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第1話  キス☆キス
 宇宙空間――――。
星々が煌く果て無き闇の海。空気の存在しない漆黒の海にあたかも響いているような、情報番組の派手な音楽と陽気なDJの声がする。

「HEY! 皆聞いてるかーい? 宇宙に散らばる星屑みたいに、夢をキラキラ輝かせてるかーい!
さぁ、海賊情報ステイションが送る、太陽系連邦局指名手配中の海賊の、ありとあらゆる情報更新の時間だぜ! ピンポイントで知りたい海賊が調べられる一覧も要チェーーーック!
俺たちのヒーロー、ヒロインのあの海賊も、極悪非道・狂気の殺人集団海賊も、ぴっちぴちの新鮮情報で、おっ届っけだ〜〜〜!」

 ヴィーナスエリアの宇宙空間を二隻の船が連なって進んでいた。先頭は賞金2億ドルのついたお尋ね者、通称女海賊アルテミス(本名不明)の船・中型戦艦リンディアーナ。その後ろは、リンデアーナに護衛されている太陽系貿易商人ジーナ・バルナッダの船・バルナッダ号だ。バルナッダ号は大型船なので、リンディアーナより二回り程も大きい。

 そのバルナッダ号のブリッジで、前方天井部に埋め込まれている大型スクリーンを乗組員達は見ていた。先程からのけたたましいDJの声は、ここで見ている情報番組のものだった。 
 スクリーンにはアルテミスの顔写真とデータが映し出されていた。“女海賊アルテミス”と呼ばれるシーンでの彼女は、決まって伏し目がちな無表情である。プラチナブロンドの長い髪を肩に落とし、俯き加減な角度で、決して正面を見ない。彼女を表現する絵はいつもそんな構図だ。
 海賊達の居所を教えてくれるこの情報番組だが、その正確さはいい加減な事この上ない。もっとも、正確に居所が知れるはずもないのが、お尋ね者の海賊達なのだが。

 「クールな一瞥がたまらな〜い、海賊アルテミスの現在位置は〜、ここだー!」
スクリーン上に太陽系海図が現れ、矢印が光る。それを見ていた乗組員達が、うんざりしたように言い出した。
「親方〜、今ジュピターエリアにいるらしいっすよ、あたしら」
海賊アルテミスの居所は、すなわち同行している自分達の居所と言うわけだ。
「いつのコトだよな」
「よく続くよね、こんなインチキ番組」
木星エリアを航行していたのは、数週間も前だ。

 ところで、親方と呼ばれているこの船の主ジーナ・バルナッダは、違う事で立腹していた。
「あたしが許せないのは、この写真さ!」
ジーナは部下達の笑いに混ざらず苦々しげにスクリーンを睨みつけていた。陽気な赤毛の髪を短くした熟女のジーナは、背はさほど高くはないが、中年にしては鍛えられたボディだった。それは宇宙を渡り歩くに相応しい貫禄となって相手を充分に威嚇できた。男勝りで逞しい、50人ほど女ばかりを抱えた貿易商社の社長 兼 商船船長である。
「写真じゃないっすけどね」
控えめに部下が言う。
「アルテミスってぇと、なんでこんな辛気臭いのばっかなのさ!」
「え、でもそっくりっすよ? ねぇ?」
「おばか! このあたしのボディガードなんだ、もっと美人に決まってるじゃないか!」
「美人の親方に美人のボディガード、そして美人の乗組員!」
要領の悪い部下もいれば、調子のいい部下もいるものだ。よいしょの一言に大満足のジーナは声高らかに頷く。
「そうとも!」
あっはっはと笑いが沸き起こった。

 すると、アルテミスのCGがスクリーン左側半分に寄って、 右側に生アルテミスが現れた。
ブリッジの笑い声を聞いたアルテミスは
「コロニー到着がそんなに嬉しいとは知らなかったわ」
と、驚いた様子も、呆れた様子もなく淡々と言い放った。その無表情ぶりは、並んだCGと生、違いが見つからない…。
「…やっぱそっくりっすよ、親方…」
「ううう〜ん…」
ジーナもそれを否定できずに言葉が出なかった。
「予定通りV145・コロニー“コーナ”に入港するわ。はしゃぎ過ぎて降下速度間違えないでね」
「ほーら、本物は軽いジョークも言えるんだから、ね」
巻き返すために得意気に言ってはみたものの、ブリッジは同意の声も無くシン…と静まったまま。ジーナは空回りしてしまったようだ。
「何?」
怪訝そうにアルテミスが問いかけた。
「いやいや、あー、あのねアルテミス、滞在中は自由でいいよ」
その言葉の意味を瞬き一回で理解して、アルテミスは表情を崩さず答えた。
「スケジュールに休暇は入ってないわ」
「このコロニーは治安がいいって評判だ。大丈夫、護衛はいらないよ」
「でも、」
「あたしが一人でブラブラしたいのさ。わかったね!」
納得しないアルテミスの言葉を遮る様に、ばん!とジーナは言い放った。さすがのアルテミスも黙る。ジーナは雇い主だ。
「…。分かったわ。でも必ず携帯は持ってね」
ジーナは勝手気ままな雇い主で、ふらりとどこかへ出かけて行って、アルテミスを含め残された部下達がやきもきさせられた…なんて事は数え切れない。そもそも己の立場を弁えれば携帯電話を持たないなんてありえないのに。とにかく、念を押さなければ…! 例え無駄だと思っても…
「あーもー分かってるって。じゃあね!」
返事もそこそこに艦長席について、ジーナはコンソールデスクの上のスイッチを押した。スクリーンから二人のアルテミスは消えて、リアル星空が映し出された。仏頂面のジーナは、その星空を見ながら軽くフンッと鼻を鳴らし、心の中で毒づいた。
まったく頭が固いんだから! まだ若いくせに! 休養も大事な仕事のうちってなもんだよ。
 
 やがてスクリーンは、コロニーの壁面でいっぱいになった。その壁の一部が開き、二隻は吸い込まれて行った。





 緑色の草原の広がるエリアを、アルテミスはバイクで走っていた。
 商船が寄航して自由時間が出来ても、彼女は誰とも行動を共にしなかった。食事をしたり、遊んだり、買い物に出かけたり…誰とも一度もしたことがない。もちろんジーナも例外ではなかった。もう何年も、星空の旅を一緒にしているのに…。
 そんな彼女が選んだ「突然の休暇の過ごし方」は、愛車での遠乗りだ。このコロニーは植物の多いコロニーだったので、酸素は濃度が濃く、緑の匂いがした。顔に当たる風が気持ちいい。知らずうちにアルテミスの頬は緩んでいた。

 道から少し入った場所に立つ大きな木の下にバイクを止たアルテミスは、その根元に腰を下ろし休憩する事にした。
 澄み渡ったスカイビジョンを見上げながら、船から持参した手製の軽食を食べた。伸び伸びと広がった枝に茂った葉が、風にくすぐられてかさかさと笑い声を上げている。鳥の歌声も控えめに混ざる。いいコロニーだ。アルテミスは目を閉じ、体中で感じてみた。
 自分を包んでいる心地よい音とは異質な音が、遠くからそっと近づいて来るのにアルテミスは気付いた。ゆっくりと走って来る一台のバイクが、顔を向けた彼女の目に映った。バイクはすぐ近くまで来ると、アルテミスに気付かぬままに停まった。
 アルテミスは用心深く息を殺して見つめた。
 バイクに乗って来た男はエンジンを切り、そこへバイクを残したまま、道のあちら側の草むらの中へと歩いて消えた。

 暫くじっとしていたアルテミスだったが、残りのひとかけらを口に押し込み、そっと立ち上がった。
賞金稼ぎじゃなさそうだけど…と分析しながら、そっと道に出て、男の消えた方を覗いてみた。すると、花が密集して咲いている中に男は立っていた。下を向いてゆっくり移動して行く。
何してるんだろう…探し物だろうか?
長めの金髪が光に透け微風に揺れている。すらりと伸びたシルエットが頭を垂れている様は、憂いを帯びたように見え、わけも無く胸がきゅっとした。 
…………絵みたいだ…
とアルテミスは思った。
 そう思った瞬間、男がこちらを振り向いた。うっかり無防備に眺めていたので目が合ってしまった。心臓が飛び出そうになったアルテミスは、慌ててくるりと背を向け、自分のバイクに駆け寄ると、あっという間にエンジンをかけ、走り出した。
びっくりした…! でも綺麗な人だったなぁ…。私、盗み見してたみたいでヘンタイっぽかったかな…;
ちょっと自己嫌悪のアルテミスだった。
   




 丁度その頃、繁華街に立ち並ぶ居酒屋の中の一軒で、ジーナを初め、数人の部下達は大騒ぎしていた。
 ジーナは無類の酒好きで酒豪だ。宇宙にいる間は一滴も口にしない分、地上に降りた瞬間、堰を切ったように呑む。部下達から賞賛の眼差しを浴びながら酒も浴びるのが、ジーナの最高の楽しみだった。部下達は、ジーナに憧れ、必死に追いかけ、一人二人と潰れて行くのが常だった。もちろん今日も、まだお昼を過ぎたばかりの昼日中から、数人の部下達がすでに意識を失っていた。





 陽が傾いている。朱色に染まりかけた畑の中から唸り声がしてくる。 
 
 ぬかるみにはまったタイヤが滑り、転倒してしまったバイクと格闘しているアルテミスの声だった。
 顔中泥だらけになり、うんうんと起こそうと試みているものの、バイクは空しくずるずる横滑りするだけだ。
「ああ、うんもう!」
 手が痺れてしまい、うんざりのアルテミスが思わず毒づいた瞬間、男の声がした。
「手ぇ貸そうか」
 気配をまるで感じ取れていなかったアルテミスは、全身が一瞬にして凍りついた。恐怖を押し殺して声の方へ振り向くと、道に1台の車が停まっていて、オープンホロを開けたシートから男がこちらを見ていた。
 銃を構えたりしていないのが確認できたので、賞金稼ぎではなさそうだ。純粋に、見るに見かねて声をかけてくたのか。しかし、手助けを申し出ている割には、むすっとしているように見える顔の男だ。

 差し迫った危機はなさそうだと判断したアルテミスは平常心を取り戻し、男に負けず劣らずむすっとした顔で答えた。そもそも、ジーナやその部下の女たちとも打ち解けて話したりしないアルテミスが、知らない男と話す術など持ち合わせているわけがない。
「結構よ」
この、そっけないたった一言の返事は、男にとって予想外だった。
「…だって、起こせるの? 一人で」
「……」
起こせるわけがないのはすでに一目瞭然なため、さすがの彼女も起こせるとは答えられなかった。だからと言って、起こしてほしいと頼んで来る気配は微塵もない。
しばらく沈黙が漂ったが、大の男と女がこんな場所で根競べも無いものだ。女の気の強さに少々呆れながらも、男は車から降りて何も言わずにズカズカ歩み寄り、バイクに手を伸ばした。
 アルテミスは一瞬だけ、どうしようかと迷ったが、結局男の手が愛車のハンドルを握る事を拒めなかった。
 肩越しに、無言の許可を察知した男は、よっと軽く力を込めて簡単にバイクを起こすと、ズルズル滑る泥濘の斜面を力強く押して行った。
 
 無事に道に押し上げた男は、キーを回しエンジンをかけた。アクセルを開いてバンバン吹かす。
「いい音させてるじゃん」
そう言いながら振り向いた男の顔には、笑みが浮かんでいた。バイクの音が気に入ったのか、嬉しそうに音を立てては聞いている。
 男はざんばらに切ったように見える栗毛色の髪で、今はワクワクと笑っている瞳も、きらきら光るエメラルドのように透き通っていた。最初に声をかけて来た時は、何故あんな怒ったような顔をしていたのだろう。初対面だし、怒られる理由は思いつかない。アルテミスはぐるぐると思い巡らした。もしかしてバイクが好きなあまり、泥濘で倒したままの私が許せなかったのかしら…?自分のバイクに跨った見知らぬ男の、さっきとは別人のような楽しそうな顔に、不思議な気分にさせられた。つい眺めてしまっていたが、男の顔に泥跳ねが付いているのに気が付いた彼女は男にハンカチを差し出した。
「ん?」
「顔に…」
その後は言葉にせずに、自分の頬を指して場所を教えた。理解した男は、しかしハンカチを受け取らず、手の甲で頬をごしっとこすった。こすりながらアルテミスを見る。そして
「そっちも相当どろんこだぜ」
と笑った。
「え…!」
慌てて手で顔をごしごしするアルテミス。熱い…。自分の顔がどんどん赤くなっていくような気がした。男の顔は見れなかった。でも、男が自分を見ているのは判る…。耳たぶがぼわんと膨らんで、そこに心臓でもあるような錯覚に陥る。耳たぶの脈がどくんどくんとうるさい。

 その時、男の腕時計型携帯電話から声が聞こえた。
「おーい、いい加減諦めて帰って来いよー」
やべ…とつぶやいて、男は返事をした。
「ああ、分かったよ、ゴセの言った通りだった」
「だろ? どんぐりの木なんてもう、どこにもねぇって。絶滅だってばよ」
「このコロニーにはないってことだよ」
「あー、もうやだね、どうしてこう、二人とも執念深いんだか。飯だ飯。マシューバー、先に行ってるからな!」
「OK」
ゴセと呼んだ男との話が終わって、男はアルテミスのバイクから降りた。
「ごめんごめん」
男の照れたような顔に、アルテミスは思わず訊いていた。
「どんぐりの木、探してるの?」
「あ? どんぐり、知ってる?」
「ええ、どうして探してるの―――」
一歩踏み出したアルテミスの足がずるっと滑った。
「!」
男が素早く彼女の腕を掴んだので、アルテミスはぬかるみにしゃがみ込まずに済んだ。が、男の胸に軽く顔が当たってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい」
慌てて謝る彼女に、男はさらりと答えた。
「好きなんだ」
「え…」
「樫の木」
!……あぁ、木ね……
勘違いは瞬時に解け、アルテミスはどぎまぎしながら離れようとした。ところが、それが仇となりバランスを崩してしまった。反り気味に重心が後ろに傾き、あわや背中から泥濘にダイブかと思われた瞬間、男が渾身のダッシュで彼女を抱き寄せた。 その時――。

 唇と唇が、一瞬だけ触れた。

 男の腕の中にすっぽり納まったアルテミス。二人は沈黙の中、抱き合った形のまま、動けないでいた。が、意を決した男が口を開いた。
「……ごめん…ぶつかって…」
あまりに直球な内容に、どう答えていいか分からないアルテミスはとっさに惚けた。
「……な、何が……?」
「あ、いや、違ったかも。でも、もし、そうだったら…ごめんって、思ってさ」
とぼけて誤魔化そうとしたのに、男はもう一度誠意を見せて謝って来た。しかも、彼が謝るような出来事ではない。それどころか、彼は私を助けてくれたんだ。たちまちアルテミスは罪悪感でいっぱいになった。
「……わ、わかった。あ、こちらこそごめんなさい?」
やっと謝ることが出来たが、言い方が正しくない気がした。どう言えば良いのかは分からないが、今の言い方は、そう、例えば“可愛くない”という言い方だったんじゃないかと感じた。

 逃げ出したい気持ちで押し潰されそうになった彼女が離れようとして動いた瞬間、しかしまた腕を掴まれ引き寄せられた。
「待って!」
ふたたび男の腕の中に治まった彼女は、状況が飲み込めず心臓だけ爆発寸前だ。
「また滑っちゃうよ、ゆっくり」
ゆっくりと男はアルテミスの腕を導いた。彼女はされるがままに距離を作って、慎重に男から離れた。そして、足元を確認しながら自立した。

 一息ついた男は、この先も続いている泥濘の道を見やって言った。
「ここじゃタイヤバイクは乗らない方がいいな」
その視線を彼女も追いながら同意した。 
「ご忠告に従った方が利口みたいね」
二人で同じ泥濘の道を見る。泥濘を見てはいるが、頭の中は取りとめも無くぐちゃぐちゃと違う事を考えていた。二人とも。
 思い切って男が切り出した。
「……船乗り?」
「え?」
「ずっと宇宙にいると、大地に降りた時やたら地面を感じてたくなるからさ、俺は。だから俺もタイヤカーだったりして」
ははっと笑う男。その屈託のない笑顔は眩しい。だが、どんな会話を続ければいいのか分からないアルテミスは、男の顔も見れずにハンカチをぐいと差し出した。
「服、汚したのこれで許して」
男の掌に強引にハンカチを押し付けると、一度も顔を見ずにバイクに跨った。そして泥を跳ね上げ、何も言わずに走り出した。
 
 男は自分の服の胸を見て、泥汚れに気付いた。彼女の頬が当たった場所だと理解する。その泥汚れを指で確かめながら、遠去かるバイクを見送っていたが、何かに弾かれた様にやおら車に乗り込んだ。エンジンをかけようとしたその瞬間、携帯からゴセの声が響いた。
「アレン、あとどんくらいで着くー?」
「え、あ、ゴセ…」
エンジンをかけようとしていた手が止まってしまった。目で追うバイクは、とうとう丘の向こうへ消えた。音ももう聞こえない。
「15分で着くよ。待ってて」
彼女のハンカチを見つめていたが、何考えてんだ俺…と自嘲気味に軽く溜息をつくと、ハンカチをポケットにしまった。そしてエンジンをかけると、彼女のバイクが去った方角とは逆の方向へアレンは走り出した。





 夕暮れの繁華街。その外れにあるマシューバーは屋外席まで満席で、酒を飲みながら食事を楽しむ人々で賑わっていた。その屋外席にアレンとゴセはいた。もりもりと野菜を口に運んでいるアレンの斜め横で、酒をあおっているゴセが言った。
「まったくアイツ、まだ花探してんのかな」
酒のグラスをどんと置き、いよいよ暗くなって来た街中へとゴセは目を凝らした。
「さすがにもう見えないだろ。どっかでまた華に囲まれてんじゃないか?」
「なーるほど」
アレンに言われて納得したゴセは、またグラスをあおった。
ジャリ…と足音がして二人のテーブルに影が歩み寄った。気付いたアレンが顔を上げると、アルテミスが立っていた。
「!」
一度は永遠に失った女が、目の前に立っている。アレンはとっさに言葉が出なかった。
「誰? 知り合い? あ!」
友人と女の顔を見ていたゴセは、女が有名な海賊だとすぐに気付いた。店内からの明かりに照らされて出来る影と光が、彼女の顔の上で踊っている。アレンは、何か言葉を…と焦りながら、その幻想的な表情から視線を外せずに、見つめ続けてしまった。
「さっきはありがとう。頼まなかったけど」
言いながら彼女は、ぽんとテーブルに小袋を放った。それがきっかけで、彼女からやっと視線を外せたアレンは、小袋を手に取り開けてみた。中にはどんぐりの入った小瓶があった。
 息を飲んだアレンは、これまたとっさに言葉が出て来ないが、なんとか一言絞り出した。
「!これ……!」
「あいにくと実なの。悪いけど、後は自分で育てて。ずっとコールドストックしてきたから、ちゃんと発芽すると思うわ」
淡々と説明し終えた瞬間、彼女は銃を腰から引き抜いて、アレンの肩越しに後方をいきなり撃った。
突然の発砲にゴセは唖然としていたが、アレンはアルテミスの背後遠くに賞金稼ぎの姿を捕らえた。素早くアルテミスの頭をむんずと押し込み伏せさせる。
「何するの!」
アレンの銃が賞金稼ぎを倒した。アルテミスは自分の頭を抑えている男の手を払い除け、立ち上がりながら撃った。が、アレンは又もやアルテミスの腕を掴んで、引き寄せながら撃った。アルテミスはせっかく構えていた姿勢が崩れて、撃った光は夜へと変わった空へ吸い込まれて消えた。
「邪魔しないで!」
アルテミスはアレンをドンと突き飛ばして撃つ。今度はアレンの構えが崩れた。
「何で?」
困惑しながらもアレンは攻撃を外さなかった。しばらく銃撃戦の音が響き、食事をしていた人々は皆どこかへ隠れてしまい、やがて動く影はなくなった。
「大丈夫か!」
「怪我してない?」
銃を下ろした二人は、すぐさま相手の安否を確かめた。
「ああ、悪かったな、巻き込んで」
「いえ、私のせいよ。え…?巻き込んで?」
「私のせい?」
二人は互いの言葉に同時に引っかかった。
「二人のせいだよ!」
ゴセが叫んだ瞬間、二人は同じ方向を撃った。向かいの建物の屋根の上で最後の賞金稼ぎが倒れた。
「5億ドル! 2億ドル! 合わせて7億!」
少しだけ息が上がり、軽く肩を上下させている二人は、互いの顔を見た。
「海賊アルテミスさんでしょ? 俺はゴセ・カーナル。で、こっちはアレン・ターナー。海賊アレン」
初めて彼女の名前を知ったアレンは、思わず口にした。
「海賊アルテミス…」
「海賊アレン…」
彼女も、わざわざどんぐりを届けに足を運んでしまった男の名前を口にする。 
海賊…と肩書きが付いているが、そんなモノはお互いに関心外だった。
「しかし、久しぶりに賞金稼ぎに出くわしたな。ここは治安がいいって聞いてたのにな」
ここは治安がいい。とジーナが同じ事を言っていた。アルテミスは銃を腰のホルダーに差込み、
「これで失礼するわ! 借りは返したわよ!」
と、弾けるように踵を返した。だが、乗って来たエアバイクと、この辺りにあった乗り物たちは、銃撃戦の被害にあい走れそうなモノは皆無だった。彼らの武器は、人体に対しての殺傷能力は低いが、それ以外の物質には高い破壊力があるのだ。
グズグズしてはいられない。アルテミスは走り出した。 
 
 ゴセとアレンは半ば放心状態で見送ったが、暫くしてゴセが口を開いた。
「ひえ〜〜〜〜〜噂通りの女だな」
「噂?」
「その剣は肉を切り、その船は星を裂く。とか、その頬は色を着けず、その瞳は見る者を凍らせ、」
ゴセの口から出てくる言葉に、アレンが不快感を感じ始めた時、
「その唇は笑みを持たない」
と最後のフレーズをゴセは発した。唇と聞いて、アレンの顔がぽっと赤らんだが、宵闇に紛れてゴセには見えなかった。僅かな動揺を気付かれないよう、アレンは言った。
「すごい言われ様だな」
「だってまさにそうだったじゃないかよ?」
悪びれずにゴセは言う。
「……そうか…?」
いいや、全然違う…。アレンは、つい数時間前の彼女を思い浮かべた。確かに恥ずかしそうに赤く染まっていた頬、困ったような瞳、唇は…
やぶへびだ。
「しっかし、なんでお前ら海賊本人って、他の海賊に無関心なの?俺、すーぐ分かったぜ、海賊アルテミス」
好きで海賊をしているわけではないのだから、他の海賊にも興味などないのだと、一般人にはなかなか理解出来ないのだろう。
「で、何貰ったの?」
ゴセに訊かれて、改めて手の中の小瓶をアレンは見た。千年以上、完璧に保存されていたと信じられる樫の木の実。
「どんぐり…」
「どんぐり? マジで? やったじゃないかよ! 良かったなアレン!」
まるで自分の事の様に大喜びのゴセは、バンバンとアレンの肩を叩いた。
 そうだ、これはとんでもなく貴重な実だ。人類規模の、太陽系規模の財産なのだ。バイクを起こしたぐらいで貰っていいものだろうか? 軽率ではなかったろうか? 彼女はとてもムリをしたのではないだろうか?
突然アレンの頭の中は警鐘を鳴らし始め、気持ちは不安定になった。
「さっきはありがとって言ってたよな。借りって何よ? あ、それ彼女のハンカチ?なぁ、あの美人と何があったんだよ、アレンー!」
好奇心の塊になって畳み掛けるようなゴセの質問は、しかしまるでアレンには届かなかった。





 すっかり夜の装いになった町中を、アルテミスは携帯でバルナッダ号と話しながら走っていた。
「そうなの、だからなるべく船から出ないように指示して。私はこのまま探してみるから」
「じゃあ、こっちに帰って来たら連絡します」
「お願いね」
電話をったアルテミスは、怒りのあまり母国語で毒づいた。
「絶対わざと置いてってるんだから!」
 海賊をボディーガードに就けるということは、最強の護衛を手に入れると同時に、賞金稼ぎから狙われる事も意味している。ボディガードを生業にしている海賊にとって、その雇い主の存在は弱点となるのだ。雇い主を人質に取られでもしたなら、一巻の終わりである。契約を交わす時、お互いにそのリスクは承知しなければならない。
 
 そして、海賊アルテミスを護衛にしているジーナももちろん、例外ではなかった。なのに自覚がなさ過ぎる…!
自覚があれば、携帯電話を持たずに出かけてしまうなんて事は絶対にしないはずだ。
 何度こうして、街中でジーナを探しただろう。あの、恐いモノなしの不死身の女貿易商人を。身の安全が確認できるまでのこの時間、どんな思いで私達が過ごしているか、ジーナはわかってない。想像すらした事などないに違いない。まったくもう! まったく! まったく…! アルテミスは泣きたくなって来た。
  
 と、突如、ものすごい音量の黄色い悲鳴に出くわした。
「キャ〜〜〜〜〜〜! ジョ〜〜〜〜〜! こっち向いてーーーー!」
 アルテミスの前は、瞬く間に若い女共の群れで塞がれてしまった。まずい! と気付いた時には遅く、背後からも大群が押し寄せ、アルテミスは挟み込まれて自由に動けなくなってしまった。
「通して…! ちょっと…通してったら…!」
狂ったような集団にもみくちゃにされながら、じりじりと壁際に寄るのが精一杯だ。壁際に寄れたとしても、どうやって脱出したらいいのか…!
 賞金稼ぎの奇襲は交わせても、無秩序な集団の情熱任せの渦は交わせないの…? こんな馬鹿げた事があるなんて…!
 と絶望的な気分になった時、誰かにぐいと腕を掴まれて、渦の中から引っ張り出され、建物の凹みに押し込まれた。何事かと慌てて見上げると、サングラスを掛けタバコを咥えた男が腕を持っていた。男は彼女を隠すように立ち、悲鳴を上げながら移動している集団を見ていた。

 とりあえず大丈夫そうだと判断したのか、男はアルテミスに向き直った。
「そんな半端な覚悟じゃ、もみくちゃのボロボロちゃんになっちゃうぜ」
ふーっと煙草の煙を吐き出しながら、にっと笑った。
 私のせいだとでも言うのだろうか? 
「覚悟ならいつもしてるけど、これはどんな覚悟なわけ?」
カチンと来たアルテミスは、渦から助け出してくれた恩人を睨みつけて言い放った。しかし男は、気分を害する風も無く、サングラスを額にずらし、改めてアルテミスを見ながら
「あ、やっぱただの通りすがりだったのか。巻き添えにして悪かったな」
と言った。
「巻き添え?」
意味が分からず、訊き返した瞬間、黄色い歓声がこちらに向かって上がる。
「いたわ! あそこよ! ジョー!」
「やっべ」
男はタバコを投げ捨て、アルテミスの手を掴んで凹みから飛び出し、走り出した。
「あ、やっ…!ちょっと!」
「この場から離れないと、あんたもやばいって!」
「だからって、なんで一緒に……!」
「こっち!」
ジョーと呼ばれた男は、お構い無しにアルテミスの手を掴んだまま走って行く。ジョーの手から自分の手を外すことは不可能だ。痛いほどの強さでしっかり手首は掴まれている。腕が肩から抜けないように着いて行くしかない。ここでもまた、彼女は思う。賞金稼ぎからは一抜け出来ても、ただ手を掴まれて走り出されただけでその状況から抜け出せないとは。

 夜の繁華街の路地を曲がる。曲がる。曲がる。店の灯火が揺れている。光の線が瞼に焼き着く。自分の右手の先を走る大きな背中。髪の色も服の色も、夜の明かりに惑わされてはっきりと判別できない。すでにジーナを探して走り回っていたアルテミスは、いよいよ足が回らなくなり、転倒寸前…! と覚悟した時、ジョーは薄暗い壁と壁の隙間にアルテミスを先に押し込み、自分も滑り込んだ。
 暗闇に二人の息遣いが響く。文句は喉元まで出掛かっているが、どうにも吐き出せない。ひたすら呼吸を続けるのみだ。肩も胸も大きく上下するが、なかなか治まらない。
ジョー! いた? いない! どこ行っちゃったんだろう、出てきてよー、ジョー!… 女達の声が、バタバタとした足音と共に、目の前の通りをうろうろしている。声と足音を聞きながら、しばらくは呼吸を整える事に専念していたが、少しだけ余裕の出来たアルテミスは、用意していた文句を吐き出した。
「なんで私まで逃げなきゃ―――」
「しっ!」
ジョーに素早く静された彼女の耳に、女達の怒りの混ざった会話が聞こえて来た。
「ねえ、一緒にいた女、あれダレ?」
「知らない! むかつくー!」
「ジョーの何なのよ! 見つめ合ったりしちゃって!」
「そうそう! 抜け駆けなんて許せないよね、見つけたら八つ裂きね!」
…八つ裂き…? 私が? 何故? あまりにも理不尽だ…! と、アルテミスが目を真ん丸くしていると、彼女の顔を見下ろしていたジョーが面白そうに囁いた。
「怖いね」
ウィンクまでして、まるで他人事だ。こいつのせいなのに。もう我慢できない。見つかったって知るもんか。私はこいつの追っかけでも何でもないんだ! 抜け駆けじゃない!
「冗談じゃないわ!」
「わっ、ばか!」
慌てたジョーは、アルテミスの口を手で覆って塞ぐが、彼女はモガモガと抵抗して、ジョーの手を引き下ろし訴え続けた。
「私はただあそこを通りかかっただけよ! あんたなんて知らない! どいてよ! こんなとこに閉じ込められる筋合い無いわ!」
ジョーは必死に、ばか、こら、と格闘するが、アルテミスの怒りも文句も止まらない。
 すると、無情にも表の通りから
「ねえ…今、声がしなかった………?」
の言葉と共に、わらわらと集まってくる足音。
 
 このままでは見つかる………! 切羽詰ったジョーは、最終手段を敢行した。
 がっしりと彼女を抱え込み、もう片手で彼女の頭を後ろから掴んで上を向かせると、覆い被さる様にキスで口を塞いだ。
「! んんんん!」
すぐには、何が起きたのかアルテミスには分からなかった。この身勝手な男から香ってくる煙草の甘い残り香が、わっ……と強くなったと思った瞬間、文句が吐き出せなくなって「?」となった直後に、キスされている事に気付いたのだ。信じられない!!!! もがくがちっとも動けない。ジョーの背後で唯一自由になっている手をフル活動して、ジョーの背中や脇腹を叩いた。が、無駄に大きな背中はびくともしない。股間を蹴り上げようにも、自分の身体はジョーの両足の間には入っておらず、脛すら蹴ることが叶わなかった。腰に下げた銃にも手が届かない。ほんの少しの打撃も与えられずに、それどころか息が苦しくなって来てしまった。鼻腔呼吸だけでは、こんな極限状態を戦うに必要な酸素は得られない! 酸素不足で目の前がチカチカして来た。
「え、いた? あっちだってー!」
意識が薄れそう…! と絶望しかけた時、何かを勝手に勘違いした女達がバタバタと遠のいて行った。
 
 表が静かになると、ジョーの腕の力が緩んだ。
「ぷはっ!」
意識を保てたまま顔を離せたアルテミスは、電光石火の動きでジョーを思い切りひっぱたいた。暗闇に乾いた音が短く響く。
「…ってぇ…。だって見つかっちゃうだろーが。黙んねえんだもん」
怒りもしないが悪びれもしないジョーの態度に、アルテミスの怒りは燃えたぎり、再度ひっぱたこうとして手を上げた。しかし今度は難なくジョーに手首を掴まれてしまった。
「八つ裂き、痛いぜ?」
もう片方の手も上げたが、こちらも掴まれてしまう。両手を掴まれて怒りを叩き付けられなくなったアルテミスは、言葉での攻撃に切り替えた。
「あんたみたいな男を追っかけてる女の気が知れないわ!」
「オレ、タイプじゃない?」
アルテミスの両手を頭上の壁に押し付けたまま、ニヤニヤしてジョーは言った。
「最後の生き残りになっても選ばない!」
「うっはははは!スッゲーーー!」
どこまでも余裕のジョーの態度は、馬鹿にしているとしか思えず心底ムカつく。こんな仕打ちは初めてだ。

 怒りの限界を超えたのか、涙が滲んでしまった。腕を射抜かれた時も、絶体絶命の瀕死に陥った時も、涙が滲むなんてことはなかった。
 怒りで涙。こんな事、初めてだ。初めて……。そうだ、ファーストキスだった………。
 
 じたばた暴れるアルテミスを押さえつけながら楽しんでいたジョーだったが、アルテミスが動かなくなり、目が涙で潤んでいる事に気付いた。
ま、まさか…初めてだったとか……? いや、ありえねぇ、良く見りゃ結構可愛いし、彼氏の一人や二人………あぁ、そっか……。
 彼氏に悪い事をしてしまったと泣いているのだ。とジョーは思った。掴んでいた彼女の腕をそっと放しながら、言い訳とも慰めともつかない言葉を掛け始めた。
「オレが言うのも何だけど、今のはキスじゃないからさ。たまたま唇同士がぶつかっちゃったってだけ。な? 事故みたいな? だからノーカウント、ノープロブレム。彼氏にも怒らんないって」
  
 事故ですって? しっかり故意にして来たくせに、ぬけぬけと…!
――事故。その言葉にアルテミスの脳裏には、先程のアレンとの触れるか触れないかのキスが浮かんだ。
あれこそ本当に事故のキスだわ…。なのにあの人は…アレンは謙虚だった…。

 「…こんなのキスじゃないわよ…」 
アルテミスはぼそりと吐き捨てた。
「だろ? キスってのはさ、こう、お互い気持ち良くなきゃだよな。……あれ、オレ気持ち良かった。はは。あんたもちょっとは気持ち―――」
また調子に乗ってこの男は…! アルテミスの平手が飛ぶ。不発に終わった二発の恨みも込めて、思い切り打った。それをジョーは邪魔することなく、甘んじて受けた。渾身の力を込めたので、アルテミスの掌はびりびりと痺れた。ジョーの頬の痺れは相当なはずだった。
「悪かったよ、ごめん」
神妙な表情をしてジョーは謝罪した。確かにちょっと悪乗りし過ぎたと自分でも思ったのだ。しかし今更改心したところで、怒りで真っ赤に焼けたアルテミスの心には一滴程の水滴でしかない。とてもじゃないが、怒りを鎮めることなど無理だ。
 
 びりびりと痛む掌をぐっと拳に握り締め、アルテミスは踵を返して歩き出した。その背中にジョーは、
「彼氏に振られちゃったらさ、オレんとこ来いよ?」
と、陽気に声をかけた。怒りのオーラで発光しそうなアルテミスは、立ち止まりくるりと振り向いて、

「万が一にも、また会う様な事があったら、その日はあんたの命日よ!」
と、冷ややかに強く言い放った。しかし、こんな台詞で傷つくジョーではない。さらりと切り替えした。
「マジ? んじゃ、墓掘って待ってるわ」
「あんたなんて地獄へ直行よ」
アルテミスは吐き捨てて歩き出した。
「はははっ! おまえ、おもしれー」

 ちっこいくせに、口の減らねぇ女だと、ジョーは感心してしまった。
負けず嫌いで、怖いもの無しで、おまけに面食いじゃない女。だってこの俺になびかない。
カツカツ歩いて行くアルテミスを、ジョーは壁にもたれたまま見ていた。
でもよ、彼氏のためならうるっと泣いたりするんだよな。
と、頭に浮かんだ瞬間、思わず言葉が口を衝いて出た。
「なぁ。地獄へ行く前のさ、オレの最後の一呼吸に、おまえの正真正銘のキス、くれよ」
 
 カツ……と立ち止まり、ゆっくりとアルテミスは振り向いた。通りの灯りを背負っているので、彼女の顔は真っ暗になり表情は全く読み取れないが、黒いシルエットが静かに宣告した。
「あんたみたいなヤツ、本当に欲しいキスなんて一生貰えないわ」
ざわっ…とジョーの胸の奥が騒いだ。ジョー自身にも不可解なざわめき。
アルテミスはそれだけ言うと、いっそう明るくなった街灯の光の中へと消えて行った。
……本当に欲しいキス…? 
胸のざわつきを押し戻しながら、ジョーは思った。
……本当に欲しいモンなんて、もぉねぇよ…。
自嘲の笑みが頬に浮かんだ。壁にもたれたまま動かずに、アルテミスの消えた表通りを見ているジョーだった。





 涙を堪えながら歩いているアルテミスの携帯が鳴った。無言で出る。
「ああ、アルテミス、船に戻ったよ」
身柄の安全確認。良かった。はずなのだが、いつも通りの明るいジーナの声が、無性に腹立たしい。
「…ジーナ。緊急時に困るから携帯は持ってと言ったでしょ」
「緊急時なんてないってぇ」
KY過ぎる!思わず声が大きくなった。
「今まさにそうでしょ!!!」
「あらぁ〜まぁ〜、珍しいねぇ〜」
…そのトボケ方はあんまりだ…。深く息を吸って、アルテミスは通告した。
「そんなに非協力的なら、護衛任務遂行不可能で契約打ち切るわ」
アルテミスの声色と口調に、ジーナは今までにない危機感を感じ取り、素直に謝る事にした。
「悪かったよ、悪かった。もう二度としないから。とにかくさ、あたしらは何もなかったからね」
本当に良かったわ。とか、了解。とか、もう、何も言う気になれない。
「予定を繰り上げて出港した方がいいと思うわ」
宇宙にいた方がどれだけ安心か。行方不明になっても船内だけ探せば済むのだし。
「わかった。もう全員帰艦してるし、水も食料も補給は済んだから、このまま行くとするかね」
「みんなはちゃんと携帯持ってたからね。私もすぐ戻るわ」
最後に嫌味を一言投げて、アルテミスは電話を切った。





 バルナッダ号ブリッジには、重い空気が淀んでいた。
「ったく賞金稼ぎのバカどもめ。久しぶりの休暇を邪魔するもんだから、アルテミスのご機嫌がすっかりナナメになっちまったじゃないか」
アルテミスの機嫌を損ねた元凶が、とんちんかんな事を言う。
「親方が携帯持ってかないからですよ」
古株の乗組員がぴしゃりと言った。さすがのジーナもしゅんと小さくなる。
 
 どうにもならないねっとりした空気を引き裂くように、興奮した声が駆け込んで来た。
「いやぁぁぁん! 海賊アレンがいたなんて!」
「もう、知ってたら見に行ったのにー!」
 けたたましく叫びながら、くねくねと悶えている。後ろからも次々と悶えながら部下達が入って来た。
「賑やかなのが帰って来たねぇ。誰がいたって? いい男?」
空気が変わってほっとしたジーナが声をかけた。
「海賊アレンですよ〜!」
「もう、いい男なんてもんじゃないですって、親方!」
「とにかくかっこいいんですよ!」
ねー! とか、キャー! とか、すっかり恋する乙女になっている。ジーナもことさら海賊に興味があるわけではないので、先程のアルテミス同様、海賊アレンと言われてもさっぱり分からなかった。
「まだ若いんですけどぉ、賞金5億ドルもついてるんですよぉ!」
5億! とんでもない金額だ。
「へぇぇ! 罪状は?」
「太陽系連邦局のお偉いさん、殺っちゃったんです」
「でも、悪いのは彼じゃないんですよ! 本当に!」
そうそう! とアレンを庇う台詞が飛び交った。一斉に大きな声で喋るので、誰の台詞もきちんとジーナの耳には届かなかったが、可愛い部下達がどれだけ熱を上げているかは充分過ぎるほど伝わった。
「威張った野郎にはろくな奴がいないからねぇ」
役人を殺ったとは、本当の意味での被害者で、弱者だったのだろうとジーナは容易に想像できた。

 そこへ、新たな悲鳴と共に、数人の部下達が駆け込んで来た。
「大変大変! 町にジョーがいるらしいって!」
「見つけた女共があっちこっちで騒いでるって」
アレンの事で騒いでいた乙女達も、えっ! と振り向く程の大ニュースだ。ブリッジは水を打ったように一切の声が、ぅわん! と消えた。その完璧な静寂に、若さってこんな勢いあったっけね。と、ジーナは可笑しくなった。
「ねえ、アレンもいたんだよ!」
アレン命の乙女が、静寂を破った。
「え、マジで!」
ジョー出没のニュースで大興奮していた乙女達は、海賊アレンの名前にさらに興奮した。ブリッジは蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。
今、私たちは! 大人気のあの海賊二人と! 同じコロニーにいる! キャーーー!
…なんて可愛い部下達だろう! ジーナはとうとう笑い出してしまった。
「あっはっはっは。お待ちお待ち、今度は誰だって?」
「ジョー様ですよ!」
「アレンと同じ若い海賊で―――」
「ちょっと!」
ジョー一筋であろう乙女が遮った。
「ジョーは貴公子なんだから宇宙難民のアレンとなんて並べないでよ!」
「なんだと、テメー そっちだって元貴公子だろ!」
アレンを馬鹿にされたアレン一筋の乙女は、宇宙貿易商人の荒くれ船乗りに戻って反撃に出た。お互いに荒い言葉で攻撃し合う。
「元だろうが貴公子は貴公子なんだよ! アレンなんて元も難民じゃねーか!」
「貴公子の海賊だって?」
珍しい。思わずジーナは訊いた。
「はい、そりゃもうお坊ちゃまだったんですよ、ヴィーナスエリアのコロニー“ヘッシュ”の〜」
「宇宙で一番フリルと花の似合う海賊、貴公子ジョー様です」
ジョーグループの部下達が口々に讃える。すると、アレンを難民呼ばわりされたアレングループが噛み付いた。
「今はただのスケコマシじゃねーか!」
「うるせーよ、むっつりスケベのアレンよか、百倍マシだっつーの!」
「むっつりじゃなくて硬派なんだよ、アレンは! ジョーなんて宇宙で一番女ったらしの種蒔き男だろーが!」





 とっぷりと暮れた夜の街。先程のマシューバーとは違う店の中に、アレンとゴセはいた。そこへどかっと座るジョーは、へとへとの態で言った。
「あー、腹減った」
「遅っせーよジョー」
ゴセはやっと来たかと溜息混じりに言いながら、メニューに手を伸ばした。
「わりぃわりぃ。でも何で店変えたの?」
「賞金稼ぎがいたんだよ。つか、俺らもう食っちまったからな」
メニューをジョーに手渡しながら言った。それを受け取ったジョーは、
「オレは食い損ねたぜ。やっぱチューだけじゃお腹は満たされねぇのな」
と、口を尖らせた。
「チュー以上のコトしたら余計腹減るだろーが」
「だよね〜。ん?」
ジョーは、目の前のアレンが一度も顔を上げる事無く、じっと一点を見据えているのに気付いた。
「ゴセ、コイツ何食った?おかしくね?」
食べた物に中ったのかもしれない。同じ物は避けよう。とジョーは思った。しかしゴセはニヤニヤしながら言った。
「今さっきな、えらい美人の女海賊がさ、コイツに会いに来たんだよ」
アレンに女の客!? 浮いた気配のさっぱりない親友に女が会いに来たとは、嬉しい話だ。
「ははん。で、一発抜かれて腑抜けなわけか」
「おまえ、公衆の面前でいくらなんでも」
「抜かれちゃったんだろ、魂。スケベだな〜ゴセ」
「魂は一発とは数えんだろーが!」
ジョーの軽口には叶わない。全く…と呟きながら、ゴセはグラスを空にした。
アレンに向き直ったジョーは、身を乗り出して声をかけた。
「なんだよアレン、恋しちゃった? ひゅーひゅー」
アレンは初めて顔を上げ、ジョーを見た。そしてムッとしながら言った。
「そんなんじゃねぇよ。どんぐりがとうとう手に入ったんだよ」
「ひゅーひゅー、恋人はどんぐりー。って、この大木オタク」
なんだよ、どんぐり関係かよ…とがっかりして、ジョーは椅子の背に踏ん反り返った。
アレンはといえば、今日このどんぐりを手に入れるまでの一連の出来事を…、アルテミスとの事も何もかも、すべて“大木オタク”という一言で済ませられて、さすがにムカッとして言い返した。
「うるせーよ、おまえだって花オタクじゃねーか」
冗談の匂いのしない口ぶりに、今度はジョーがピクッとした。アレンのヤロー、何マジでむかついてるんだよ?
二人のただならぬ気配を感じたゴセは、間に入ってグラスを掲げた。
「あ、もう、やめやめ! はい、俺は酒オタク! 三人ともめでたくオタク!オタクに乾杯〜!」
さっき空だったはずのグラスには、いつの間にか並々と酒が注がれていた。それを一気に呑み干していくゴセ。
ゴセはただのノンベだろーが……。と、アレンとジョーは心の中で呟いた。  





 エアポートに停泊中のリンディアーナとバルナッダ号が、闇の中に輪郭を浮かび上がらせていた。  
 
 リンディアーナのブリッジでは、アルテミスが情報モニタで海賊アレンを調べていた。画面に並ぶ彼のデータ。犯罪内容、賞金額。出身地はムーンベース。
 自分と同郷だったとは。
 月面には七つのベースがあり、アルテミスはAブロック、アレンはEブロックと離れてはいたが、確かに二人ともムーンベース出身だった。
 
 今から十年ほど前に勃発した派閥闘争は『狂乱の月』と呼ばれ、たった二年で月面を廃墟にしてしまった。子供だったアルテミスもアレンも、それぞれ両親を失いながらも、脱出船に乗って命拾いした僅かな生き残りと言うわけだ。その後アレンは情報がオープンになってしまったようだが、アルテミスは偶然が重なり、難民生活から海賊になるまでの二年間の軌跡は誰にも知られずに来た。今もって謎多き女海賊のままなのだ。もちろん自分から話す事は絶対にないし、訊いても打ち明けるはずもないので、ジーナですらアルテミスの過去は何も知らなかった。
 
 リンディアーナのマザーコンピュータ・リンがムーンベース語で話しかけて来た。
――賞金5億ドルの海賊アレン。
「………樫の木を探してたわ」
――樫。ブナ科コナラ属の常緑高木の一群の総称。1000年前に既に絶滅。
「…………好きなんだって、樫の木」
――彼はどんな人だった?
「………………」
 アレンのちょっとした笑顔がいくつもいくつも浮かんで来た。滑って抱き留められた時のアレンの胸。力強い腕。そして、無駄のない戦いぶり。思い出すにつれ、胸が熱くなる。私、ドキドキしてる…?
――アリー?
アリーとはアルテミスの愛称である。リンディアーナのマザーコンピューターは、星間共通語の他にムーンベース語もインストールされていて、アルテミスと話す時はムーンベース語を使い、彼女を愛称で呼ぶ。それはまるで、リンとアリーは二人だけの家族だとでも言うように。リンは、母であり、姉であり、親友なのだ。
「強い男だったわ。だてに5億ドルじゃないってとこね」
当たり障りのない感想を述べたが、リンはするどい。
――それだけ?
「それだけよ。もう会うこともないでしょうけど」
顔に何か書いてあるんだろうか…と、アルテミスは不安になった。 
 
 その時、ジーナから通信が入った。
「アルテミス、準備はいいかい?」
「いつでもどうぞ」
ジーナ、グッドタイミング!と、心の中で感謝しながら、彼女は答えた。
「じゃ、このコロニーともお別れだ。ああ、そうだ、おまえは会わなかったのかい?海賊アレン」
無表情のアルテミスだが、髪で隠れた耳は、一瞬にして赤くなった。
「いえ、会わなかったわ」
正直に話す義務などないし、会ったなどと言おうものなら後が面倒だ。しれっと嘘を付いた。
 しかしジーナは、さらに問いかけてきた。
「じゃ、もう一人の海賊。…なんだっけ? そうそう、貴公子ジョー」
 “ジョー”と聞いた途端、あの最低男・ジョーの顔と煙草の香りが鮮烈にフラッシュバックした。怒りでかっと全身が熱くなるのと同時に、その全身を甘い香りがサーッ…と包んで行く。何が自分に起こっているのか分からないまま、呼吸が乱れて咽た。
「けふん…っ」
香りが……? アルテミスは思わずあたりを見渡してしまった。
「どうしたい?」
咳を一つしたまま黙ってキョロキョロしているアルテミスを、ジーナは不思議に思い尋ねた。
「あ、いいえ、そんなご立派なジョーには会わなかったわ」
同じ名前でも中身は月とスッポンね。と考えながら、また咽る。けふん…。
 自分を連れまわした憎っくきジョーが、その貴公子ジョーだとは、ほんのちらりとも思わない。何度も咽るアルテミスに
「風邪かい?」
とジーナは心配した。
「違うわ。煙りに咽ただけ。さ、発進するわ」
「煙り?」
煙って、ブリッジに煙かい…? とジーナは不思議に思ったが、尋ねる間もなく、アルテミスは発進作業を始めた。ジーナも慌てて、部下達に指令を下した。もたもたしていると置いていかれかねない。うちのボディガードはスパルタだから。叩き起こされたモニタやメーターの画面が点在し幻想的に光るブリッジで、部下達の声が元気に飛び交かう。
 
バルナッダ号とは対照的な、静かなリンディアーナのブリッジでは、船主がたった一言命令を下した。
「リン、発進」
――了解。
きれいに輝き出す壁面いっぱいのモニター達。その輝きを見ながら彼女は誓った。
二度と来ないわ。イカレ野郎のいるコロニー、コーナ!





 エアポートには大小様々な大きさ・形の宇宙船が並んでいた。その中で、一際大きな黒い影がアレンの船・ブレイブアローだ。折りしも乗り込もうとしていたアレンとゴセの頭上を、巨大な二隻の黒い影が上昇して行く。スカイビューの星の光を次々に消して、夜空に大きく広がっていく影を見上げて、ゴセが言った。
「おい、あれ、アルテミスの船だぜ!」
「え?」
アレンはゴセの声に、空を見上げた。黒い影は轟音と共に上昇して行く。
「あのマーク、間違いない」
リンディアーナには何のデザインか不明なマークが描かれている。
「後ろは…星間貿易船だな…。仕事ってぇのは用心棒か。お前と同じだな」
…アルテミス…。
 船の奥からジョーが顔を出して言った。
「おーい、何してんだ、置いてくぞー」
「お前の船じゃねーだろよ」
笑いながらゴセが乗り込んで行く。アレンは、しばらくその場に立ち、小さくなる船を仰ぎ見続けた。
 彼女は海賊アルテミス…。いざとなったら充分探せる…、大丈夫。これきりじゃない…。
 アレンはそう、自分に言い聞かせた。        
                                  
第1話  キス☆キス  END
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