自分を検索した。
「マーズエリアが送る、海賊アレンの現在位置は、ヴィーナスエリアだと推測されます」
(やっぱり…)
自分こそ今マーズにいるのに… ヴィーナスにいたのは一ヶ月も前だ。そもそも、ヴィーナスエリアのコロニーでアルテミスと出会ったのだから。
ぶちっとモニタを消すとベッドにひっくり返った。今日一日の疲れが一気に体中を侵食していくようだ。
「あー…」と、思わず深い溜息が漏れる。落胆と共に後悔が湧き出す。
海賊情報番組なんて、散々バカにして来たのだ。それが今や、海賊アルテミスの呼出し番号すら暗記しているとは。
疲労した頭で考える。仮に本当にマーズエリアにいたとしても、どのコロニーにいるかまではわからないし…。結局、何も分からず仕舞いじゃねーか。また会うなんて夢みたいな話なんだよ…。
 こうして彼女の情報をチェックする事はすでに日課と化している。あれから一ヶ月。
このどんぐりは、本当に貰って良かったのか?
アレンは、ベッドのヘッドボードに置いてあるカプセルを手に取った。どんぐりがコールドストックされている小瓶を収めた小型カプセルだ。いつどこでアルテミスに再会しても返せるように、持ち歩いているのだ。
どんぐりを育てるためには、何が何でも彼女に再会して、確認しなければ。どうしたら彼女に会えるのだろう。
(何処にいるんだよ)
 このひと月、来る日も来る日も彼女のコトを考えていた。寝ても覚めても、仕事中も、仲間と遊んでいる時も、脳内で彼女との出来事を繰り返しスライド再生していた。
(しかし、樫の木のためとは言え、こんなに女のコト考えてるのは初めてだな…。まぁ、仕方ないか、樫の木だもんな)
彼女のコトばかり思っている本当の理由に、アレンは自分でも気付いていなかった。“どんぐりの確認”という大義名分を掲げていたし、よもや自分が女に入れ込むなんて事は絶対にないと信じていたからだった。 

 『狂乱の月』戦争末期、戦争孤児になっていた12歳のアレンは、孤児仲間のユウジと同じ船でムーンベースから脱出した。
 その脱出船がどこへ逃げようとしていたのかは、子供達には知らされていなかったが、宇宙へ上がっても戦火からはなかなか逃れられず、必死に払いのけ潜り抜けたが、戦争が終結した時には、船は数人の子供を乗せて漂うだけの難破船と変わり果ててしまった。帰るムーンベースはもうない。どこへ助けを、どうやって呼べばいいのか、年端も行かない子供だけでは何も出来ずに、ただ漂流していた。太陽系連邦局の救済船にも運悪く見つけて貰えずに、ただただ漂い続けた。
 水も食料も酸素も尽きかけた時、何でも屋のザナックという男が難破船に気付き、とりあえず自分の船に引き取ってくれた。その後ザナックは連邦局へ掛け合い、子供達の希望が通るように動いてくれた。ザナックの船を降りて、どこかのコロニーの施設へ入るも良し、ザナックの船に残りたければ、乗組員として雇ってもくれた。
 ザナックの船は大きくて――ブレイブアローだが――強くて、不沈の戦艦に思えた。ザナックのそばに居ることを選んだアレンとユウジは、それこそ数年ぶりに不安のない環境に身を置いたのだった。
 船同様、ザナックも頼りがいのある、がっしりとした宇宙の男だった。ザナックみたいな男になりたい!アレンもユウジも心底憧れ、崇拝し、彼のような男に成長するべく、鍛錬に励んだ。きつい戦闘訓練も、難しい航行学の勉強も、親友と一緒なら乗り越えられた。
 やがて少年達の夢は、いつか二人で独立して、俺たちだけでザナックみたいな船を持つという壮大かつ具体的なものになった。アレンとユウジは熱く夢を語り合い、固く固く約束した。
 
 それから五年間、彼らはザナックの元で立派な青年に成長して行った。なのに…。二人で掲げていた夢は、ある日突然、永遠に叶わぬ夢へと変わった。
 
 評判の良くない大富豪の男とその娘の護送の仕事を、ザナックは珍しく迷った挙句に引き受けた。今思えば、虫の知らせだったのだろうか。
 テロを恐れていた男は贅の限りを尽くした派手で目立つ自分の船を使わず、屈強の船ブレイブアローに自ら乗り込み運んで貰うという注文をして来た。護衛ではなく護送の依頼だ。
 ところがその道中、何でも屋の乗組員の若者と娘が恋仲になってしまった。同行させていた実の娘は、到着先で政略結婚へと差し出す大事なコマ。傷物にされてはたまらない。男はあっさりと若者を始末した。それが引き金となり、坂を転がり落ちるように悪い事だけが起こった。
 やがて、テロ艦隊とブレイブアローと連邦局警備艦隊の三つ巴という最悪の状況に陥り、それが全て終わった宇宙空間には、虫の息のアレン一人を乗せたブレイブアローだけしか、船と呼べる形は残っていなかったのだった。
 
 こうして、連邦局警備艦隊を粉砕した罪で、アレンは5億ドルの懸賞金付きの指名手配犯になった。
 政略結婚に向かわされていた娘に心惹かれたばかりに命を落とした若者が、ユウジだった。
 
 アレンには理解できなかった。
あと少しで夢が叶ったのに。二人で独立する夢が。ザナックだって応援してくれていたじゃないか。
あれほどあの女に係わり過ぎるなと言ったのに。俺との約束よりも、あの女が大事だったのか。
お前にとって、あの女は何だったんだ。命を捨てても良い程の存在だったのか?
じゃぁ、俺は?ガキの頃からずっと親友で、あんな過酷な戦争を一緒に生き抜いて来た俺は?
 
 女は何もかも俺から奪って行った。女に罪はないのだろうが、とにかくやっかいな存在だ。係わらないに越したことはない。
アレンはそうして生きて来た。
 
 その後、知り合ったゴセの妹や女海賊カーラといった女友達ができ、友達付き合いは気負わずに出来るようになった。楽しいと思えるようにもなった。それをきっかけに初対面の女性にも、すんなりとはいかないまでも、そこそこ失礼の無い対応ができるようになって、仕事の幅も評判も各段にあがった。
 泥濘でバイクを起こせず困っていた見知らぬ女を見かけた時、冷静に判断して、ザナックに叩き込まれた正義感を奮い立たせ、頑張って声をかけたのだった。表情までにこやかに作れなかったのは、この際大目に見て欲しい。

 こうして生きて来たアレンなので、友達ではなく、それどころか良く知りもしないたった一人の女性のコトを、ずっとずっと、ずっと考えている…。などという事は本当に初めてなのだ。どんぐりを言い訳にしていたとしても。
 カタカタカタ――――…微かな振動がサイドテーブルに置いたグラスを小刻みに揺らし始めた。
アレンは耳を澄ました。徐々に大きくなる振動と音に連動するかのように、アレンの鼓動もどんどん早くなる。
(彼女だ……)
直感だ。アレンは跳ね起き、ゲストルームからベランダに飛び出した。そしてドッグの外壁に沿って折り返しながら屋上まで続いている階段を全力で駆け上がった。
屋上へ立ち、息が乱れたままスカイビジョンを見上げると、晴天の夜空に星の光を潰しながら降下して来る影があった。真っ黒で船の輪郭しかわからなかったが、やがて森影から四筋の誘導光が伸びて船を射した。その光が船体を掠めた一瞬に浮かび上がったマークは、ゴセが言っていたリンディアーナのマークと同じだった。
「リンディアーナ…!」
直感は当たった。リンディアーナの振動なのか、自分の脈なのか。リンディアーナの音なのか、自分の心臓の音なのか。判断のつかないまま、ただひたすらじっと、四筋の光に沿ってリンディアーナが森影の中へ消えるのを見守った。

 太陽系の中で、人類が行動している範囲は金星から木星まで。金星、地球、火星、木星の周りに浮かべた巨大コロニーだけでも数千個ある。
 約束をしたわけでもない、通りすがりで片付いてしまう間柄。それが、たった一ヵ月後にこうしてまた同じ場所にいる。
(こんな偶然があるなんて…!)     
 音と光がすっかり消えてしまっても、アレンは風に吹かれながらリンディアーナの沈んだ森から目が離せなかった。 



「本当に絶滅なのかな…」
大木を見上げ、幹に触れながら、午後の森の中をゆっくりと歩くアルテミスは呟いた。
コロニー“コーナ”で海賊アレンと出会ってからというもの、どこかに寄航した際に時間があれば、森へ足を運んでいた。アレンが欲しがっていた樫の木…。本物を見てみたい。彼が好きだと言った木を。
 その時、木陰で何かがきらりと光った。光った瞬間に、アルテミスは大木の陰に身を隠し、素早く腰から銃を抜いた。
鳥の声。葉のざわめき。遠くのドッグからの機械音もかすかに風に乗って来る。
ぱきっ。枯れ枝を踏みしめる音がした。息を殺すアルテミスの耳に、その足音は近づいて来る。
至近距離戦は苦手なのに。と、暗い気持ちで銃を握る手に力を込めた瞬間、
「アルテミス?」
と、呼ばれた。今まで聞いたことのある「アルテミス!観念しろー!ぐははははー!」の類ではなく、明らかに場違いな口調だ。こんな風に名前を呼ぶ賞金稼ぎなんて初めてだ!変なヤツ!
張り詰めた空気が、微妙にぼよんとたわむ。柔らかく呼べば「なあに?」と出て来るとでも思ってるのだろうか?かくれんぼしてるわけじゃないんだけど、命がけだし。
途切れそうな緊張感を平常心で繋ぎ止め、銃を握り締め直した瞬間、目の前を何かがザッ!と横切った。微かに睫に触れた不意打ちに、うっかり悲鳴を漏らしてしまった。一度発した声は飲み込めない。
「どうした?」と、マヌケな賞金稼ぎが言いながら、パキポキと小枝を踏みしめながら近づいて来る。
こんなポカミスも初めてだ!と全身の血が一気に足元に落ちたが、「とんっ」と何かが降り立った衝撃が頭の上に走った。
 見えない重みは瞬時に恐怖に変った。払いのけようと手を動かしたが、その何かは彼女の頭の上で踊っているのか、手が触れることすら出来ない。正体の分からない物体が頭の上で跳ねている恐怖。
 賞金稼ぎも怖いが、こっちは生理的な恐怖だ。抑えきれない。全身に鳥肌が立ち、狂ったように手を動かした。
「とったよ」
声はすぐ横でした。いつの間に真横に!はっとして見ると…………アレンがいた。
「アレン………!」
アレンの手には、小さな動物が居た。リスに似ている。
頭で飛び跳ねていた物体の正体が、危険のない小動物のようだと知り、賞金稼ぎだと思ったのはこれまた危険のない(多分)知り合いで、体中の力が抜けそうになった。
 が、今度は違う種類の緊張が、彼女の身体を支配した。
………アレンが目の前に居る! 
 
 リンには、「もう会うこともないでしょうけど」と言ったが、言った側から「それは嫌だ」と心の奥では思っていた。でも、その本心には自分でも気付いていなかった。心の深い奥底で、あの笑った顔がまた見たいと思っていたのだ。
 今、目の前に、その笑顔でアレンは立っていた。ちょっと恥ずかしそうに。
動物を木の枝に放して、アレンは言った。
「やあ、久しぶり」
「お久しぶり、アレン」
アルテミスはとりあえず同じ言葉をオウム返しに言いながら、頭の中でぐるぐると状況を判断しようと踏ん張った。
「また、樫の木を探してたの?」
自分が樫の木を探していたこともあり、つい連鎖反応で言葉が出た。
「違うよ、アルテミスを探してたんだ」
その台詞がどんな風に彼女に響くか考えてから口にしろ!という方が無理である。何しろアレンにとって、全ては“どんぐりの確認”のためだけなのだ。
「この間は俺、ちゃんと礼も言わないでさ」
(あぁ、どんぐりのコトね…!)
彼女も恋愛値が低かったので、変な誤解などせずに会話はそのまましゃくしゃくと進む。
「借りを返しただけよ。芽は出そう?」
「…まだ、埋めてないんだ。本当に貰って良かったのかって」
アレンの言わんとしている事が分からず、アルテミスは次の言葉を待った。
「だって、どんぐりって、もうどこにもない実なんだぜ。あれは、その、どこで誰が保存してくれていたの? それをアルテミスが譲り受けたんだろ? 俺、もうずっと探してるから、貴重レベルが半端じゃないってイヤって程分かってる。だから、…あんな簡単に貰っちゃいけなかったと思ってさ」
そう言うと、アレンは小型カプセルを差し出した。アルテミスは驚いた。
それで、会えるかどうかも分からない私に確認するまで、土に埋めるのを我慢していたと言うの? こんなふうにいつも持ち歩いてまで…? あぁ、なんて律儀な人なの…! 
ちょっとしょんぼりしたようなアレンを見て、アルテミスは切なくなった。
「それは、昔、どこかで、知り会った人がくれたの。あの、アレン、どんぐりをけなすつもりはないけど、私には貴重レベルゼロなの。だから、私に気を遣う必要はないわ。煮るなり焼くなり好きにして」

 このどんぐりは、本当はアルテミスが父親から貰った物だった。父親はその父親からと、代々子供へと受け継がれてきた実だと聞いていた。ご先祖様は、かつて地球にあったヨーロッパ大陸という地に住んでいて、敷地内に樫の木の森があったという。月面移住計画が始まって、いよいよ地球を去る時、子供だったご先祖様は、大好きだった樫の木の実をコールドストックして持ち出したという言い伝えだった。
 こうしてどんぐりの旅を辿ってみると、確かにアレンの言うように、貴重な物だと分かるが、この先自分が持っていても宝の持ち腐れになるに違いないと強く思うのだ。例えば私が逮捕されてしまったら、どんぐりは船の奥で人知れずコールド期間が切れて腐ってしまうだろう。そんな風に失うくらいなら、心から欲しがっている人の手に委ね、どこかで命を芽吹いてくれた方がどんなに素晴らしいか。最良の使い道だ。

「無理してない?」
「ちっとも」
念を押したアレンは、やっと不安が消えて晴れやかに笑った。
「そか。じゃあ、埋めさせてもらうよ」
「どうぞ」
「サンキュ」
「いいえ」
見たいと思っていた笑顔を、目の前で惜しげも無く炸裂されて、アルテミスは目を伏せるしかなかった。笑顔が見られて嬉しいのに、その嬉しさを自分自身どう受け止めたらいいのか分からずに、居心地が悪くなってくる。そもそもこんなシチュエーションは経験がない。所在無げな気分に、表情には不機嫌な色が滲みそうだ。
 
 用件は済んだが、じゃぁこれで、とは言い出せず、アレンは俯いているアルテミスに尋ねた。
「何処のドッグ?」
アルテミスは自然に顔を上げる事ができて答えた。
「この奥の、ベスタのドッグよ。アレンは?」
「ティーキーのドッグだ。十日目なんだけど、手違いがあって今日はオフになったんだ。そっちはいつまで?」
「ベスタ次第だから予定なんてないの。今日もベスタは出かけちゃったし」
ベスタは、船乗りの間ではモンスターおばさんと呼ばれている女性エンジニアだ。おばさんと言われてはいるが、現在はすでにおばあさんの域に入っていると年齢だ。うっそうと伸ばした銀色の髪を適当に束ねた(しかもはみ出してる毛束が大量にある)、他人の目を一切気にしない独特のスタイルは、モンスターを連想するに充分だったのだ。エンジニアとしての腕もこれまたモンスター級に素晴らしかった。その確かな技術を求める船乗り達からは絶大な人気で、予約を入れようにも半年以上先まで埋まっているドッグだった。
 海賊アルテミスの戦艦・リンディアーナがモンスタードッグ。そうだよな、最高級の戦艦には最高級のドッグだ。そりゃそうだぜ。勝手に納得しながらつい口が滑る。
「初日からオフにされちまったのか」
「…。そう、今日が初日なの…」
なんで知ってるの……? アルテミスは不思議な顔でアレンを見た。
「昨夜、リンディアーナが降りて来たの、偶然見たんだ。驚いたよ、また会えるとは思ってなかったら。でも会えた。良かったよ。そう、どんぐりの確認もできたし」
アレンの本音と建前が一瞬垣間見えたが、二人とももちろん気付かない。
「リンディアーナ、ACS積んでるんだろ?」
「ブレイブアローだって積んでるんでしょう?」
自分の船の名が相手の口から出る事に、お互い密かにドキドキしながらも何とか押し殺し会話を進める。
 ACSとは、オートコンバットシステムの略。このシステム、真に高性能級なら乗組員は一切不要になる。主一人がシステムに命令を下すだけで、あとは全てコンピュータが臨機応変にコンバットするのである。更に経験値を積んで常に進化もする。戦闘だけではなく、離着陸や航海も任せられる、本当に便利なシステムなのだ。
「でもリンディアーナのACSは違うって噂じゃないか。元祖にして最高のACS。開発者不明の幻の完全型」
そう…その噂は真実だ。この完全無欠のACSは、アルテミスが前科者になってでも守り通したシステム。その経緯を知る者は、一人残らず一瞬にして消え去った。彼女の手で。そして噂だけが静かに静かに星の海に広がっていったのだった。
「もしかして、開発者?」
何も知らないアレンは無邪気に問う。
「いいえ、違うわ……。ずっと昔の知り合いよ………。もういないわ……」
これも真実だ。悲しい悲しい真実。その思い出に触れるたび、今でもアルテミスの胸はぎゅっ…と縮む。
いけない、とアルテミスは沈みそうな気持ちを振り払うように顔を上げた。
 と、アルテミスの目に、アレンの頭の上1センチ程をふわふわと浮いている動物が映った。
「あ…!」
アルテミスの声と視線に、アレンは自分の頭の上にそっと手をやった。
両手にふわふわした感触が触れた。これは、さっきアルテミスの頭の上で飛び跳ねていたリスみたいな動物? と推測した瞬間、目の前のアルテミスの頭上に浮かぶ姿を発見した。
「多分、今俺が捕まえてるのと同じのが、アルテミスの頭の上に浮いてる」
頭の上でそっと動物を掴んだままアレンは言った。アレンに言われて、アルテミスもそっと両手を上げた。もう正体不明ではない、アレンの手の中にいるのは、さっき見たリスのような動物だもの。
動物はどちらもおとなしく、両手の中に納まっていた。腕を下ろしてまじまじと観察してみた。アレンの手の中にいるのは白毛で、アルテミスの方は茶毛。でも同じ種類のようだ。鼻をひくひくと震わせて、大きな瞳でじっとアルテミスを見上げている。愛らしい。頬が緩んで思わず呟いた。
「かわいい…」
「ああ。かわいいな」
「何度も来てるコロニーなのに、初めて見た」
「俺も」
初めて見た。彼女の笑った顔を。目の前でぽっと開いた彼女の笑顔のせいで、アレンの頬も緩んだ。「かわいいな」も、動物がなのか、アルテミスがなのか。
ふと、アレンを一瞬見たアルテミスは、緩んでいた頬を引き締めるかのように、唇をきゅっと引いた。伏せた目で、自分の手を見つめている。それは、微笑を殺しているかのようだ。照れているようには見えない。まるで…叱られた子供が反省しているような………。
何故…? 花のような笑顔だったのに…!
アレンは理解できずに言葉が続かなくなってしまった。
 沈黙の中、アルテミスが見つめている掌で、乗っていたリスもどきがふわりと浮いた。
「え…」
アレンの手の中からもふわりと浮かび上がる。驚いている二人の目の前で、二匹はふわふわと上昇し、梢の影に消えて行った。
「飛べるんだ…!」
そう言ってアレンに向いたアルテミスの顔は明るかった。可愛い生き物のまさかの能力に我を忘れたのか、梢を見上げながら、すごい…!と呟いた。その口元は確かに笑っている。今、消えてしまった笑顔が控え目に戻っていた。
(もっと見ていたい…!)
 ざわめいた胸で梢を見上げたアレンは、枝にちょこんと止まった二匹を見つけた。
「あそこにいる。行ってみるか!」
「え?」
意味が分からず聞き返したが、アレンは幹に近づき枝振りを確認し始めた。
「行けるよ」
と、振り返って笑うと、枝に手を掛け、コブに乗り、要領よく登り始めた。
木登り、ですか…? 呆然と眺めているアルテミスをアレンは呼んだ。
「大丈夫だって」
アレンの笑顔に促されたアルテミスは、木の根元に立ち、アレンを真似ながら、身体を上へと移動させて行った。途中の枝に到着し、姿勢を安定させたアレンが、上から誘導する。
「そこに右手を先にかけてから…そう、左足を先にそっちへ乗せて…」
指先は触れるのだが、身体を支えられるようには手が届かない。アレンは身を屈めて腕を下ろした。アレンの顔を見上げたアルテミスは、ちょっとだけ躊躇って、でも手を伸ばした。アレンはアルテミスの手を、そっとしっかり握った。
 今まで、滑りそうな彼女を抱きとめたり、腕を掴んだり、銃撃戦の中、背中を合わせたり、頭を押し込んだりと、色々な形で彼女に触れて来たが、こうしてお互いの顔を見ながら、納得した上で触れるというのは初めてだ。
 信じて委ねてくれた…。アレンの中に今まで感じたことのない不思議な感覚が湧いた。これは何なのか。いや、あとでじっくり考えよう。とにかく今は、彼女を無事に導かないと。
 アレンは彼女が足をかけるタイミングに合わせて、ゆっくりと彼女を引き上げた。そうして二人は、ずいぶんと高い枝まで登った。
 リスもどき達は、二人が到着するまで同じ場所に座っていた。
「いた…!」
アルテミスは興奮して言った。生まれて初めて、こんな高い枝まで登った。興奮するなと言う方が無理だ。
 彼女の全開の笑顔を見て、アレンも笑顔があふれる。彼女を安定感の良さそうな枝に座らせて、自分もすぐ隣の枝に腰を下ろした。案外と強い風がときおり吹いて行く。陽の光に透けてチラチラと眩い金糸の髪が、アルテミスの頬や額を撫でる。
 なんて綺麗なんだろう…。眩しくてアレンは目を逸らした。目の端で金糸の光が反射している。
 心地良い風。穏やかな陽。緑の匂い。葉擦れの音。鳥の声。アルテミスの、笑顔。
この感覚はなんだろう…なんだか分からないけれど、とても満ち足りた気分だ。アレンから、自然と言葉が滑り出した。
「護衛の仕事、あの貿易商船の専属なの?」
「専属契約はしてないけど、でも、ほとんどそんな感じ」
アルテミスは、ちょっとの間で勇気を貯めて、さりげなさを装って言った。
「―――、、、。 アレンは? 何をしてるの?」
うまく装い切れなかったが。
「俺は、便利屋だな。護衛もするし、運び屋もする。ほんと、何でもするよ」
「この間の友達と一緒に?」
「あぁ、ゴセ? たまにあるけど、でも、基本的には一人。一応積んでるから、ACS」
リンディアーナのには遠く及ばないレベルだけど、と言いながらアレンは笑った。
――一人…。私ももちろん一人だけど、船の大きさが違う。システムの問題じゃない。あの広い空間にたった一人なんて……。寂しくはないのかしら…。それとも、一人が好き…? 私みたいに。
アルテミスが言葉を返せないでいると、
「地球に降りた事はある?」
と、アレンは尋ねた。たくさんのコロニーや火星ベース、金星ベースには降りたが、地球は一度もなかったアルテミスは首を横に振った。
「俺さ、今、地球に住んでるんだ。ほとんど海でさ、大海の中にぽつぽつ島が浮いてて、大きさはそうだな、一番大きな島でも、巨大コロニーよりちょっと大きいぐらいなもんでさ。夏はハンパなく暑いし、冬は容赦なく寒いし、天気なんか予告無しに変わって大変なんだけどさ。台風ってのが本当にあるんだぜ、凶暴な雨と風」
幼い頃、家の窓から眺めていた蒼い星。地平線から登って来るその星を、黒いビロードの布に置かれた宝石のようだといつも思って眺めていた。でも大人たちからは「恐ろしい海賊達がたくさんいる、怖い怖い星なんだ」と、言い聞かされてきた。野蛮な星は、野蛮な海賊にのみ相応しいと。
ずっと“野蛮な星”の意味が判らずにいたが、たった今、アレンの言葉で理解できた。自分達でコントロールできない自然のままの星。という意味だったんだ。
なんて勝手な……。傲慢な……。
自分を取り巻いていた大人たちの考えを、今改めて知ったアルテミスは、心底寒くなった。
そんな考えおかしい。間違ってる。その大人たちがやがて月面をも滅ぼしたんだ。
「地球は野蛮な星で、野蛮な海賊達しか住んでない、怖い怖い星だ。――って、子供の頃大人に言われなかった?」
頭の中に渦巻いていた言葉をそっくりアレンが口にしたので、アルテミスは驚いてアレンの顔を見つめた。
「俺、ムーンベース育ちだったから、部屋の窓から毎日見てたんだ、地球。きれいでさ。真っ青な球体に真っ白な雲がかかってて。あの星の何が野蛮なんだって不思議だった。海賊が野蛮ってのは子供心にも分かったけど」
アレンは、ははっと笑った。
アルテミスは、騒ぎ出す心を抑えるのに必死になった。二人ともムーンベース育ちなのだから、窓から地球を眺めていた幼少の頃の記憶が同じなのは当たり前だ。でも、その情景を誰かと共有した事は一度もない。アルテミスがムーンベース出身だと知る人は誰もいないし、彼女自身が打ち明けないからだ。今も打ち明ける気はない。
打ち明けないなら、ざわめく心を隠さなければ。
「海賊になったから地球に住んでるわけじゃないけど、でも、地球はほんといいトコだよ。全部本物だ」
そう言って、アレンは空を…スカイビジョンを見上げた。アルテミスもつられて見上げる。
「どう違うの……? 本物の空…」
素直に口から出た。
「自分で確かめたらいいよ」
「え…」
「大丈夫、野蛮な星なんかじゃないから。海賊が大勢いるのは本当だけど、極悪系の海賊はいないし、それにたった人口の1割だ。9割は一般人なんだぜ」
「そうなの?」
「海賊だけうじゃうじゃいる、刑務所みたいな星って思ってた? そりゃ勘弁だよな。いくらゴセに誘われても、俺も無理だ、住めない」
あはははと大きく笑う。
「ゴセに誘われて?」
「そう、指名手配になって、帰る家もとっくになくて困ってたら、ゴセがさ。地球はいい星だからお前も来いよ、って。ゴセは海賊じゃないけど、檜祖父さんが海賊で、地球に住み始めた最初のメンバーだったんだって。地球生まれの地球育ちに“いいトコだぞ〜”って言われたら、そっかって思うだろ」
「…。そうね」
どんな空なんだろう…どんな海なんだろう…夜空は………月は、どう昇って見えるのだろう………
「月の女神」
いきなり言われて、アルテミスは呼吸を一つ飲み込んでしまった。
「アルテミスって、ギリシャ神話に出てくる月の女神の名前だよな」
確かめながらアレンは言い切った。
「ムーンベースに居た頃、友達に、カグヤって名前の妹がいた。昔話の月のお姫様だって言ってた。もしかしてアルテミスもムーンベース出身?」
 そうなの。と言ってしまったらどうなるだろう…。
同郷の思い出話に花が咲くのだろうか。でも楽しい思い出なんて何もない。『狂乱の月』戦争で、楽しかった何もかもが辛いだけの思い出に変わってしまったのだから。そんな話はしたくない。思い出したくもない。
 今まで使って来た台詞をアルテミスはぽんと落とした。
「いいえ」
「…そうか」
じゃぁ、どこ? と、アレンは訊ねなかった。その手の質問には一切答えないという空気を感じ取ったからだ。
実際、彼女がどこの出身だろうと、構うことは何もないのだし。ただ、同郷だったら思い出話が出来ただけだ。それが出来なくても、別に困らない。
 枝の先で、二人を見ていたリスもどきがふわりと浮かんで、傾き始めた太陽(もちろん本物ではない)に照らされて丸くなった。
「チビ太陽だな。よし、お前はソル、お前は白いからルナ」
「どんな意味?」
「ラテン語って昔の言語で、ソルは太陽。ルナは月。隣ン家がラテン系の友達の家だったんだ。すっごい陽気な家族だったよ、毎日が祭りでさ」
 宇宙に広がった人類は、人種で分かれて暮らしていたのではないので、どのコロニーやベースも多人種だった。千年もの長い月日の中で、居住地区ごとの言語は出来てしまったが、公に通用するのは星間共通語と呼ばれるものだった。今、二人が使っているのも、この星間共通語だ。
 
 それから二人は梢の上で風に吹かれながら、時に沈黙を鋏み、時に笑顔を浮かべながら、あちこちのコロニーやベースで体験した出来事を話した。
 何時間そうしていただろう。気付くと辺りはすっかり夕暮れに包まれていた。
「飯行かない? 何も予定が入ってなければ…」
こんな時間にこのまま別れるなんて不自然に思ったアレンは誘った。ゴセの妹のディミーとするように、女友達と食事をする。おかしくないよな? 
 アルテミスは海賊になってから誰かと食事をとることはなかった。ジーナとも数えるくらいしかない。すっかりそんなスタイルに慣れているので、誰かと食事なんて苦痛だ。
(絶対無理…!)
その緊張は、今までのものとは違う種類の緊張だとアルテミスは気付かない。
「せっかくだけど……」
俯いたまま、小さな声でやっとそれだけ言った。
「そっか、分かった。とにかく下りなくちゃな」
アレンは失意を隠して笑顔で言うと、ゆっくりと下り始めた。

 二人は暮れなずむ木立の中へと下り立ち、アレンがバイクを止めた林道まで歩いた。
 ティーキードッグを出て、リンディアーナが降りた方へと林道をバイクで走っていて、ベルトか何かをきらりと光らせた彼女を、木立の奥に運良く見つけたのだった。
 アルテミスは歩いてここまで来ていた。これにはアレンもびっくりした。
「この森、暗くなるとゲルが出るの知ってる?」
ゲルとは、熊のような大きな獣で、こんな人口の森でどうやって繁殖できたのか不思議な肉食獣だった。何から進化したのか、住人達も知らない。もっとも、このコロニーに住む者達には、ゲルの祖先や進化の過程など関心外の事だった。日が暮れたら森には入らない。ゲルのディナーになりたくなければ。それだけだ。
「ちょっと出てきただけだったんだもの…」
(あぁ、俺が長居させたのか…)
「ごめん。送るよ」
え?! と驚くアルテミスに、
「大丈夫、今日はエアバイクだから安心だぜ」
と言って、ぽんぽんとバイクのシートを叩いた。
タイヤかエアか、そんな事を気にしているのではない、男の人のバイクで二人乗りなんてした事がないの。
どうしたらいいのか躊躇していると、森の奥から不気味な音が低く響いて来た。ゲルだ。思わず二人とも、闇と化した森の奥に目をやった。
「ほら、目覚めて腹ぺこだってさ」
そう言うと、アレンはアルテミスをひょいと抱え上げて、バイクのシートへと下ろした。想定外の一瞬の出来事に、着座してから一気に彼女の心臓だけバクバク大忙しだ。
 アレンは自分も跨るとエンジンをかけた。
「行くよ」
バイクはするりと発進した。どこに手を回していいのか分からなかったアルテミスはどこにも掴まっていなかった。上体が取り残されそうになりガックンと反り返り、慌ててアレンの脇の服を掴んだ。
 ゲルの遠吠えが増える中、アレンのバイクは林道を飛ぶように走り抜けた。
 
 ベスタのドッグは、あっという間にその屋根を木々の上から見せた。アルテミスはアレンの背中をぽんぽんと叩いて、バイクを止めさせた。
「ここで…。アレン、ドッグの誰かに見られたら、大騒ぎになっちゃうから……」
絶大な人気の海賊アレンの生アレンだ。自分が世間からどんな風に思われているかを深く考えたことはなかったが、出かけた先々で、女・子供に囲まれる事は何度もある。迂闊だった。さらには、有らぬ噂が立って彼女に迷惑をかけてしまうかもしれない。
ここまでドッグに近いとゲルも出ては来ないので、降ろしても大丈夫だ。
アレンはバイクのエアーシフトをロウにして、車高を下げた。足が届き、バイクを降りたアルテミスは、アレンに向き直って礼を言った。
「…ありがとう…。助かったわ」
前回、コーナで転倒したバイクを起こした時、彼女は「頼まなかったけど」と付け足して礼を言っていたのをアレンは覚えていた。(今日は、そう言わないんだ…)
「遅くまで悪かったな」
アルテミスはそんなことないと首を振る。
かわいい。
見とれていると、ついっと真剣な顔を上げてアルテミスが言った。
「帰ったら一言メール下さい…」
アルテミスは携帯電話を巻いた手首を差し出した。
これは…! メアド交換ってことだよな…! 無事に帰り着いたか知りたいって、心配だって事だよな…!
「いいよ」
にやけてしまう顔を必死に押し殺して、アレンは自分の手首を彼女の手首に沿わせてデータ交換をした。
「ゲルの餌食にならなかったらメールするよ」
「じゃ…」
アルテミスは、そそくさと背を向け、ドッグの方へと歩いて行った。
(これは何としても無事に帰って彼女を安心させないと!) 
ドッグの入り口の灯りの中へアルテミスが消えたのを確認して、アレンは片足を軸にしてバイクの向きをぐいんと変えると、フルスピードで林道を戻って行った。
第2話  アレン・ターナー

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